2012年09月08日

第34回 「白河院の伝言」

そうそう、前回から倒れてしまっていました。

大変です!!清盛!!


今回は、今までのおさらいのようでしたよ。
最終章である没落に向かっての覚悟でしょうか???


薬師の診断で原因は寸白と判明しました。
でも、原因不明の病気は、みんなこれだったのでは???
あとは、怨霊とかね。そうそう崇徳さんの。。。


手元の薬では治せず、祈るよりほかに手だてはありません。

「騒ぐでない!!」

万一の事態も覚悟し、今は落ち着いてなすべきことをせよと、時子は一門に命じました。
なんだか時子も夢見る夢子ちゃんではなくなって、貫録も出てきたでしょうか???

そして、清盛危篤の知らせは、たちまち都のみならず、源頼朝の暮らす伊豆にまで届きました。

「みまかられるだと?? 
 あのお方が・・・
 さようなことには断じてならぬ・・・
 この暮らしが変わる日など、永久に訪れぬのだ・・・」

まさに、世捨て人のようになってしまっています。
ここから、どう奮起するのか、楽しみですね。黒ハート

藤原基房・兼実兄弟が、なんだか怪しい謀を練っています。
以仁に肩入れするつもりのよう。。。



后の滋子とともに熊野詣でに向かう途上の後白河上皇・・・
おできを治すための熊野詣のようです。
大枚はたいてそんなことの為に???あせあせ(飛び散る汗)


そして、死の淵をさまよう清盛・・・
夢を見ているようです。
自分の出生の秘密を・・・

そして・・・清盛の危篤は、貴族だけではなく日本の武士たちをも巻き込んでいきます。
平家の繁栄は、清盛あってのこと・・・
それを、誰もが感じていました。


場面変わって、後白河上皇の一行は、この一大事に御所を空けていては危ういと判断し、京へとってかえしますが、その途上で大雨に見舞われ、足止めを食らっていました。


清盛が倒れ、上皇が熊野詣・・・
その隙に、強訴の動きが・・・

清盛が回復するまで一時的に長男・重盛が平家を率いることになっっていましたが。。。
しかし時子の弟・時忠は三男・宗盛に、清盛が亡くなった場合は棟梁になれとけしかけています。
そうそう、重盛は、時子の子供ではなかったですね。。。
鉄壁に見えた平家一門にかすかな亀裂の兆しが見え始めていました。
ほんと、時忠・・・流罪で良かったんじゃないの???

この重盛は、ほんと、平氏の良心なんだから!!!
文武両道、清盛が一番頼りにしていた人なのよ!!


そして、ちょこちょこ入ってくる白河院のシーン・・・
まさに、教科書のように入れてきましたね。
平家物語第一巻の・・・
「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」
ですあせあせ(飛び散る汗)

ほんと、怪しい陰陽師の祈祷の中・・・
ここからほんとに回想シーン。
舞子が殺されるまでがず〜っと。。。
まるで、清盛に見せたい白河院のようです。


一方、どうにも落ち着かない後白河法皇。

「怖いのじゃ、清盛がおらぬようになってしまうことが・・・
 清盛のあの挑むような目。
 あの目を見ると、安堵するのじゃ。。。
 この世にわしの務めがある・・・
 生きることを許されておる・・・そう思えるのじゃ・・・」


