2012年10月12日

城下町へ行こう!「長崎の城下町 前編」

江戸時代は鎖国の時代・・・
その鎖国の時代にあって、いろんな珍しいものが外国からやってきたのが長崎でした。

そして・・・
この長崎にはお城がありません???

城のない城下町です。

長崎県長崎市は、人口44万2730人、面積406.4㎢、特産はカステラ・ちゃんぽん・ビードロです。

西洋からアジアまで、多種多様な文化を吸収した“長崎ちゃんぽん文化”の国です。
そして、長崎にはたくさんの初めてがありました。

鎖国時代に唯一外国との交易を許された町だった長崎。
海外貿易で、莫大な富と利権を生む長崎を、三代将軍家光は天下を治めるうえで最も重要な場所と思っていました。

日本の最先端だった長崎・・・


その長崎にはお城がありません。
その代わりにあるのが・・・長崎奉行所です。
この奉行所を中心にして広がったのが、長崎の町なのです。
当時は堀もありました。

22nagasaki424-11[1].jpg

どうしてなかったのか???

1637年長崎、幕府によるキリシタン弾圧の結果、島原の乱が起こりました。
この内戦によって、キリスト教が幕府を揺るがす元凶だと認識した幕府は、海外からの貿易などを厳しく制限しました。

ここから、日本の長い鎖国時代が始まりました。
しかし、海外貿易によって作られる莫大な財源は、天下泰平の切り札になると思っていた家光は、唯一、長崎を窓口として残し、幕府の直接統治にしました。
つまり、将軍が直接治めている町だったのです。


当時の日本の経済を支えていたといわれる長崎。
家光は、江戸から遠隔操作していました。

では、どうして城を建てなかったのでしょうか???
江戸時代、徳川幕府は重要なところは徳川に近い人に治めさせていました。
大名より格下の、奉行に治めさせる・・・
その真意は。。。

貿易が盛んな長崎は、莫大な利益・利権を得ていました。
それは、徳川幕府さえも倒せることが出来るほどでした。
だからこそ、任せるのが危険・・・。

そう考えて、長崎に城を築かせなかったと言われています。

そうして、奉行も1年務めると3代家が繁栄するというほどの収入があったのです。
巨万の富を生む長崎・・・そこを直轄することで、長く続いた江戸幕府なのです。
つまり、江戸の遠隔城下町でした。

そう言えば、時代劇の長崎奉行ってみんな「悪よのう〜〜!!」でしたよね。揺れるハート


長崎の出島・・・
本当は島ではありません。
鎖国時代、日本国で唯一海外との貿易を許された土地で、人工の島です。

この小さな島から「ことはじめ」・・・いろいろなものが伝わりました。

コーヒー・砂糖・キャベツ・トマト・ガラス・陶器・医学・蘭学・・・すべてここを通って日本に伝わりました。


この出島を、幕府は徹底的に“西役所”と“立山役所”で管理。
ゾウやラクダ・・・珍しいものを将軍に届けるのも長崎奉行所の仕事でした。
ガラスなども輸入していましたが、ガラスが割れないように・・・
今なら発泡スチロールやぷちぷちですが、当時はクローバーをクッション代わりにしていたようです。

つまり、もともと日本になかったのに、緩衝剤だった枯草の間に種が・・・それがクローバー・・・だから、白詰草なのです。


長崎といえは・・・「ビードロ」
ポルトガル語でビードロ。
オランダ語でギヤマン。
英語でグラス。

BI11[1].jpg

つまり、「ビードロ」とは、ガラス製品のことで、私たちがビードロと思っているのは“ポッペン”です。


出島のオランダ商館を通じて伝わった「かうひい」
「蛮人煎飲する豆にて
 其色眞黒に成る程に炒りて
 日本の茶を飲むごとく・・・」
日本に伴天連茶として広まりました。


日本初のプロカメラマン“上野彦馬”。

後藤正二郎
img_522767_14677174_0[1].jpg
高杉晋作
clip_image001[1].jpg
木戸孝允
20091114193919bba[1].jpg
伊藤博文
6c59950a1684[1].jpg

ほんと、知ってる写真は結構ここで撮ったのが多いですよ。黒ハート
幕末から明治にかけての激動の時代をカメラを通して切り取りました。

上野彦馬のスタジオで取られた一番有名な写真。。。
それがこちら。

vol27_2a[1].jpg

坂本龍馬です。

でも・・・彦馬が撮ったのではなく・・・
撮影したのは別の人。
当時、1万〜2万円しました。
撮影できるのはセレブだったのです。

龍馬はお金がなかったので、彦馬の弟子・・・未熟な弟子の撮影なら無料でした。
龍馬の写真を撮ったのは、彦馬の弟子である井上俊三です。
構図の少し傾いた失敗作でした。
きっと、あとから彦馬は悔しがったことでしょう。失恋

