2012年10月30日

第41回 「賽の目の行方」

第41回「賽の目の行方」

1176年、平清盛と後白河法皇との関係をとりもってきた建春門院滋子が急死しました。
最近の清盛さんは、今までと違ってかなり”悪”な部分が出てきております。
後白河法皇との関係も、だんだんと・・・亀裂が大きくなってきたようですが、どうなるのでしょう???

今様を歌う後白河法皇は、滋子のことを思い出しておりますが・・・でた!!乙前。。。
今後の後白河さんの心のよりどころになるかもしれませんね。揺れるハート


徳子「きっと、皇子を産みまする・・・!!」

高倉帝「きっと、授かろう・・・。」

と、滋子の代わりに化け物ふたりの架け橋になろうと・・・健気な二人ですね。揺れるハート

今後も後白河法皇との関係を良好に保つため、高倉天皇の中宮となった清盛の娘・徳子が皇子を産むことを願う清盛だが、徳子に懐妊の兆しはありません。
そこへ、不穏な知らせが。。。

後白河法皇が、仏門に入っていた2人の息子(九の宮・十の宮)を都に呼び戻し、高倉天皇の養子にしたというのです。
それは高倉天皇を政治の場から遠ざけるための布石のように清盛は感じました。
清盛は長男・重盛を後白河法皇のもとへさしむけます。

ああ、ここから重盛の板挟みが始まります。。。あせあせ(飛び散る汗)

法皇への忠誠心を訴えるとともに、四男・知盛を蔵人頭にするよう頼みましたが、後白河法皇は受け入れません。バッド(下向き矢印)なんだか、後白河法皇も清盛の企みを見抜いて。。。
「滋子が生きていればのう・・・」と、平家を後押ししてくれる気が無くなったようです。。。


危機感を募らせた清盛は、比叡山の僧・明雲を呼び出し、表向きは千僧供養など・・・
いざというときには力を貸すよう念を押します。

清盛、真っ黒になってきましたよ黒ハート
「法皇様の力を抑えるために・・・!!」

場所は変わって、伊豆では・・・

おや!!政子が小奇麗になっていますよ。
もしかして、黒ハート黒ハートなのかしら???

奢れる平家によって東国武士は虐げられ。。。
年貢の取り立てで人々は困窮しています。


頼朝のことが気になる政子は、頼朝に源氏重代の太刀を見せてくれと懇願していました。

藤九郎「あれは髭切の太刀にござりまする。
    源氏の御曹司に代々伝わるモノ・・・」
頼朝 「いらぬことを申すでない」
政子 「見せて下さりませ!!
    爪切りにござりまする!!」
頼朝 「髭切じゃ!!」

と、吉本新喜劇お決まりのようなコントも挟んでくれています。黒ハート
杏ちゃん上手いなあるんるん

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その熱意に押された頼朝は太刀を見せ、強き父・義朝の記憶を話し始めました。
天下無双・・・そんな「武士の世を作りたかった」父も清盛に敗れ、

清盛「遠く伊豆より平氏の繁栄を眺めておれ!!」

伊豆に流された自分にはもはや無念さしか残されていないと語ります。

立ち上がれ、ガンダム!!

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ではなくって・・・

政子「立ち上がれ!!源氏の御曹司!!
   このまま朽ち果ててはなりませぬ!!
   東国武士の為、立ち上がってくださりませ!!」

頼朝「おなごとは気楽な者じゃな・・・
   昨日が今日でも、今日が明日でも、まるで変わらない日々をこの地で過ごす・・・
   平家の繁栄を指をくわえて眺めている・・・さよう定めを与えられておるのだ・・・」

政子「昨日が今日でも、今日が明日でも・・・?
頼朝「さようじゃ・・・」
政子「明日が昨日でも・・?
   おかしなお方じゃ・・・!!
   明日と昨日とは同じにはならぬ!!
   昨日は変えられぬが、明日は変えられる!!」

と訴えますが、頼朝は清盛という男の恐ろしさを語るのでした。

1177年、後白河法皇は千僧供養のため福原を訪ねました。
子供たちも出世させてもらって。。。清盛とのわだかまりは消えたかに思えましたが。。。


後白河法皇「もうここへは来ない」

と清盛に告げます。

清盛はいざという時がきたことを覚悟します。


明雲の命を受けた山法師による強訴が起きます。
訴えの内容は、法皇の側近・西光の2人の息子を流罪にせよというもの。。。
加賀守目代である息子・師経が加賀にある比叡山の末寺ともめた際、焼き打ちにしたからです。

まあ、焼き打ちは駄目よね・・・。比叡山が立ち上がったのです。


後白河法皇は重盛に強訴鎮圧を命じます。西光なんかは、お願いしています。揺れるハート
重盛は即座に兵を内裏に配置。さすが、聡明でするんるん
清盛と比叡山との良好関係にも配慮し、あくまでおどしをかけるだけにしろと命じます。
「軍勢を見せつけるだけにしろ!!」と、重盛さんカッコよく言いましたが・・・