と・・・滋子に告白黒ハートする後白河法皇。

やっぱり清盛が心配なのね。黒ハート
飛び出していこうとしますが、賀茂川の水があふれて通れません。。。
山法師たちの強訴・・・

家来たちを振り切って、走り出す後白河上皇がいました。揺れるハート



母を射殺された事実・・・

そんな光景を見た清盛は、母を殺された怒りを押さえきれず、夢の中で白河法皇にぶつけます。
白河院が清盛に問います。

「どうじゃ・・・太政大臣の座の座り心地は。」

「早々に明け渡しました。あまり良い心地がしませなんだゆえ・・・」

わしが院による政を始めたと同じようなものじゃ・・・
 やはり流れておるのう・・・もののけの血が」



保元の乱の時の悲劇を訴えます。
まだ、しこりのように残っているようです。
友の死・・・叔父の死が・・・

「私を上へ上へと駆り立てるのは、この身に流れるもののけの血ではござりませぬ。。。
 この身に浴びてきた血こそが・・・そうさせるのです!!」


「そちはまだ知らぬ。。。
 登りきった、その果ての景色を」

なんだか、カッコいいですが、難しい話です。。。

「何が見えるというのです。
 登り切った先に・・・」

「それを振って見ればわかる・・・
 それを振って、わしに追いつけば・・・」
そう言って、白河院が寄越したのは、双六のサイコロでした。

そして、清盛・・・

「私はあなた様を、追い越してみせまする」

夢から覚めた清盛の前には、後白河上皇が泥と雨にまみれながら立っていました。

後白河上皇は好敵手(ライバル)としての清盛の生還を喜んでいる・・・
そんな上皇に向かい、お互い双六あそびがまだ終わっていないため、まだ死ぬわけにはいかないと清盛は告げました。

「この死にぞこないが!!」
黒ハート黒ハート黒ハートとっても嬉しそうな後白河上皇です。黒ハート黒ハート黒ハート

泣いてますよ・・・。
そして・・・その時、首の後ろにあったはずのできものがなくなっていたことに気づきます。
気持ち的には、少年漫画ですから、一心同体なんでしょうね。

そんな清盛の手にはサイコロが握られていました。

元気に帰ってきたものの・・・
平家の中には、なんだか不穏な空気が漂っています。

源義朝が残した二人の子らはそれぞれ岐路を迎えていました。
常盤は牛若に、鞍馬に行き寺に入るように命じます。
また伊豆で失意の日々を送っていた頼朝には、運命の女性・政子との出会いが迫っていました。

20120106184132_02_400[1].jpg

ほんと、政子はこんな感じだったのでしょうか???
なんだか???はいっぱいつきますが、でも、これからの政子を見ると、卑弥呼もびっくりな人には違いありません黒ハート

ほんと、楽しみです。黒ハート

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posted by ちゃーちゃん at 17:14| Comment(0) | 平清盛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

城下町へ行こう!「岡崎の城下町(愛知県)」

岡崎は、家康と三河武士の故郷です。
その魅力と不思議とは???

愛知県岡崎市は、人口37万8827人、面積は387.24㎢、特産は花火と石製品です。
矢作川と乙川が合流する物資輸送の要であり、東海道で3番目に大きい宿場町、江戸時代から大きな賑わいがあり交通の要所でした。

okazaki-castle3[1].jpg

岡崎城は、徳川家康出生の城です。
岡崎城の歴史は古く、現在の地に城が築かれたのは、松平宗家三代目当主・松平信光です。
松平氏の発祥は、三河国・松平郷。現在の豊田市です。
戦国の時代から代々松平氏によって治められていました。

そんな松平宗家八代目当主松平広忠に1542年嫡男誕生。これが、武千代・・・のちの家康です。

しかし時は戦国、周りには・・・
今川義元23歳・武田信玄22歳・上杉謙信13歳・織田信長9歳・豊臣秀吉7歳・・・
隙あらば天下を!!と、天下を狙っていました。
時代に翻弄されながら、激動の人生を生きた家康の原点が、この岡崎にはありました。

岡崎城・・・
今から470年前の12月26日、岡崎城で生まれたのが、天下人徳川家康。
家康は、待ち望まれた英雄でした。

家康誕生伝説
家康公が生まれたときに、井戸から竜が立ち上ったといわれています。
龍城神社の社記には・・・
「英雄児の生まれいずるを待つが如く
 城楼の上に雲を呼び
 風を招く金隣の龍を見たりと云う」

龍の立ち上った伝説の城“龍ヶ城”とも呼ばれています。
龍伝説は英雄の証。。。
家臣たちから、それだけの期待を受けていました。

しかし、岡崎での生活は短く・・・
6歳のころから近隣の国の人質となることになります。
織田で2年、今川で11年・・・人質として過酷な少年時代を過ごしました。


岡崎城の土塀の瓦には・・・
変わった三つ葉葵がありました。これは、岡崎にしかない徳川の家紋です。

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そもそも三つ葉葵は松平家を合わせると・・・30種類ぐらいあります。

