2012年08月22日

池上彰の戦争を考えるSP・・・続きB

独裁者カダフィの政権崩壊の真実。。。

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中東にも有名な独裁者がいます。

もともと国民に熱狂的な支持を得ていたムアンマル・カダフィです。
去年、無残な姿で死亡しました。

2011年2月に始まった武力衝突の結果・・・自由を求めた反政府側の勝利となりました。
42年にわたったカダフィ独裁政権が終わりを告げた瞬間でした。

始まりは私の生まれた1969年。
カダフィは、無血クーデターによって政権を掌握しました。
若き指導者に民衆が沸きました。

2009年9月、国連総会で初の演説を行います。
「常任理事国だけが拒否権を持つのは国連憲章に反する」
と、強烈に批判しました。

カダフィはこう呼ばれました。“アラブの狂犬”と・・・。

そして2011年10月20日。
衝撃の映像が・・・

アフリカの王の中の王と呼ばれた独裁者・カダフィが、生まれ故郷で最期を迎えました。


このアラブの春、きっかけは、チュニジアでした。
ジャスミン革命です。
警察からひどい仕打ちを受けた若者が自殺したことに始まります。
自殺・・・それを、許されないイスラム教徒には衝撃的なことだったのです。

フェイスブックで民主化運動が広がり、2011年1月ベンアリ大統領が国外に脱出し、23年に及ぶ独裁体制が崩壊しました。


「長期独裁政権でも、民主化できるんだ!!」

と、人々は考えます。


次々と民主化運動がおこります。
エジプトでも、30年以上独裁政権を行っていたムバラク大統領が、2011年2月に失脚します。

そこに挟まれたリビアにも飛び火しましたが。。。

独裁が終わったからと言って、終わりではありません。
独裁者のいなくなっていたチュニジアはどうなっているのでしょうか???


カダフィ政権当時、北アフリカの北朝鮮と呼ばれていたリビア。

首都・トリポリでは・・・

街の至る所に新しいリビアの国旗が掲げられています。
この旗は、カダフィがクーデターを起こす前に使用されていた王権時代の国旗です。
反カダフィを宣言しています。

カダフィの肖像画は取り払われています。
しかし、お札にはカダフィが残っています。

トリポリの中心「緑の広場」は「殉教者広場」と呼ばれるようになりました。
カダフィタワーは、トリポリタワーと名称が変わりました。
町のそこかしこにカダフィを批判する風刺画落書きがります。

トリポリの街には弾痕がたくさん残っています。
一年前の戦いは、一般市民を巻き添えに、死者約5万人に達しました。


今年の7月に、60年ぶりの選挙がありました。
血で贖った選挙権です。
投票率は60%。


反カダフィで立ち上がった人たちは・・・
@チュニジア・エジプトでの革命
Aフェイスブックでの呼びかけ
B40年以上にわたる生活への不満
42年に及ぶ独裁から逃れるために、一般市民が銃を手にしました。
「勝利」か「死」それしかありませんでした。
が、もう迷彩服は必要ありません。


しかし、独裁政権の歪が出てきています。
「差別される人々」が、カダフィの自宅近くに住んでいます。
もともとカダフィに近いところにいた人たちです。
住むところがないのでここに住んでいるそうです。

カダフィ政権が倒れ、自由は手にしましたが、医療や福祉が手付かずです。
過去の思想のせいで差別されているのです。
「カダフィ側の人間だ・・・」と。


カダフィ政権、圧政の象徴と言われたアブ・サリム刑務所では。。。
多くの政治犯が収容されていました。

1996年には、ここで囚人の大虐殺がありました。
あまりに待遇が悪いことに起こった囚人が、待遇改善を求めて抗議したのです。
1200人以上の囚人が、銃殺されるという結果におわりました。

虐殺された1200人の遺体は、仮埋葬され掘り出され、砕かれ、跡形もなく焼かれてしまいました。

想像を絶する世界です。
しかし、明るみに出たのは2009年でした。


カダフィ政権崩壊の始まりは、2009年でした。
この虐殺の遺族の代理人を務めていた弁護士が拘束されたのです。
それを機に、遺族たちのデモが起こりました。
当時のリビアでは、死に値します。
それをきっかけに、民衆蜂起がおこったのです。
1200人以上の死は、無駄ではなかったのでしょう。


40年もの独裁後のリビア・・・。
この先どうすればいいのでしょう???


