まあ、思っていました。もうネタ切れになってきたのかなあ・・・って。
今回は、でも、No,1になった男、徳川慶喜さんです。
![00019_l[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/00019_l5B15D-thumbnail2.jpg)
慶喜が第15代将軍となったのは、慶応2年、時代は大きなうねりの中にいました。
日米修好通商条約、開国・・・国論が真っ二つに分かれる中、幕府は弱体化・・・
倒幕・尊皇攘夷が声高に叫ばれ始めました。
その中心には、公家の岩倉具視、薩摩・長州・土佐が出入りをし、天皇を中心とする政治を目論んでいました。
徳川幕府最大の危機・・・
自らの手で未曽有の決断をします。
慶喜には謎が2つあります。
@徳川家康から続いた260年に及ぶ天下を・・・大政奉還しようということ。
どうして自ら大政奉還したのか???
A戊辰戦争を・・・なぜ戦いを放棄したのか???
その時、慶喜は何を考えていたのでしょうか?
揺れ動く幕末の日本にあって、一番悩んだ人かも知れません。
徳川家茂のNo,2からNo,1へとなった男。
その男が描いた国のあるべき姿とは?
「なりたかった」将軍と、
「なりとうはなかった」将軍・・・
13代将軍家定が、頼りにならなくなった混迷の世・・・
@年長 A英明 B人望
を条件に将軍を選ぼうとします。
それは・・・
一橋慶喜(21歳)VS徳川慶福(13歳)でした。
慶喜は、20歳を超えてインテリ、将軍候補に擁立されますが、井伊大老が推薦したのが慶福でした。
慶喜ははNo,2として働き始めます。
慶喜は、天保8年徳川斉昭の7男として江戸・小石川に生まれます。
斉昭は烈公と呼ばれる攘夷派、慶喜が2歳になると水戸学を学ばせました。
11歳となった慶喜のもとに、一橋の養子になる話が持ち上がります。
御三卿は、将軍になれる血筋・・・息子が将軍になれるかもしれない!!
たびたび将軍候補に挙げられましたが、1862年家茂の将軍後見職となります。
この時から、ナンバー2として頭角を現します。
どうして大政奉還をしたのか???
それは、慶喜が水戸学を学んでいたから・・・
戊辰戦争を放棄したのは、江戸の人々を救いたかったから・・・
帝王学に基づいた、水戸学・・・
慶喜が将軍ではなく、天皇のNo,2となった瞬間でした。
今回で終わりになってしまいました。
この最終回に関しては今までTHEナンバー2でやった、岩倉具視・勝海舟・小栗上野介なんかを観るとよく解るのかなあ・・・って思います。
毎週楽しみにしていたので、とっても寂しいですが・・・
徳川慶喜が大政奉還したように、THEナンバー2も、粋な計らいをしてくれました。

次回からの番組も、歴史物みたいです。

楽しみにして1週間過ごします。


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