当時の龍馬は、彦馬にも写真を撮ってもらえない無名の存在でした。


「長崎くんち」
江戸時代から続く秋の大祭です。
“龍踊”が有名です。

W020051015783970479755[1].jpg

中国の物が長崎に伝わり・・・今では中国でも廃れてしまった踊りです。

和洋中、全ての入った長崎くんち。この長崎くんちは1634年、強制的に始まりました。
当時、長崎に住んでいたキリシタンたちをこれ以上増やさないために・・・
諏訪神社への奉納という形で、祭りによる改宗を行おうとしました。

祭りを始めた当時は強制参加。
参加をするとお金を貰えたのだそうです。

今では長崎人の心を掴み、生活に根付いたものとなっています。

長崎にはまだまだ不思議が詰まっているそうなので、後編に続く黒ハート・・・そうです。

龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港 (朝日選書) [単行本] / 姫野 順一 (著); 朝日新聞出版 (刊)
龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港 (朝日選書) [単行本] / 姫野 順一 (著); 朝日...
龍馬巡礼 京都・高知・長崎--ゆかりの地を歩く [単行本] / 1週間編集部 (著); 1週間編集部 (編集); 講談社 (刊)
龍馬巡礼 京都・高知・長崎--ゆかりの地を歩く [単行本] / 1週間編集部 (著); 1週間...

↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

歴史 ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 14:01| Comment(0) | 城下町へ行こう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第39回「兎丸無念!!」

1171年12月。遮那王は京・五条大橋の上で、弁慶と鉢合わせしました。

1.京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる
2.牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く
3.前やうしろや左右 ここと思えば またあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった

って、これ尋常小学校の唱歌だったんですね・・・。あせあせ(飛び散る汗)
子供のころ、よく歌っていました。たらーっ(汗)

d0017307_21411333[1].jpg

遮那王を、平家の密偵・禿だと勘違いした弁慶は容赦なく斬りかかっています。失恋
だめよ、だめよ、弁慶!!

って思っていたら、やってきましたよ。
本当の禿・・・本当に不気味な・・・良い感じが出ています。揺れるハート

無言で去って行った禿・・・そして、
たくみにかわす遮那王との攻防の末・・・
弁慶の泣きどころを叩かれてのたうちまわっております。
面白いるんるん

良い感じで漫才をやっているのは、今後の2人の息のピッタリさを表現しているの???
で・・・もしかしてこの弁慶口を滑らすの???
父が誰かを!?

でも、弁慶に関しては、和歌山人の私としては田辺の出身であってほしいので、この京の五条の橋の上が初対面なのが良いな・・・揺れるハート 

福原では万灯会が行われています。
なんと、西行、いきなりの登場です。相変わらず歌なんかを詠んでいます・・・。
この万灯会も、「平家にあらずんば人にあらず」ですね。

大輪田の泊の普請は、着々と進んでいるようです。
万事うまくいっているかのようでした。

が・・・
時忠が、禿を使って、平家に仇なすものを取り締まっております。

「ぎゃ〜!!」の、恐怖政治です。あせあせ(飛び散る汗)

「平家にあらずんば人にあらず」

藤原摂関兄弟も、なすすべなし???
なんだかこの兄弟も愚痴すら言えなくなったようです。だって、縁の下で聞いている禿・・・恐ろしい!!!
って、忍者???


兎丸は、なかなかいい仕事をしているようですが・・・

「お前が悔い改めたちゅうのは、禿のことか。
 あれで、ええとおもってるんか。」と清盛に意見します。

清盛「思うておる。禿を放ってから平家に文句を言う者がおらぬようになった。」

兎丸「あんな小さな子供にそんなことさせて・・・まっとうになると思てるんか!?」
と、言い返しましたが・・・
それを黙認し続ける清盛に不満を募らせ、禿を野放しにすれば、痛い目を見るぞと、清盛に苦言を呈しています。

img_1042864_31106909_2[1].jpg

自分もそうだったと思い返しているのでしょうか???

