2012年10月14日

私を宇宙に連れてって!〜新時代に突入した宇宙開発〜

この夏、観客動員数120万人を超え、興行収入は15億円となった宇宙兄弟。
地球の外へ・・・遥か昔から人間が抱いていた宇宙への憧れ・・・

宇宙兄弟要クレ[1].jpg

それが現実のものとなったのが・・・

yuri-gagarin-in-space[1].jpg

1961年、ガガーリンが人類初の宇宙飛行を達成してから・・・
現在まで宇宙飛行士・524人、そのうち日本人は9人。

宇宙開発は、この50年で目覚ましく発達しました。
2001年から民間人7人が宇宙飛行しています。
その旅行プランは、国際宇宙ステーションに1〜2週間滞在、その旅費20億円以上。

しかし来年からは、格安宇宙旅行プランが登場します。
飛行機に乗る感覚で出発し、2時間のフライトで宇宙へ・・・
お手軽に1500万円です。
すでに、600人以上が予約しています。
中には、日本人も16人含まれています。
誰でも、宇宙に行ける時代が、そこまで来ています。


近未来の新しい乗り物・・・
それは、“宇宙エレベーター”です。
ジャックと豆の木にヒントを得て考えられました。
手掛けるのは、東京スカイツリーを作った大林組。
最短で2050年には宇宙エレベーターが完成するそうです。
すでに、様々な実験が行われています。

ケーブルに負担のかからないように、宇宙エレベーターが設置できるのは。。。
赤道上です。自転軸に垂直に作ると安定するからです。

How-to-know-SE-04[1].png

30人乗りの8両編成、全長144mです。
ケーブルは、幅1.8p、薄さ1.38mm。
この細さを実現するのは、夢の素材“単層カーボンナノチューブワイヤー”です。
髪の毛の1000分の1の細さで、強度は鋼鉄の20倍、しなやかさが特徴です。
このワイヤーだからこそ、宇宙ステーションまで吊り上げられるのです。

中は、普通のホテルと変わりません。
Gはかからず、普通のエレベーターと同じ。
出発から10分後には雲の上、1時間後には宇宙へ飛び出します。

でも・・・体は浮きません。
宇宙は、必ずしも無重力ではないからです。
宇宙でも重力は働きます。
その証拠に、月は地球に引っ張られています。
それほど地球の重力は強大なのです。

では、なぜ宇宙飛行士たちは浮いているの???
それは、宇宙ステーションの遠心力の影響です。
遠心力と引力が釣り合っているので、無重力となるのです。
宇宙エレベーターの場合、地球から離れるほどに徐々に体が軽くなる程度だそうです。

宇宙ステーションまでの距離は、およそ3万6千キロ。地球をを出発してから7日目に到着します。そこではもちろん、無重力体験ができます。
大気のない宇宙では、太陽と星が同時に美しく輝いて見えます。

大林組のコースでは・・・日本からの往復、食事込み19泊20日で300万円ほどになるそうです。


宇宙へ・・・それは、人類の大きな飛躍でしたが・・・
アポロ11号が月面着陸したその裏に隠された、天才科学者たちの戦いがありました。

imgres[1].jpg

1969年人類初の月面着陸を成し遂げたアームストロング船長。
その裏側には、2人の天才科学者がいました。

第2次世界大戦後世界はソ連とアメリカを中心に対立する、冷戦時代に入ります。
そんな中、宇宙開発競争は、軍拡競争と一体化の中、始まりましました。

image[11].jpg

ソ連・第一設計局のセルゲイ・コロリョフ。
兵器の開発を担当していましたが・・・幼いころから宇宙への憧れがあり・・・
上層部に、アメリカの情勢を伺うとの名目で、人工衛星の打ち上げを提案します。
これがロケット開発へ。
1957年10月4日世界初の人工衛星・スプートニク1号打ち上げ成功。
同じく11月3日には、犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げに成功。
ソ連の高い技術を印象付けました。