しかし、兵たちは強訴の集団と衝突する中で、神聖な神輿に矢を射てしまいました。

内裏には矢が刺さった神輿が。。。
作戦失敗です。重盛さん・・・あせあせ(飛び散る汗)

平家の猛々しさに怖れるお公家さんです。
神罰が下ると恐れる公卿たち。。。
この人たち、ほんと、いい味出しています。揺れるハート
毎回、楽しませてくれるんですよね。るんるん


比叡山の要求どおり西光の息子たちを流罪とする決定を下しました。
そして・・・おや・・・成親の元へ、源氏の関係者がやってきましたよ・・・。

重盛は福原の清盛の元へ行き謝罪しましたが、清盛は逆によくやったと重盛をほめます。
そもそも一連の事件は清盛が明雲と仕組んだもの。。。
西光の息子を流罪にして西光の力を削ぎ、西光が仕える後白河法皇の力を削ぐという企てだったのです。
でも、そうさせたのも、後白河法皇も解っていますよ揺れるハート
それでこそ「強敵(とも)揺れるハート

清盛の王家に対する忠誠心を疑問に思う重盛は、清盛に真意を問うと、賽の目は変わるものだとはぐらかすのです。

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でも、きっと、マジメな重盛にはチンプンカンプンです失恋

そして・・・見抜いている後白河法皇は、側近の西光や成親ともども平家に対する憎悪を深めていました。


この事件はすぐに伊豆にも伝わり、改めて平家の恐ろしさを感じた北条時政。。。
政子を呼び出し、平家にゆかりのある家に嫁ぐことをすすめます。

そして京の鞍馬寺でも・・・。
遮那王は僧になるのをためらっていました。
かつて五条大橋で武蔵坊弁慶と出会った際、自分が源義朝の子であることを知ったからです。

う〜ん・・・遮那王を取り上げたのは弁慶なの???

平家を倒そうという弁慶の誘いをその時は断った遮那王でしたが・・・いつまでも心に引っかかっていました。

笙の笛を吹きながら・・・何を思う???頼朝!!

誰もが清盛の力の前に屈するしかなかった。。。
しかし平家への不満は募る一方。。。!!

そんななか、京の鹿ヶ谷にある山荘には平家を憎悪する人々が集まっていました。
その中には西光や成親、そして後白河法皇の姿もあったのです。

法皇「機は熟した・・・!!
   これより我ら・・・平家を討つ!!」
そう、鹿ケ谷の陰謀ですね黒ハート

なんだか、いきなり鹿ケ谷っぽいですが、やっぱり貨幣経済についていけない、土地に縛られていた武士達。。。平家だけが恩恵を受けている時代に、不満大爆発!!です。黒ハート

最後の山場に・・・佳境に入ってきましたね。黒ハート
私のお気に入り、重盛さんがどんどん壊れていきます・・・あせあせ(飛び散る汗)
頑張って!!!

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posted by ちゃーちゃん at 12:24| Comment(0) | 平清盛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ゴッホ・情熱と冷静のはざまで」

”ザ・プロファイラー”です。

情熱と冷静・・・それがキーワード。

ゴッホ作品の最高額は120億円と言われています。
しかし、ゴッホが生きているうちに売れた絵は、1枚だけでした。

売れない絵を驚異的な速さで描き上げます。
その数10年間で2千枚。
37歳・・・あまりにも短い人生の2千枚です。

ゴッホは、オランダ出身です。
身長170センチぐらい、痩せ形でした。

@驚くべきゴッホの手紙の一日
テオドルス・ファン・ゴッホと、兄・フィンセント・ファン・ゴッホ。
画商を営んでいたテオは、ゴッホを支え続けました。
ゴッホから手尾に宛てた手紙は、600通を超えています。
そして、その手紙から、ゴッホの生活を伺うことが出来ます。

1888年南フランスのアルルに住んでいたころは、35歳。
アルルで過ごした1年3か月に描いた絵は、油絵だけで200点以上。
色彩豊かな傑作の数々を、すさまじい速さで描いていきます。
独自のスタイルを確立したと言われるアルル時代。
移動はもっぱら徒歩。
そんな自画像も描いています。
朝から晩まで絵を描いていたようです。

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手紙には、絵のこともたくさん書いていました。

アルル時代以降、すごいペースで作品を作り上げます。
2日に1枚のペースです。
ゴッホは、1853年オランダのズンデルトに6人兄弟の長男として生まれます。
16歳のとき、叔父の画廊に就職、後に弟もこの画廊に就職、手紙のやり取りが始まります。

23歳、ゴッホは、勤務態度の悪さから解雇されます。
各地を転々としながら、画家を目指しました。
そんな兄に、支援をする弟・テオ。

また、ゴッホは大変な読書家で、それは作品にも影響しています。

絵を描く技法の探求も凄まじく、強く惹かれたのが農民画家といわれたミレー。
ゴッホは、ミレーの“種まく人”を繰り返し模写しています。
何度も移すことで、ミレーの技法を会得しようとしたようです。

