2012年08月27日

愛しの土方様

時代劇は昔から大好きです。

今、時代劇チャンネルでビデオに撮っているのは”影の軍団”です。
でも・・・
娘が夏休みなので、全然見ることができません。あせあせ(飛び散る汗)

でも、ビデオデッキを整理しておかないと、許容量がなくなって撮れなくなる可能性もあるので、整理だけでも・・・と思っていたら、いきなり出てきました。


「愛しの土方様」です。
歌うは”えい子姫と誠隊”(瀬川瑛子さん)です。



個人的には、土方さん命なので・・・

「・・・」って感じですが、

時代劇チャンネルを見ているおじいちゃん、おばあちゃん相手の体操のようです。
そう、オタクだけではなく、普通のおじいちゃん、おばあちゃんにも人気があるんですね。黒ハート

それとも、”ヒジ”と”カタ”が入っているからでしょうか???


ちなみに、2番は”愛しの(暴れん坊将軍)吉宗”さまのようです。


聞いてみてね。黒ハート


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ラベル:愛しの土方様
posted by ちゃーちゃん at 10:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月25日

“復活!! 日の丸ジェット”

オリンピックで沸いたロンドン。

ロンドン近郊の田舎町“ファンボロー”。
そこでは、一週間で20万人もの人が訪れる巨大イベントがありました。

国際航空ショーです。

国産旅客機MRJ飛翔 [ハードカバー] / 前間 孝則 (著); 大和書房 (刊)
国産旅客機MRJ飛翔 [ハードカバー] / 前間 孝則 (著); 大和書房 (刊)


アクロバット飛行・ジェット戦闘機・・・
2年に一度開かれる世界最大の航空機ショー“ファンボロー国際航空ショー2012”です。
軍用機から民間機まで、46か国・140機以上が出展されています。

本来は、ショーではなく、ビジネスが主です。
売り込み合戦をしていました。
圧倒的なのが、エアバスとボーイング。

エアバスの目玉は、世界最大の旅客機・エアバスA380。
総二階建てで、座席数525。
まさに、空飛ぶホテルで、広い客室空間が売りで、椅子は、ボーイングより5p大きいです。

ボーイングは、787で対抗。
東レなど日本メーカーが生産に35%関与し、開発した炭素繊維で燃費効率を向上したことで話題となりました。
窓は、エアバスより4割ほど大きくなっています。


激しい受注合戦の中、見慣れない模型がありました。
それは、日本の企業でした。
三菱リージョナルジェット、通称MRJです。

そしてその模型は、日本メーカーが50年ぶりに作った悲願の“日の丸ジェット”です。
1機34億円を世界に売り込みます。


では、どうして日本は飛行機を作っていないのでしょうか?

YS-11・・・
これは、50年前に飛び立った日本初の国産旅客機で、戦後日本の復活の象徴でした。

もともと日本は、戦闘機大国でした。
その代表が、ゼロ戦。。。
開戦直後は、向かうところ敵なしといわれていました。
しかし、敗戦後・・・
1945年GHQにより航空禁止令が出されました。

これによって、日本の飛行機は、すべて解体され、新しく作ることも禁じられました。
日本の技術が途絶えた空白の7年が始まりました。


禁止令が解除され、YS-11が作られました。それが、今から50年前のことです。
操縦の安定性、機体の頑丈さが評価され、日本だけではなく世界の航空会社が利用しましたが、採算が取れずに・・・
1972年、YS-11の生産が打ち切られてしまいました。

よみがえれ!国産ジェット [単行本] / 杉山 勝彦 (著); 洋泉社 (刊)
よみがえれ!国産ジェット [単行本] / 杉山 勝彦 (著); 洋泉社 (刊)

それから40年・・・
YS-11以来の航空機の製作に三菱重工が名乗りを上げました。
かつてゼロ戦が作られた場所で・・・。

国産航空機開発のために、技術者約800人。
航空機設計の兵たちが集まりました。
先進国の中で、唯一航空機産業のない国にならない為に・・・。

MRJ 三菱リージョナルジェット・・・座席数70〜90席以下の小型旅客機です。
新規参入を図るために差別化できるのは、燃費の部分。
掲げたのは、燃費効率ライバル比20%アップ。
こだわったのは、主翼部分でした。


他の機種に比べると、薄めの機体により空力性能が変わり、燃費効率は向上します。
その科アナ目となるのが先端に取り付けられる小さな翼“ウイングレット”で空気抵抗をなくします。
それは、100分の1ミリの世界でした。


リージョナル(地域)ジェット市場は、5000機、総額17兆円と言われています。

リージョナル・ジェットが日本の航空を変える [単行本] / 橋本安男, 屋井鉄雄 (著); 成山堂書店 (刊)
リージョナル・ジェットが日本の航空を変える [単行本] / 橋本安男, 屋井鉄雄 (著); 成...