カダフィが書いた唯一の本「緑の書」
ここにはカダフィ独自の考えがのっています。
自らの政治哲学であるアラブ民族主義です。
国家の域を超えてアラブ一体性を実現しようとする運動です。



リビアでは、「緑の書」が教科書として使われていました。
が・・・
学校では、カダフィの思想がモチーフになっている本はすべて処分されました。
この本に対して教師たちも矛盾を感じていたそうです。
しかしこの本が、基本だったのです。

「あれはカダフィの思想であって私たちの思想ではない」

そう教えているそうです。

子供たちは・・・「緑の書は正しくない」と思っているようです。
自由とは、恐怖を感じずに、好きなことをして好きなことが言えることだそうです。


国営放送局では・・・
カダフィ政権時代は、カダフィの宣伝をする放送局でしたが・・・
どう変わったのでしょう?

革命が始まると、幹部たちは危険を察知したのか全員辞任しました。
革命前には、自由な放送がなく、監視されていました。
これからの放送局の役割は、「スポットライトを一人の人に当てないこと」だそうです。


海軍基地では・・・
かつてはカダフィの軍隊でした。
兵士たちは・・・愛国心・未来のために立ち上がった若者がいました。

何万人もの命の犠牲の上に成り立った自由・・・そこには新たな熱狂がありました。


独裁政権によって、40年間リビアは世界から立ち遅れてしまいました。
この40年間を取り返さなければいけないんだ!!
と、思っているそうです。

これからどう追いついてくるのでしょう?


エジプトではイスラム原理主義的な勢力が強い力を持って、軍部と対立しています。
しかし、リビアでは、民主化運動をした人たちが、議会で進出しました。
ほかの国に比べると穏健的です。

しかし、新たな熱狂が生まれるかもしれません。


その時は英雄だった人たち。。。
熱狂すると危険なことが起こる。。。
一人一人がよく考えることが必要です。

日本国憲法の前文には、
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

とあります。

この精神が大切だということでした。


これが当たり前の生活だと思っていた時代、一丸となって敵に向かって突き進む、いつの時代にもあり得る熱狂だということです。



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池上彰の戦争を考えるSP・・・続きA。

世界を熱狂させた人物。。。
20世紀最大の独裁者“アドルフ・ヒトラー”

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熱狂から生まれた独裁者です。

20世紀以降の独裁者と戦争について・・・

イタリアのムッソリーニ、ファシズムの創始者です。
ヒトラーと手を組みました。

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ルーマニアには、ニコラエ・チャウシェスクがいます。
国を強くするために、子供は5人以上産めと指示しました。

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ソビエト連邦のヨシフ・スターリン。
「血の粛清」を行いました。
とにかく怪しい奴は、次々に殺しました。

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中国の毛沢東。
「大躍進政策」の失敗により、3000万人を飢餓で死なせたといわれています。

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現役の独裁者は・・・

シリアのバッシャール・アル・アサド大統領。

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民主化運動を徹底的に弾圧し、今も多数の死者を出し続けています。
1年間に及ぶ民主化運動の武力弾圧により、国内の死者は2万人に達しています。


これらの人々に共通するものは・・・
“熱狂”に支持されて独裁者になったということです。
どうして熱狂したのでしょう・・・?


ヒトラーをみてみます。

ヒトラーの時代。。。
1918年 第一次世界大戦終結。
1919年 ウェル採油条約調印。

これによって、戦勝国は、ドイツに対して多額の戦後賠償を要求しました。
その賠償金の額は、GNPの20年分にも及びました。

ドイツでは極度のインフレが起こり大不況。。。
失業者があふれだします。

そこへ、アメリカの世界恐慌が!!!


そのさなかにそれが出現しました。
1920年 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)誕生。
指導者は、アドルフ・ヒトラーでした。

未曽有の大不況にあえぐドイツ市民は、強力な指導者を求めていました。

「国家が我々に命令するのではない。
 我々が国家に命令するのだ。」

「ドイツのために一致団結しよう」

ヒトラーの演説は天才的と言われました。
人々は熱狂します。


ヒトラーは、初めから独裁者だったわけではなく・・・
ナチ党の議席数をみると・・・
1928年・・・12
1930年・・・107
1932年・・・230

と、議席数を獲得したうえで、首相に就任しています。
そして、1934年、ヒンデンブルク大統領が死去すると、大統領と首相を兼務する「総統」に就任します。

その時、「総統」になっていいかどうかの国民投票をしています。
その結果は・・・
投票率95.7%で、賛成が89.9%でした。

つまり、人々が賛成したのです。

ヒトラーの掲げた目玉政策が・・・「反ユダヤ主義」でした。

当時ドイツは不況で大変貧しかったのですが、一部のユダヤ人はお金持ちがいました。
ユダヤ人に対する反感が、ドイツ人の中にあったのです。
それを利用しました。
敵を作ったのです。
敵を作ったことで、国民が一致団結します。