当時の最新の技術も会得しようとしてもいます。
点描画法のジョルジュ・スーラ・・・
自分に合った手法を模索していたのです。



1886年2月、オランダからパリにやってきます。
モンマルトルのアパートで、弟のテオと暮らし始めました。
画商として成功していたテオの周りには、優秀な画家が集まってきていました。
ゴッホは、彼らから影響を受けるようになります。
色彩豊かなマレ・友人になるゴーギャン、絵具の厚塗りをするモンティセリ・・・

パリ時代のゴッホは、様々な手法にチャレンジしています。
そこには、画家としての試行錯誤な2年間がありました。
絵を見ると、とても幸せな時代だったのかもしれません。


そして、アルルに旅立ちます。
アルルには美人が多い???
パリで、日本の浮世絵を見てその鮮やかさに驚いて・・・日本と近い気候のアルルに引っ越したようです。
そして、南フランスには鮮やかな風景があったからです。


A「ゴッホの黄色」を支える絵具の秘密。
アルルに移り住んだゴッホは、次々と傑作を生み出していきます。

「ひまわり」
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「黄色い家」
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「種まく人」
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中でも黄色は特別な色でした。

テオにも、「クローム・イエローの絵の具を送ってほしい」と、手紙を書いています。

ゴッホの黄色・・・クローム・イエローとは???
19世紀は良く使われていましたが、鉛が入っていて毒性が強いために現在ではあまり使われていません。
質感がしっかりしていて、輝きがあって、立体感も出しやすいクローム・イエロー。
形もきれいに保つことが出来ます。
しかし弱点があります。変色しやすい絵の具なのです。
でも・・・ゴッホの絵は鮮やかです。
どうしてでしょう。 

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分析すると・・・
クローム・イエローにジンク・ホワイトを混ぜることで、鮮やかさを出していたと言われています。
つまり、その技法を知っていたと思われます。

クローム・イエローが変色してしまうのは、顔料の中の鉛が空気中の物質に触れる為で、松脂やマスチックという樹脂を混ぜていたのではないのか???
というのです。
しかし、そんな記述は残っていません。

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今も色あせないゴッホの黄色です。


1890年7月27日
ゴッホは、自らの腹部を撃ち・・・37歳という短い生涯に幕を閉じました。
しかし、彼の残した傑作は、永遠に私たちを感動に誘ってくれます。

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posted by ちゃーちゃん at 08:32| Comment(0) | 追跡者 ザ・プロファイラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月29日

中野竹子さんです。

中野竹子・・・
白虎隊とともに、悲哀の象徴のような人と思っています。

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嘉永3年、会津藩勘定役中野平内とこう子夫妻の長女として江戸に生まれます。
妹の優子とともに美人姉妹として有名で、また学問にも通じ薙刀の名手でもありました。

後に「娘子隊」と呼ばれる女性のみで編成された隊の隊長格にあたる女性です。

慶應4年、容保の義姉である照姫が坂下に逃れたという情報から、照姫を守るために、竹子たちは女性のみの隊を結成。その姿は頭に白羽二重の鉢巻、女物の着物に袴を穿き、手には大小の刀に薙刀。髪をばっさりと切り、男性さながらの姿だったといいます。その姿、中性的だったことから少年の白虎隊と間違われたほどだったと言います。

結局照姫は坂下にはおらず、法界寺に宿泊。
その後、家老の萱野権兵衛に出会い、従軍を申し出ますが、権兵衛は・・・
「女にまで戦わせたとあっては、会津藩はそれほどまでに疲弊しているのかと思われる」
と従軍を拒否。

これに対し竹子は、
「軍に加えて頂けないのであれば、この場で自刃します」
と言い、竹子たちの覚悟を見せつけられた権兵衛は、彼女たちを衝鋒隊の隅へ編入しました。
彼女の薙刀には
「もののふの猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも」
という辞世の句を刻んだ短冊がぶら下げられていたと言います。

竹子は涙橋の戦いで、敵の銃弾を眉間に受けて戦死。。。
妹の優子は
「姉の首を敵に渡すわけにはいかない」
と、竹子の介錯をして、その首を持って落ち延びました。

優子たちはこの後、鶴ヶ城に入って、後方支援を担当。
八重は竹子の母であるこう子と鶴ヶ城の中で会話をしていて「なぜ娘子隊に加わらなかったのか?」と聞かれ「自分は鉄砲で戦うつもりだったから」と答えています。

この、「娘子隊」も、本当に悲しい歴史です。たらーっ(汗)

この女性を、黒木メイサさんが演じてくれます。

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「白虎隊」では、岩崎良美さんでした。
一途で純潔なその姿、殉死するシーンは、今思い出しても涙が出てきます。
あの作品を見た人は、私のように、強烈な思い入れがあると思うなあ。。。
だから、メイサさん、大変だと思います。

ちなみに、私は何回も書いていますが、幕末のジャンヌ・ダルクは山本八重子ではなくて、中野竹子の方が似合っていると思うのですが・・・どうでしょうか???

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女たちの会津戦争 (平凡社新書) [新書] / 星 亮一 (著); 平凡社 (刊)
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posted by ちゃーちゃん at 17:26| Comment(0) | 八重の桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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