リージョナルジェットとは???
地方をピンポイントで結ぶ旅客機で、地方空港の路線に大きな市場の可能性を秘めています。世界的に、そういった考えになってきています。

ライバルは???
ボンバルディア(カナダ)
エンブラエル(ブラジル)
この2社が独占しています。

しかし、まだMRJは、実機がありません。
厳しい状況です。

リージョナルジェットの本場アメリカでは、受注合戦が行われていました。
なぜなら、世界のリージョナルジェットの50%は、アメリカの空を飛んでいるのです。

ファンボロー航空ショーでMRJの受注を受けるためにビジネスに励みます。
MRJは、1機34億円。採算ラインは350〜400機ですが、苦戦しています。

100機発注してくれたTSHは・・・
北米で毎日500便以上を運航しています。
購入の決め手となったのは、
整備費用が少ないこと。
燃費がいいこと。
新しい飛行機で乗客が喜ぶこと。
そして、メーカー側のアフターサービス。
だそうです。
きめ細やかなアフターサービスが。

実物大の客室は、ゆったりとしています。
快適性に気を配っているそうです。

決戦の地・イギリス・ファンボローでは・・・

三菱MRJの機体の客室が展示されていました。
客室はこのクラスの飛行機では最大で、大きなスーツケースが入り、エコノミーシートも広く感じます。



エンブラエル、ボンバルディアもアピール合戦です。
この市場を目指すのは、他にもロシア・スホーイスーパージェット100で・・・
中国も、中国商用機AB,121。

三菱の、記者会見ではどうやって受注をとるのか?厳しい質問が・・・。
なかなか受注は難しいそうです。

7月11日
MRJが会見を開きました。
そこには、世界最大手のスカイウエストがMRJ100機受注というビッグニュースが!!
突然のニュースでした。
およそ、3400億円の受注。これにより、トータル受注数は230機となりました。
MRJは、2013年初飛行、2015年には運航開始を目指しています。

世界最大のリージョナル航空が、MRJを評価して買ったという事実・・・
これを全世界は見ています。
今後に期待が膨らみます。


悲願の日の丸ジェット・・・
ボーイング・アメリカのシアトル、エアバスの拠点フランスのツールーズに続き、名古屋が世界三大航空拠点になる日も近いかもしれません。
そうなると・・・名古屋が活気づくことでしょう。

製造に必要な部品数は、自動車では3万点ですが、MRJとなると95万点です。
技術のすそ野が広くなる分、いろいろな波及効果が出てくることでしょう。

航空機は、技術水準が高いといえます。
付加価値の高い仕事が、中小企業や部品メーカーに流れていく可能性もあります。
もしかすると、日本の航空機産業と自動車産業の融合など、相乗効果があるかもしれません。


その拠点化に向けて、動き出しています。
名古屋では・・・
JAXAの新型飛行機が披露されました。
日本の実験用航空機“飛翔”です。

異業種メーカーの参入もあります。
航空技術者育成セミナーに参加したのは、地元の自動車関連の中小メーカーでした。

MRJは、モノづくり日本が飛躍するための、大きな一歩かもしれません。

飛翔への挑戦―国産航空機開発に賭ける技術者たち [単行本] / 前間 孝則 (著); 新潮社 (刊)
飛翔への挑戦―国産航空機開発に賭ける技術者たち [単行本] / 前間 孝則 (著); 新潮社 (刊)


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posted by ちゃーちゃん at 10:18| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

「戦場の軍法会議〜処刑された日本兵〜」

NHKスペシャルです。

太平洋戦争の激戦地となったフィリピン・ルソン島。
日本兵だけで50万人近くの人が命を失いました。

ジャングルに追い込まれた部隊で悲劇が起きました。
昭和20年2月27日・・・
食料を求めて部隊を離れた若い兵が、部隊を離れたということで、逃亡罪で処刑されたのです。

