2012年09月13日

忠義を果たした赤穂藩家老〜大石内蔵助〜

元禄15年(1702年)12月14日

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「狙うは殿 浅野内匠頭の敵
 吉良上野介の御首のみ!!」

赤穂藩筆頭家老大石内蔵助をはじめ四十七士が討ちいったのが“忠臣蔵”。
その忠義のための義の心が、今も日本人の心を掴んで離しません。
この事件の中心人物が、浅野内匠頭のNo,2大石内蔵助です。

大石内蔵助は、赤穂藩代々の家老の家に生まれました。

21歳の若さで家老となり、筆頭家老として22年間その座にありました。
そして・・・昼行灯と呼ばれていました。

元禄14年3月14日・・・大事件が起こります。
江戸城内松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に突然斬りかかったのです。

浅野内匠頭は、将軍綱吉の怒りを買い、即日切腹。。。
お家断絶となりました。
その知らせを聞いた内蔵助は愕然とし・・・

しかし、なぜ浅野内匠頭が斬りかかったのか・・・
その理由は300年たった今もわかりません。
意地悪説・賄賂拒否説・・・


しかし、新たな説が出てきました。
その謎が解明されたとき、赤穂浪士が討ち入りました???

江戸時代から親しまれてきた「仮名手本忠臣蔵」。
なぜこのようなタイトルなのでしょうか?
仮名・・・つまり、“四十七文字”手本忠臣蔵ということです。

では、どうして忠臣蔵?
吉良を炭蔵で見つけたから、とか、忠臣たちが蔵に詰まっているからとか言われています。


加藤廣さんが、広い視野で考えてくれました。

謎手本忠臣蔵〈上〉 (新潮文庫) [文庫] / 加藤 廣 (著); 新潮社 (刊)
謎手本忠臣蔵〈上〉 (新潮文庫) [文庫] / 加藤 廣 (著); 新潮社 (刊)
なぜ浅野内匠頭は、刃傷沙汰に及んだのでしょう??
刃傷沙汰の2週間前・・・

元禄14年2月28日
五代将軍綱吉のお側用人筆頭柳沢吉保のもとにやってきたのは、幕府の朝廷外交を一気に預かる肝いり・吉良上野介。

吉保は4年前に作成した桂一計画の進行度合いを聞くために呼んだのでした。
桂一計画とは・・・綱吉の母・桂昌院に女性の最高位である従一位を取らせることでした。
朝廷は、ここ数年、これを渋っていたのです。
出来なければ、腹を切るしかない吉保でした。


元禄14年3月14日
この日は、江戸城内で、綱吉が朝廷の勅使に御礼を述べて、勅使を送り出す・・・
そんな大切な日でした。

浅野内匠頭は、朝廷の勅使を接待する“勅使供応役”を任命されていました。
勅使は10時にやってきます。

そんな9時に。。。事件は起こりました。

儀式に向かう吉良・・・突然浅野内匠頭が斬りかかりました。
こんないざこざが朝廷の耳に入れば・・・
不安がよぎる吉保・・・

桂一計画に暗雲が立ち込めます。
浅野内匠頭は、大番所に留め置かれます。
「その方、場所もわきまえずに吉良に刃傷沙汰に及んだのはどのようなつもりであったのか???」

浅野内匠頭「吉良には、私的な遺恨があったので刃傷に及びました。」

吉良上野介「拙者何の恨みも受ける覚えはなく内匠頭の乱心と思われます。」

結局、吉良は何の責任も取ることはなく・・・内匠頭は即日切腹という異例の処分が下されました。
35年の生涯が閉じられたのです。

吉保は、忍びの黒鍬組から意外な知らせを受けます。内匠頭の妻阿久利は、夫が吉良に恨みがあったことを知っていたのです。

桂一計画が裏にあるのでは・・・?
つまり、幕府のNo,2・柳沢吉保と赤穂藩のNo,2大石内蔵助の戦いがあるというのです。

幕府は密偵を放って、諸藩のことは調べ上げていました。
だから、柳沢は大石を知っていました。
柳沢は幕府では怖い存在で、側用人として主君のそばに仕え、全てのことに携わっていました。
江戸幕府では、将軍側近の実質的な最高職だったのです。


昼行灯の大石内蔵助が輝く日がやってきました。
元禄14年3月19日、松の廊下事件から5日後・・・浅野大学からの手紙を受け取ります。

「今14日、殿中において吉良上野介殿を内匠頭様一太刀切りつけのところ内匠頭様命の別状これなき由・・・」

今回の殿の所業は、痞(さしこみの一種)による突発的発作によるものと思われた・・・

最後に。。。
「札座のことよろしく申し付けられるべく候」
とありました。

大きな不安がよぎりました。

昼行灯がNo,2として大きく動き出します。
内蔵助が最初に手を付けたのが、藩札の換金でした。
当時、大名家が断絶の場合、藩札の換金率は、3割から5割・・・引き換えなしという場合もありました。