そう、海賊だった兎丸のほうが当たり前の事言ってますよ。あせあせ(飛び散る汗)

けれど、兎丸の言葉とは裏腹に・・・
平家はますます隆盛を極めていきます・・・。たらーっ(汗)

西行は、その後京の時子を訪ねます。

時子の言葉・・・
「福原の殿に仰せつかっております。歌や舞に親しみ、贅を尽くして宴をたのしむことも、公卿たる我が一門のたしなみと・・・」


公卿化してきている平家の変化に気づきます。
なんだか怪しい・・・

やがて清盛のもとに、宋からの贈り物が・・・
そして、宋の皇帝の名代とも言える宋・明州の長官が、3か月後に福原を訪れるという知らせが舞い込みます。清盛は、それまでに泊の改修を完了せよと兎丸に命じます。
早くても完成に半年はかかると見立てていた兎丸は・・・反発するが清盛の意志は変わりません。

「この国の頂点に立つのは、この清盛であることを!!」

清盛も、ちょっと勘違いしてきたようです・・・。あせあせ(飛び散る汗)


兎丸たちは何とか間に合わせようとしますが・・・けが人が続出してしまいます。それでも現場の声に耳を貸さない清盛に、兎丸はいよいよ爆発exclamation×2

清盛に殴りかかる兎丸です!!

「お前のやってることは悪や!!
 悪と悪がひっくり返ってもまた悪がてっぺんに来るだけや!
 平家の餠なんかついてられるか!!

 お前の国づくりは、盗賊が物を盗むのと同じや!!」

自らの利を追求しているだけだと清盛を責め、仲間とともに京に帰ってしまいました。
出てきたときはなんじゃこりゃと、思っていました・・・がいい味出してる!!兎丸!!

そして、寂しそうにつぶやく清盛・・・
「誰にもわからぬ・・・」と。。。
なんだか、何も相談しないで決行する信長様みたいです。
やはり、同じ帝王???


「けったくそわるい!!」と、今も良く使われる大阪弁で怒っております、兎丸。
五条大橋の下で仲間たちと酒を飲んでいます。
妻の桃李は仕事を続けるように説得しますが・・・

平家をののしりながら酒を飲みつづけ・・・一人になった兎丸の前に禿があらわれました。
そう、お題の通り・・・。
悪事をやめるように説得する兎丸に禿は襲いかかります。

あかい羽で・・・ブスッと
禿たちに囲まれてしまいました兎丸・・・
ついに・・・ああ・・・兎丸無念!!

39_009[1].jpg


行方不明になったという兎丸・・・

探しにきた清盛は、すでに息絶えていた兎丸を発見しました。
が、時すでに遅し。。。

そこには禿の仕業だとわかる赤い羽根が無数に残されていました。

悲しみにくれる平家一門の前で、兎丸の葬儀を盛大におこなうよう命じた清盛の目に禿たちの姿が・・・。

清盛を尊敬のまなざしで見つめる彼らには罪の意識はまったく感じられません。
そう、きっとこれこそが兎丸の言っていた不幸であり悲劇なのかもしれません。

清盛は自らの行いを悔い、時忠に禿を始末するよう命じました。

ほんと、禿もいい迷惑です。。。

権力を思いのままにあやつる非情な清盛が出てきましたね。

盛国「どれだけ欲しても兎丸は戻りませぬ。それでも進みまするか。。。この修羅の道を・・・!
   殿のお心の中にだけある国に向かって進み続ける覚悟がおありになりますか。」

清盛が首肯すると・・・

盛国「ならば盛国も共に命を賭して殿に食らいつき・・・この修羅の道を共に参りまする・・・!!」

そこには涙ぐむ清盛の姿がありました。

流石、忠臣!!
これこそ一蓮托生!!


亡き兎丸への思いや、自らが進む修羅の道を反省していた清盛は、難航する工事への対処として、海に経文を書いた石を沈めることを思いつき・・・経文とともに兎丸の志も海に沈め、新しい泊の礎にしたいと考えたのでした。

本当に、信心深かったようで・・・
一族の為にたくさん信仰していた跡がのこていますよね。

そして・・それは人柱という無慈悲な風習を避けることでもありました。
清盛や兎丸の家族や部下たちの目の前で、経文を書いた大量の石を積んだ船が海に沈んでいきました。

やがて清盛は一年をかけて大輪田の泊を完成させ、宋国の使者を迎えることができたました。
やっぱり3か月ではできなかったのね。。。
それは、兎丸が死んだから遅れたのか、やっぱり1年かかるものだったのか・・・

好きだったんです、兎丸。
私も無念です!!
源氏も活動し始めました。。。終息に向かってきていますね。
今回は出てきませんでしたが、重盛も病んできていますしね・・・どうなるのでしょうか??

え?!
日本国民はみんなしってる?!あせあせ(飛び散る汗)

↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

歴史 ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 12:48| Comment(0) | 平清盛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。