2012年08月21日

池上彰の戦争を考えるSP

ちょっと前にやっていました。

子供が夏休みなので、なかなかまとまった時間が取れません。あせあせ(飛び散る汗)
今日は登校日。子供も久々のお友達で楽しいでしょう。揺れるハート

今から67年前、日本は戦争をしていました。
改めて、戦争について考えます。


池上彰の戦争を考える〜戦争はなぜ始まりどう終わるのか〜 [DVD] / 池上彰, 大江麻理子, 長谷川京子, 峰竜太, 麻木久仁子 (出演)
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テーマは、「熱狂」と、「独裁」。。。

日本を戦争へと突き動かした熱狂とは???

熱狂が生んだ独裁者「ヒトラー」
そして、それが、戦争に向かって国を突き動かす原動力となります。


日本を戦争へと導いた「独裁者」は???
戦争責任を取ったのは、東條英機ですが・・・


しかし、日本にはあまり独裁者というイメージがありません。

しかし、戦中・戦後の庶民の生活を見ると・・・

統制下の暮らしでは・・・

昭和14年9月1日「興亜奉公日」が始まります。
毎月1日は、アジアの発展の為に質素に暮らし、神社参拝・勤労奉仕などをしました。

臨時召集令状「赤紙」で招集されれば、誰もが兵士となりました。
当時、銃は天皇からの賜りものとされ、厳粛に賜りそれを持って戦地へと向かいました。

日中全面戦争が始まると、兵隊を急激に増やし、真珠湾攻撃時には241万人、その後赤紙を大量に発行し、終戦時には700万人を超えたと言われています。
戦地では兵士の数が足りず、人々は、訓練もそこそこに戦地へと送られました。


銃後の備えと空襲・・・
銃後とは、直接戦争に関わっていない一般国民や日本国内のことですが。。。
「大日本国防婦人会」「愛国婦人会」などがあり、みんな夫や父親が戦地へ行っている間、日本国内を守ろうとしました。

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戦時中は、経済を支えていたのは女性でした。

選炭・・・石炭の品質や粒子の大きさに応じて分別。
しかし、男たちが居なくなると、石炭堀まで担いました。
農場でも女性が・・・
軍需工場にも・・・
かなり危険な作業もしました。
12歳以上40歳未満の未婚女性は、「女子挺身隊」として1年間の就労が義務付けられていました。

「欲しがりません 勝つまでは」
これは、昭和17年大政翼賛会と新聞社が募集した標語の入選作です。
そう、新聞社が募集したのです。


戦中の、学童・学徒は・・・

昔は小学校は「尋常小学校」と呼ばれていました。
しかし、昭和16年には「国民学校」となります。
良き国民を育てる学校・・・
お国の為に命を投げ出せる国民を・・・。

子供たちも、労働力になっていきます。
「勤労動員」です。

昭和16年国民勤労報国協力令により、子供たちが軍需生産に努めるようになります。
昭和20年3月には、国民学校が1年間休校となり、生徒たちは軍需工場に動員されます。
軍服を縫う女学生たち。
それ以外に、戦闘機の木製燃料補助タンクも・・・
7月には、全国で343万人が動員され、不慣れな作業事故で亡くなった人が6万にいたといわれています。


「石油の一滴は 血の一滴」

当時日本は、石油の輸入量の3/4をアメリカに頼っていました。
そのアメリカを敵に回したことで、石油はほとんど入ってきませんでした。
昭和16年には乗用車のガソリン使用禁止。
代わりに登場したのが木炭自動車でした。


「敵性語」
アナウンサー=放送員
レコード=音盤
コロッケ=油揚げ肉饅頭

外来語は、日本語に置き換えられました。
野球では・・・
ストライク=よし
ボール=一つ
アウト=ひけ
ファウル=だめ
です。


熱狂した日本の”息苦しい生活”とはどんなものだったのでしょうか?

鉄や皮は足りないので湯たんぽは陶器製。
アメリカは、夜に爆撃しました。空襲を防ぐため灯火管制をして、明かりが漏れないようにしていました。
昭和19年には空襲が本格化、200都市以上、死者は55万人にも上りました。

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ガラスにはテープが張られています。
爆風で、ガラスが飛び散らないようにしてあるのです。


ラジオは欠かせません。
「勝った、勝った、また勝った。」
新聞も号外を出します。
日中戦争をきっかけに、ラジオが普及し、新聞を取るようになっていました。

ラジオから、日本軍の連戦連勝が伝えられます。
しかし、国内の暮らしは厳しさを増していきます。

昭和15年配給制開始。
さらに食料不足が深刻化し・・・
都会の真ん中に畑「決戦農園」・・・運動場にも畑が作られました。
空き地という空き地が農地となりました。

昭和16年金属類回収令。
戦闘機や銃にするため、家庭にも鍋・釜の供出が求められました。
「家庭鉱脈」です。
昭和17年5月には、お寺の鐘や仏具なども供出の対象となりました。
お国の為に・・・

また、隣組が作られます。
町内会の下に作られた地域組織で、配給・互助・自警などに当たりました。
空襲に備えて防空訓練が行われるようになります。
戦時下の連帯責任を担い、参加しない人は”非国民”のレッテルを貼られてしまいました。
そして、結果的に監視し合って戦争への道を進むのです。


さらに、人々におそれられたのが憲兵でした。
憲兵は、陸軍所属の軍事警察です。
軍隊内の秩序維持が目的でしたが、次第に一般化し・・・一般人の生活も取り締まるようになります。

それが当たり前の時代でした。


そして、その人たちを煽ったのが”マスコミ”です。

大本営の発表をそのまま発表しました。
どうしてこのように発表したのでしょうか?

そこには大阪朝日新聞の不買運動がありました。
戦前、日本の軍備を縮小すべきだと報道
中国大陸に進出していく日本軍を批判したのですが・・・

結果は・・・
「みんなで戦っている時に軍部を批判するとは何事か!!」
と、読者がいなくなってしまいます。
発行部数が激減した事件です。

国民が、”そう書かない新聞”は買わないと判断したのでした。
それが、右へ習え・・・になっていったのです。


その批判は、今のマスコミでも同じことが起こります。
国民の人気のある人を”マスコミが叩く”と同じような結果になるそうです。



今日はゆっくりレポートできると思ったのですが・・・
用事が出来てしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

続きはまた今度ゆっくり・・・


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posted by ちゃーちゃん at 09:33| Comment(0) | 池上彰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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