1176年、平清盛と後白河法皇との関係をとりもってきた建春門院滋子が急死しました。
最近の清盛さんは、今までと違ってかなり”悪”な部分が出てきております。
後白河法皇との関係も、だんだんと・・・亀裂が大きくなってきたようですが、どうなるのでしょう???
今様を歌う後白河法皇は、滋子のことを思い出しておりますが・・・でた!!乙前。。。
今後の後白河さんの心のよりどころになるかもしれませんね。

徳子「きっと、皇子を産みまする・・・!!」
高倉帝「きっと、授かろう・・・。」
と、滋子の代わりに化け物ふたりの架け橋になろうと・・・健気な二人ですね。

今後も後白河法皇との関係を良好に保つため、高倉天皇の中宮となった清盛の娘・徳子が皇子を産むことを願う清盛だが、徳子に懐妊の兆しはありません。
そこへ、不穏な知らせが。。。
後白河法皇が、仏門に入っていた2人の息子(九の宮・十の宮)を都に呼び戻し、高倉天皇の養子にしたというのです。
それは高倉天皇を政治の場から遠ざけるための布石のように清盛は感じました。
清盛は長男・重盛を後白河法皇のもとへさしむけます。
ああ、ここから重盛の板挟みが始まります。。。

法皇への忠誠心を訴えるとともに、四男・知盛を蔵人頭にするよう頼みましたが、後白河法皇は受け入れません。

「滋子が生きていればのう・・・」と、平家を後押ししてくれる気が無くなったようです。。。
危機感を募らせた清盛は、比叡山の僧・明雲を呼び出し、表向きは千僧供養など・・・
いざというときには力を貸すよう念を押します。
清盛、真っ黒になってきましたよ

「法皇様の力を抑えるために・・・!!」
場所は変わって、伊豆では・・・
おや!!政子が小奇麗になっていますよ。
もしかして、


奢れる平家によって東国武士は虐げられ。。。
年貢の取り立てで人々は困窮しています。
頼朝のことが気になる政子は、頼朝に源氏重代の太刀を見せてくれと懇願していました。
藤九郎「あれは髭切の太刀にござりまする。
源氏の御曹司に代々伝わるモノ・・・」
頼朝 「いらぬことを申すでない」
政子 「見せて下さりませ!!
爪切りにござりまする!!」
頼朝 「髭切じゃ!!」
と、吉本新喜劇お決まりのようなコントも挟んでくれています。

杏ちゃん上手いなあ

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その熱意に押された頼朝は太刀を見せ、強き父・義朝の記憶を話し始めました。
天下無双・・・そんな「武士の世を作りたかった」父も清盛に敗れ、
清盛「遠く伊豆より平氏の繁栄を眺めておれ!!」
伊豆に流された自分にはもはや無念さしか残されていないと語ります。
立ち上がれ、ガンダム!!
![lrg_20040257[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/lrg_200402575B15D-thumbnail2.jpg)
ではなくって・・・
政子「立ち上がれ!!源氏の御曹司!!
このまま朽ち果ててはなりませぬ!!
東国武士の為、立ち上がってくださりませ!!」
頼朝「おなごとは気楽な者じゃな・・・
昨日が今日でも、今日が明日でも、まるで変わらない日々をこの地で過ごす・・・
平家の繁栄を指をくわえて眺めている・・・さよう定めを与えられておるのだ・・・」
政子「昨日が今日でも、今日が明日でも・・・?
頼朝「さようじゃ・・・」
政子「明日が昨日でも・・?
おかしなお方じゃ・・・!!
明日と昨日とは同じにはならぬ!!
昨日は変えられぬが、明日は変えられる!!」
と訴えますが、頼朝は清盛という男の恐ろしさを語るのでした。
1177年、後白河法皇は千僧供養のため福原を訪ねました。
子供たちも出世させてもらって。。。清盛とのわだかまりは消えたかに思えましたが。。。
後白河法皇「もうここへは来ない」
と清盛に告げます。
清盛はいざという時がきたことを覚悟します。
明雲の命を受けた山法師による強訴が起きます。
訴えの内容は、法皇の側近・西光の2人の息子を流罪にせよというもの。。。
加賀守目代である息子・師経が加賀にある比叡山の末寺ともめた際、焼き打ちにしたからです。
まあ、焼き打ちは駄目よね・・・。比叡山が立ち上がったのです。
後白河法皇は重盛に強訴鎮圧を命じます。西光なんかは、お願いしています。

重盛は即座に兵を内裏に配置。さすが、聡明です

清盛と比叡山との良好関係にも配慮し、あくまでおどしをかけるだけにしろと命じます。
「軍勢を見せつけるだけにしろ!!」と、重盛さんカッコよく言いましたが・・・
しかし、兵たちは強訴の集団と衝突する中で、神聖な神輿に矢を射てしまいました。
内裏には矢が刺さった神輿が。。。
作戦失敗です。重盛さん・・・

平家の猛々しさに怖れるお公家さんです。
神罰が下ると恐れる公卿たち。。。
この人たち、ほんと、いい味出しています。

毎回、楽しませてくれるんですよね。

比叡山の要求どおり西光の息子たちを流罪とする決定を下しました。
そして・・・おや・・・成親の元へ、源氏の関係者がやってきましたよ・・・。
重盛は福原の清盛の元へ行き謝罪しましたが、清盛は逆によくやったと重盛をほめます。
そもそも一連の事件は清盛が明雲と仕組んだもの。。。
西光の息子を流罪にして西光の力を削ぎ、西光が仕える後白河法皇の力を削ぐという企てだったのです。
でも、そうさせたのも、後白河法皇も解っていますよ

それでこそ「強敵(とも)

清盛の王家に対する忠誠心を疑問に思う重盛は、清盛に真意を問うと、賽の目は変わるものだとはぐらかすのです。
![img_488829_13785028_1[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/img_488829_13785028_15B15D-thumbnail2.jpg)
でも、きっと、マジメな重盛にはチンプンカンプンです

そして・・・見抜いている後白河法皇は、側近の西光や成親ともども平家に対する憎悪を深めていました。
この事件はすぐに伊豆にも伝わり、改めて平家の恐ろしさを感じた北条時政。。。
政子を呼び出し、平家にゆかりのある家に嫁ぐことをすすめます。
そして京の鞍馬寺でも・・・。
遮那王は僧になるのをためらっていました。
かつて五条大橋で武蔵坊弁慶と出会った際、自分が源義朝の子であることを知ったからです。
う〜ん・・・遮那王を取り上げたのは弁慶なの???
平家を倒そうという弁慶の誘いをその時は断った遮那王でしたが・・・いつまでも心に引っかかっていました。
笙の笛を吹きながら・・・何を思う???頼朝!!
誰もが清盛の力の前に屈するしかなかった。。。
しかし平家への不満は募る一方。。。!!
そんななか、京の鹿ヶ谷にある山荘には平家を憎悪する人々が集まっていました。
その中には西光や成親、そして後白河法皇の姿もあったのです。
法皇「機は熟した・・・!!
これより我ら・・・平家を討つ!!」
そう、鹿ケ谷の陰謀ですね

なんだか、いきなり鹿ケ谷っぽいですが、やっぱり貨幣経済についていけない、土地に縛られていた武士達。。。平家だけが恩恵を受けている時代に、不満大爆発!!です。

最後の山場に・・・佳境に入ってきましたね。

私のお気に入り、重盛さんがどんどん壊れていきます・・・

頑張って!!!
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