有名な徳川宗家・水戸徳川家・尾張徳川家・紀伊徳川家

img_491507_22701299_4[1].jpg

葉脈の数や形に違いがあります。
比べてみると様々です。

しかし、岡崎城の三つ葉葵は、シンプルさが際立っています。
これは、家康が自らデザインされたものだと言われ、後の三つ葉葵のルーツとされています。


城下町には、八丁味噌屋さんが。。。
八丁味噌は、名古屋のモノではなく・・・岡崎のものです。
岡崎城から西へ八丁のところにある八帖町(八丁村)で作られていたから八丁味噌なのだそうです。
江戸時代から八丁味噌を作っているのは、“まるや”さんと“カクキュー”さんです。
昔から変わらない製法を守っているそうです。

[まるや八丁味噌] 赤だし味噌 化粧樽詰 AK-30 / 株式会社まるや八丁味噌
[まるや八丁味噌] 赤だし味噌 化粧樽詰 AK-30 / 株式会社まるや八丁味噌

家康公も、子供のころに食べたといわれています。
杉桶の上にたくさん積まれた石・・・
杉桶に6トンの味噌を仕込み、3トンの重石を乗せるのだそうです。
二夏二冬・・・二年間じっくりと熟成させます。
重石を円錐状に積み上げることで、味噌に均等に圧力が加えられます。
代々受け継がれてきた技の遺産です。

家康は、八丁味噌で天下を取ったといわれています。
戦国時代、天下統一を目指す家康率いる三河軍団は、戦いに明け暮れていました。
その戦場で八丁味噌が、戦の栄養補給源として配られていたのです。


寺町では・・・
家康公ゆかりのお寺がありました。
三つ葉葵を抱いた荘厳なお寺・・・大樹寺です。
永禄3年5月19日桶狭間の戦いで・・・
この時家康は19歳、今川の家臣として参加していました。
義元が討たれたことを知り退却します。

敗軍の将となった家康が向かったのが、大樹寺でした。
家康が、ここを死に場所と決め、腹を切ろうとしていたまさにその時・・・
寺の住職・登誉上人が現れ・・・

「厭離穢土 欣求浄土」

意味は・・・
苦悩の多い汚れたこの世を
厭い離れたいと願い
心から欣んで
平和な極楽浄土を冀うこと」

それは、家康の運命を変えた言葉でした。

戦のない平和な世を創ること・・・
その言葉に救われ、天下統一の道を進むことになります。
戦のない、天下泰平の世。天下人その原点がこの大樹寺なのです。
そして、この大樹寺の山門から総門を通して岡崎城をみることが出来ます。
およそ3キロの直線、ビスタラインと呼ばれています。

山門が完成したのが、1641年三代将軍家光のころでした。
以来、この眺望は、市民によって守られ続けています。
400年近く守られた眺望・・・それは、家康が今も愛されているからです。

そしてここは、江戸花火・三河花火の発祥の地です。

天下統一後の家康は、鉄砲や火薬の製造を厳しく制限していましたが、三河だけには生産を許していました。
平和な世になって、鉄砲や火薬を作っていた職人たちが、花火職人へと変わっていったのです。
人を殺めるものが、人を喜ばせる花火へと変化したのです。


私は関西の人間なので、どうしても”太閤さん”ですが、この岡崎の人たちは、神君家康公を愛し、家康公とともに400年も過ごしていました。
そう、岡崎での家康公は、狸おやじではなかったですよ。黒ハート

名古屋限定まるや・八丁味噌饅頭(小)【お土産に】【名古屋土産】
名古屋限定まるや・八丁味噌饅頭(小)【お土産に】【名古屋土産】

【まるや八丁味噌】山ごぼう味噌漬 170g【お土産】【みそ】【その他】【岡崎・額田】【RCP1209mara】【Marathon05P05Sep12】【マラソンsep12_東海北陸甲信越】
【まるや八丁味噌】山ごぼう味噌漬 170g【お土産】【みそ】【その他】【岡崎・額田】【RCP1...

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