その第一歩が強制隔離・ゲットー(ユダヤ人居住地区)を作ります。
腕に、ユダヤ人とわかるように印をつけられます。
自由な買い物、仕事を出来なくさせてしまいました。

追い込まれていくユダヤ人たち・・・。
劣悪な環境で伝染病が蔓延・・・。
多くのユダヤ人が命を落としていきます。

ワルシャワ・ゲットーでは収容された1/4が亡くなったといわれています。



残ったユダヤ人たちにも、地獄が待っていました。
100万人が送られたといわれる絶滅収容所“アウシュビッツ”。
ドイツの支配地域から、ユダヤ人が移送されていきます。

ポーランド南部の“クラクフ”。
かつて、ポーランド王国の都として栄えた町です。
ワルシャワが東京なら、クラクフは京都のようなものでした。
世界中から観光客がやってきます。

ここから車で1時間のところに、負の遺産がありました。

“オシフィエンチム”という町には、70年前、ナチスドイツの支配下にあったこの町には、アウシュビッツ強制収容所がありました。
ヒトラーの右腕ハインリッヒ・ヒムラーの指導の下、建設されました。
現在は、アウシュビッツ・ミュージアムとして保存されています。

ユダヤ人に作らせた、ユダヤ人絶滅施設、アウシュビッツ。。。

ヨーロッパ全土から集められたユダヤ人、たどり着いたのは、死の門といわれるゲート。
線路もユダヤ人たちに作らせました。

「この門をくぐったら、出口は焼却炉の煙突だけ。」

300もの収容棟が並んだアウシュビッツ第2収容所“ビルケナウ”。
ここには100万人ものユダヤ人が収容されていました。

ユダヤ人たちは出発前、こう聞かされていました。
「東の土地で新しい生活を始めるのだ。」と。

ユダヤ人を待ち受けていたのは・・・

収容されたのは25%ぐらいで、残りの75%はガス室に送られました。

「生死の選別」です。

収容するか殺すか、医者が瞬時に判断しました。
特に、14歳に満たない子供は、労働力にならないとして母親とともにガス室へ・・・。
大小7つの建物で、数千人が殺されていきます。

ナチスは、終戦間際、証拠隠滅のためにガス室を爆破しています。

選別で生き残ったユダヤ人たちにも過酷な運命が待っていました。


収容者の宿舎には・・・
三段ベッドが隙間なく並べられ、一つに2人ぐらい寝ていました。
与えられたのは、わずかな食事と11時間の労働でした。
そして、選別は、到着時だけではなく、収容後も毎晩続きました。
収容者のほとんどは、3か月ほどで力尽きました。

アウシュビッツ第1収容所では・・・

「労働は自由への道」というアーチが。
しかし、どんなに働いても自由は訪れませんでした。


ガス室の死体から刈り取られた女性の髪・・・
この髪の毛は、生地を作る原料として売られました。
金歯を外し、金塊に。。。
皮膚を剥いで紙に。。。
脂肪から石鹸を。。。

ベルリンへの報告書には・・・
GOLD・・・1673.8gと書かれてあります。
殺人がナチスの国家事業となっていました。

第1収容所にはガス室が残っています。
ユダヤ人はシャワーを浴び、服を脱いで入っていきました。
天井に空いた穴・・・そこからチクロンBという殺虫剤が放出されました。
20分ほど苦しんで、絶命していきました。
そして、ユダヤ人の死体は、髪を刈られ、歯を抜かれ、焼却炉に運ばれました。


そして、その作業は、同胞・ユダヤ人特命労働隊にさせていました。

ドイツではむごい状況を見せないこと・・・
それが罪悪感を感じさせないシステムになっていました。


強制収容所から生還したユダヤ人がいます。
14歳でゲットーに送られ、その後強制収容所へ移送されました。
彼は、電気修理の仕事ができたので生き残れたそうです。


ユダヤ人を迫害し続けたヒトラーに対しては・・・
「人の意見は、その時代、その雰囲気で変わる・・・
 ヒトラーも、ムッソリーニも、今は悪者だといわれているが、
 昔は皆、英雄だと言っていた。。。」

だそうです。


日本に住んでいると、ユダヤ人の迫害についてピンときませんが・・・
どうして、ヨーロッパでユダヤ人が迫害されるようになったのでしょうか?