それは、アメリカにとって予期せぬ敗北・・・結果を出さなければ!!
1957年12月6日ヴァンガードロケット打ち上げ・・・2秒後に大爆発・・・失敗。
ソ連に大きく後れを取りました。

そんな中・・・
「私にすべてを任せてください!!」
そう言ったのは、アメリカ陸軍弾道ミサイル局のヴェルナー・フォン・ブラウンでした。

VONBRAUN[1].jpg

かれは、戦時中、ナチスで弾道ミサイル開発に携わっていました。
彼もナチスで本意ではない兵器開発に携わり・・・戦後アメリカに亡命していました。
しかし、高い技術を持ちながら、兵器開発に携わっていたため冷遇されていたのです。


「私が必ず、アメリカの威信を取り戻して見せます。」


1958年1月31日エクスプローラー打ち上げ成功。

そのニュースはソ連にも届きます。
コロリョフは、ナチスのころからのフォン・ブラウンを知っていましたが・・・
フォン・ブラウンはコロリョフを全く知りませんでした。
それは、ソ連がひた隠しにしたから・・・。

2人はまだ見ぬライバルに、闘志を燃やし続けました。

米・1958年12月 通信衛星打ち上げ
ソ・1959年1月 ルナ1号 太陽周回衛星
米・1959年2月 ヴァンガード2号天気予報衛星
米・1959年8月 エクスプローラー2号 衛星から地球撮影
ソ・1959年9月 ルナ2号 月面到着
ソ・1959年19月 ルナ3号 月の裏側を撮影
ソ・1960年8月 スプートニク5号 犬を乗せて帰還

米ソの戦いは、そのまま二人の戦いだったのです。
そして、二人は一歩も引くことなく・・・
いよいよ、人類が宇宙へ行く時が来ました。
互いに幼いころからの夢が実現しようとしていたのです。

次の目標は、前人未到の有人宇宙飛行です。
夢の実現に向けて・・・

ソ連・コロリョフが開発していたのが“有人宇宙船ボストーク”。
テスト飛行では・・・
一回目…失敗
二回目…成功
三回目…失敗
四回目…成功・・・

1/2の確率でした。

「成功する確率が半分もあれば十分だ!!」

と、ソ連政府は、アメリカに先を越されることを恐れて有人宇宙飛行を決行します。

ただ・・・宇宙飛行士の最終選考に・・・
コロリョフはガガーリンを指名。絶対に譲りませんでした。
1961年ソ連・ガガーリンは、人類初の宇宙飛行に成功します。
どうして彼が選ばれたのか・・・
それは・・・パラシュートで帰還することになっていたからです。
ガガーリンは、パラシュートが得意なパイロットだったのです。


またしても後れを取ってしまったフォン・ブラウン。

「我々がソ連に勝つためには・・・月へ行くしかない!!」

次の目標は月になっていました。

ガガーリンの有人飛行から1か月後、ケネディ大統領はアポロ計画を打ち立てます。
宣戦布告に似たその発表に、ソ連も受けて立ちます。

人類初の月面着陸に向けて!!!

1966年コロリョフ死去。享年59歳でした。

夢半ばのことでした。

フォン・ブラウンが永遠のライバルの名前を聞いたのはこの時が初めてでした。

コロリョフの死から3年の1969年・・・
アポロ11号が人類初の月面着陸に成功します。

同じ夢を追い続けた二人・・・
そこには、二人にしかわかりえない世界があったことでしょう。

生前コロリョフはこうつぶやいたと言います。

「本来私たちは、友人であるべきなんだろう」と。

でも、びっくりです。
コロリョフが生きていたら・・・もしかしたら、ソ連のほうが先に月面着陸していたかもしれないなんて。。。


1969年、それは私の生まれた年です。
自分としては最近なことのように思っているのですが、
若い子たちにはずいぶん昔のことに・・・
歴史になっているかもしれませんね。

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posted by ちゃーちゃん at 08:01| Comment(0) | ビーバップ・ハイヒール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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