領民の動揺を抑えるために、6割で換金しました。
また、300近い藩士の数を抑えること。
このままでは、混乱が起きる・・・。

江戸から早籠が届きました。
「14日即日ご切腹とお家取り潰しでござる」

内蔵助は・・・突発的発作事件ではないかも知れない・・・

3月19日・・・
赤穂上籠城と徹底抗戦と、全員の自決・・・第3の道を探す時間があまりにも短すぎ・・・

翌20日。
城を枕に自決することを藩士に提案します。
そこに、黒鍬組がいることを知ってのことでした。

2日後、赤穂城から藩士がめっきり減りました。
本当に残った忠臣たち・・・そこで、残った藩士に退職金を分配しました。
しかし、内蔵助は思っていました。なぜ刀を抜いたのか・・・本当のことがわかるまでは死ねない・・・と。


元禄14年3月26日夕刻・・・第三の使者が・・・
殿は切腹に対しても、庭先で・・・一般人と同じ扱いを受けたことを知ります。
当時、大名の切腹は、室内ですることになっていました。

そして、遺言は・・・
「これまでのことは、かねてから知らせようと思っていたが
 今日せっぱ詰まったことなので知らせることが出来ない
 不信に思うかもしれぬが・・・」

内蔵助は衝撃を受けました。
吉良との間に何かあったに違いない・・・
妻の阿久利様に会うために、江戸に向かいます。

そしてそのことは、黒鍬組を通じて柳沢には筒抜けでした。

江戸・赤坂にある屋敷にて阿久利様から聞きます。・・・

吉良に、「これは、田舎大名が口をはさむことではない」と言われたとか・・・

殿の言われたこれとはなんであろうか・・・
じっと考える・・・

黒鍬組からそのことを聞いた柳沢吉保は・・・
それは、桂昌院の従一位のことでは???と思ったとか。

つまり、吉良は浅野内蔵助に桂一計画を自慢げに話したのではないか???
あるいは浅野内蔵助が桂一計画に対して警告したのかもしれない・・・

それに対して、田舎大名が口をはさむことではないと言ったのではなかったか???

その後、桂昌院には従一位が、柳沢吉保には2万石の加増が・・・
内蔵助の言ったことは・・・
朝廷思いの内蔵助が、幕府の横暴に口出しし、その先鋒の吉良を咎め、言い争いになったのではないか???


松の廊下から9か月・・・
吉良への復讐に、準備が始まりました。

隠居した高家を深川に追い出した柳沢・・・
桂一計画が達成された今、大石の仇討に協力するかのような行為でした。
「やるなら江戸のど真ん中ではなく深川でやれ」と言ってるかのようでした。


討ち入りの時期と手段は???

討ち入り作戦其の一。
急進派(堀部安兵衛ら)の説得。
「十分な準備なくして討ち入りを急いでは必ず失敗する
 下手な大工仕事と同じよ」

安兵衛は激怒!!
そこで内蔵助は、同志を京都・丸山に集めます。
会議の直前、安兵衛のことは、黒鍬組に筒抜けだということを知らせました。
安兵衛は反省し、内蔵助に忠誠を誓うことになります。

討ち入り作戦其の二。
決意表明。
大石の決意表明に、万感胸に迫る藩士たち・・・一つにまとまります。

討ち入り作戦其の三。
意思の確認。
「筆頭家老大石殿には、重ね重ねの屈辱的処分に対しても
 反発はおろか復讐のお気持ちすら見せませぬ
 ただただ女遊びにうつつを抜かす有様・・・」

といって、怒り狂うものに対してだけ討ち入りの決定をあかし・・・江戸へと向かう準備をします。その数、50人ばかり。。。

頭を悩ませたのが、武具でした。
資金がありません。
瑶泉院に用立ててもらったり・・・暗闇でも目立たないように、黒っぽい同じものに・・・
防具は脇楯、手には籠手、足には脛当、頭には針金入りの頭巾をつけました。

元禄15年10月7日。
江戸に向けて、京都を出発しました。
同志たちは、続々と江戸に集結。

12月2日。
赤穂浪士たちは、深川八幡の茶屋で策を練りました。
上野介の寝所を探ります。

しかし・・・
幕府は、吉良上野介の米沢隠棲願いをご裁可します。
米沢に行かれては、仇討もままならない・・・・・。

12月14日、年忘れ茶会の日に決定します。
浪士は47人。

12月14日・・・あれから1年9か月が経っていました。

そして、この物語は、時代を超えて忠義の物語として語り継がれることになります。
討ち入りの翌年、16年2月4日、赤穂浪士たちはそれぞれのお預け先の大名家で切腹します。
そして、浅野内匠頭の眠る泉岳寺へ・・・

この時代、おとり潰しになった大名は248にも上ります。
しかし、赤穂浪士だけが忠義を全うしました。


う〜ん・・・どうでしょうか???
どうして浅野内匠頭が切りつけたのか?やっぱり闇のなかでしょう???
大石が”皇室崇拝の祖父に育てられた”という部分で、朝廷方の考えがあったかもしれませんが、浅野内匠頭がそんなに朝廷のことを思っていたのかはわからないし、そうでないとこの話も始まらないので・・・

やっぱり真相はやぶの中でしょうか・・・???
ただ言えることは、今でもいろいろな考え方が出てくるのは、やっぱり人気があるからなのでしょうね。黒ハート

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みなさんは、どの意見が良いでしょう???

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まあ、
posted by ちゃーちゃん at 13:48| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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