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書) [単行本] / 池上 彰 (著); 文藝春秋 (刊)
池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書) [単行本] / 池上 彰 (著); 文藝春秋...

キリスト教が十字架にかけられたときのことまで遡ります。
4つある福音書の中の「マタイの福音書」によると・・・

当時、イエスは、ユダヤ教。
ユダヤ教の改革運動をしたことで、ユダヤ教から睨まれ、十字架にかけられました。
ローマ帝国の時代・・・
ローマ総督ピラトが、イエスに対して同情し・・・
そこに押しかけてきたユダヤ人たちに、
「はたして十字架にかける必要があるのか?」
と、問うたところ、ユダヤ人たちが・・・
「十字架にかけろ!!」
と叫びました。そして、
「その血の責任は、我々とその子孫にある」
と、言ったのです。

将来報いがあっても構わない!!と、マタイの福音書に書かれています。

キリスト教が広まっていくにつれて・・・
“イエスを十字架にかけたのはユダヤ人!!
 その子孫は許せない!!”

という考えが広まり、社会の中でユダヤ人が迫害を受けてきていたのです。

中世ヨーロッパでは、かなり差別され・・・
当時もっとも忌み嫌われた仕事は・・・
“金貸し”

この仕事にしか就けなかったのです。

しかし、金融業で大金持ちになった人々が、次々に出てきて来ます。
その結果、ますますユダヤ人を嫌うようになっていくのです。

つまり、ヒトラーが新しいものを作ったわけではなく、昔からあった“反ユダヤ主義”をうまく利用しただけなのです。
そのヒトラーに対して、国民が熱狂してしまったのです。


そして、独裁者ヒトラーが、今に続く“問題”の遠因となりました。

中東問題です。

ユダヤ人の運命に、世界が同情的になります。
「祖国を作りたい!!」

1948年イスラエルが建国されます。
そして、国連決議により、パレスチナをユダヤ人とアラブ人で分裂統治するようになります。
大きな戦争だけでも、中東戦争は4回行われています。


独裁者ヒトラー・・・
それは、国民が作り出した熱狂だったのです。


追跡者 ザ・プロファイラー 「ヒトラー 独裁者という名の怪物」はこちら

池上彰の現代史講義〜東西冷戦とベルリンの壁崩壊〜はこちら

レニ・リーフェンシュタールはこちら

ヒトラーの影法師と言われた男はこちら



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posted by ちゃーちゃん at 08:24| Comment(0) | 池上彰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月21日

池上彰の戦争を考えるSP

ちょっと前にやっていました。

子供が夏休みなので、なかなかまとまった時間が取れません。あせあせ(飛び散る汗)
今日は登校日。子供も久々のお友達で楽しいでしょう。揺れるハート

今から67年前、日本は戦争をしていました。
改めて、戦争について考えます。


池上彰の戦争を考える〜戦争はなぜ始まりどう終わるのか〜 [DVD] / 池上彰, 大江麻理子, 長谷川京子, 峰竜太, 麻木久仁子 (出演)
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テーマは、「熱狂」と、「独裁」。。。

日本を戦争へと突き動かした熱狂とは???

熱狂が生んだ独裁者「ヒトラー」
そして、それが、戦争に向かって国を突き動かす原動力となります。


日本を戦争へと導いた「独裁者」は???
戦争責任を取ったのは、東條英機ですが・・・


しかし、日本にはあまり独裁者というイメージがありません。

しかし、戦中・戦後の庶民の生活を見ると・・・

統制下の暮らしでは・・・

昭和14年9月1日「興亜奉公日」が始まります。
毎月1日は、アジアの発展の為に質素に暮らし、神社参拝・勤労奉仕などをしました。

臨時召集令状「赤紙」で招集されれば、誰もが兵士となりました。
当時、銃は天皇からの賜りものとされ、厳粛に賜りそれを持って戦地へと向かいました。

日中全面戦争が始まると、兵隊を急激に増やし、真珠湾攻撃時には241万人、その後赤紙を大量に発行し、終戦時には700万人を超えたと言われています。
戦地では兵士の数が足りず、人々は、訓練もそこそこに戦地へと送られました。


銃後の備えと空襲・・・
銃後とは、直接戦争に関わっていない一般国民や日本国内のことですが。。。
「大日本国防婦人会」「愛国婦人会」などがあり、みんな夫や父親が戦地へ行っている間、日本国内を守ろうとしました。

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戦時中は、経済を支えていたのは女性でした。

選炭・・・石炭の品質や粒子の大きさに応じて分別。
しかし、男たちが居なくなると、石炭堀まで担いました。
農場でも女性が・・・
軍需工場にも・・・
かなり危険な作業もしました。
12歳以上40歳未満の未婚女性は、「女子挺身隊」として1年間の就労が義務付けられていました。

「欲しがりません 勝つまでは」
これは、昭和17年大政翼賛会と新聞社が募集した標語の入選作です。
そう、新聞社が募集したのです。


戦中の、学童・学徒は・・・

昔は小学校は「尋常小学校」と呼ばれていました。
しかし、昭和16年には「国民学校」となります。
良き国民を育てる学校・・・
お国の為に命を投げ出せる国民を・・・。

子供たちも、労働力になっていきます。
「勤労動員」です。

昭和16年国民勤労報国協力令により、子供たちが軍需生産に努めるようになります。
昭和20年3月には、国民学校が1年間休校となり、生徒たちは軍需工場に動員されます。
軍服を縫う女学生たち。
それ以外に、戦闘機の木製燃料補助タンクも・・・
7月には、全国で343万人が動員され、不慣れな作業事故で亡くなった人が6万にいたといわれています。


「石油の一滴は 血の一滴」

当時日本は、石油の輸入量の3/4をアメリカに頼っていました。
そのアメリカを敵に回したことで、石油はほとんど入ってきませんでした。
昭和16年には乗用車のガソリン使用禁止。
代わりに登場したのが木炭自動車でした。


「敵性語」
アナウンサー=放送員
レコード=音盤
コロッケ=油揚げ肉饅頭

外来語は、日本語に置き換えられました。
野球では・・・
ストライク=よし
ボール=一つ
アウト=ひけ
ファウル=だめ
です。


熱狂した日本の”息苦しい生活”とはどんなものだったのでしょうか?

鉄や皮は足りないので湯たんぽは陶器製。
アメリカは、夜に爆撃しました。空襲を防ぐため灯火管制をして、明かりが漏れないようにしていました。
昭和19年には空襲が本格化、200都市以上、死者は55万人にも上りました。

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ガラスにはテープが張られています。
爆風で、ガラスが飛び散らないようにしてあるのです。


ラジオは欠かせません。
「勝った、勝った、また勝った。」
新聞も号外を出します。
日中戦争をきっかけに、ラジオが普及し、新聞を取るようになっていました。

ラジオから、日本軍の連戦連勝が伝えられます。
しかし、国内の暮らしは厳しさを増していきます。

昭和15年配給制開始。
さらに食料不足が深刻化し・・・
都会の真ん中に畑「決戦農園」・・・運動場にも畑が作られました。
空き地という空き地が農地となりました。

昭和16年金属類回収令。
戦闘機や銃にするため、家庭にも鍋・釜の供出が求められました。
「家庭鉱脈」です。
昭和17年5月には、お寺の鐘や仏具なども供出の対象となりました。
お国の為に・・・

また、隣組が作られます。
町内会の下に作られた地域組織で、配給・互助・自警などに当たりました。
空襲に備えて防空訓練が行われるようになります。
戦時下の連帯責任を担い、参加しない人は”非国民”のレッテルを貼られてしまいました。
そして、結果的に監視し合って戦争への道を進むのです。


さらに、人々におそれられたのが憲兵でした。
憲兵は、陸軍所属の軍事警察です。
軍隊内の秩序維持が目的でしたが、次第に一般化し・・・一般人の生活も取り締まるようになります。

それが当たり前の時代でした。


そして、その人たちを煽ったのが”マスコミ”です。

大本営の発表をそのまま発表しました。
どうしてこのように発表したのでしょうか?

そこには大阪朝日新聞の不買運動がありました。
戦前、日本の軍備を縮小すべきだと報道
中国大陸に進出していく日本軍を批判したのですが・・・

結果は・・・
「みんなで戦っている時に軍部を批判するとは何事か!!」
と、読者がいなくなってしまいます。
発行部数が激減した事件です。

国民が、”そう書かない新聞”は買わないと判断したのでした。
それが、右へ習え・・・になっていったのです。


その批判は、今のマスコミでも同じことが起こります。
国民の人気のある人を”マスコミが叩く”と同じような結果になるそうです。



今日はゆっくりレポートできると思ったのですが・・・
用事が出来てしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

続きはまた今度ゆっくり・・・


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