しかし、判決に深くかかわった人たちの記録にも、本来死刑には値されないと、記録されていました。

資料が明らかにしたのは、軍の中で行われた軍法会議の実態でした。
太平洋戦争中、解っているだけでも1万人の兵士が軍法会議にかけられ判決が下されました。

資料はほとんど処分され、公正な裁判かどうかは分からなくなってしまいましたが、最近資料が発見されました。

法の制度の名のもとに、処刑された日本兵たち・・・
初めて明かされる戦場の軍法会議です。


殆ど残っていない軍法会議の資料は、鳥取県にありました。
そこには軍法会議に深くかかわっていた人の日記がありました。
法務中佐の戦前から戦中の19冊の日記と内部文書です。
これまでほとんど表に出ることのなかった貴重な資料です。

その中には、不当に行われた軍法会議があったようです。
「戦地で、ひっ迫している状態でやむおえなかった。
 堪忍してくれ」と、やったと。。。

重い歴史でした。

戦争を嫌っていたその人は、東京帝国大学を出て、司法試験に合格し、軍法会議のなかで重要な地位を占める法務官という職業を選びました。
軍法会議とは、軍人のことを軍隊が裁くというもので、各地の司令部や駐屯地におかれていました。

サイパンを取り仕切ったのは、法律の専門家ではなく軍人たちでした。
5人の裁判官・・・その中に、一人だけ法務官(文官)がいました。
その役割は、軍人に指導し、被告となった人の人権を守ることでした。

彼は、自分は法の番人だと思っていました。
「裁判官たる法務官は、何者にも侵されない。。。」と。

昭和16年12月、太平洋戦争開戦。

このころ法務官の立場を大きく揺るがす事件が起こります。

旧陸軍省で。
文官として独立性を持っていた法務官・・・
その法務官を軍人にする法改正が行われようとしました。
軍の意向を反映するためです。


被告の人権を守る法務官は、軍人にとって厄介な存在でした。
開戦から4か月、法務官は、軍人となりました。

各地に戦線を拡大していく日本・・・
これに伴い、軍法会議で処罰される兵が増えていきました。
軍法会議が戦地で行われるようになり、法務官も戦地に赴くことになります。

昭和19年彼は、マニラに派遣されました。
連合軍から激しい攻撃を受ける戦場。。。

昭和20年部隊は北部のバヨンボンに移動、ここでフィリピンにいる4万人の海軍兵の管轄をすることになります。

彼の書いた犯罪リストには、逃亡がありました。
空腹に耐えかねて、隊を逃走する兵士たちが後を絶たなかったのです。
これに対して、その場で銃殺していた上官たち。。。
彼は、違法な処置を取らずに軍法会議にかけることを提言します。

例外なくすべての犯罪は軍法会議で裁く・・・
例えそれが戦場であっても公平を失わないように・・・


しかし、その資料の中には・・・


悩んだ挙句に死刑判決をしてしまった事案が書かれていました。
犯罪事実としては死刑宣告に値しないが、死刑にしなければならなかったと・・・


戦場で何があったのでしょう???


それは、昭和20年2月22日。
上等兵は、22歳。
食料を探しに部隊を出て、15日後につかまりました。

「この事実だけでは、死刑に値しない。」

上等兵の行為は、「戦時逃亡」に値するとされたのです。
これは、当時の規定では、懲役・禁錮6か月以上7年以下でした。

しかし、言い渡されたのは「死刑」。

「戦時逃亡」ではなく「奔敵未遂」とされたのです。
奔敵とは、戦わずして敵の捕虜となること。。。
最も重い罪は、死刑でした。

この上等兵は、英語が得意でした。
その何を恐れたのでしょう?

当時部隊の上層部は、英語の上手な上等兵を通じて、アメリカ側に秘密が漏れるのを恐れていました。
だから、死刑にされたというのです。

死刑を正当化するための圧力が、法務官にかかります。
法務官は、悩みつくしましたが、その圧力には、抗いきれませんでした。
こうして一人の若い兵士の命が失われました。


軍による不当な処刑は他にも行われていたのでしょうか?
軍法会議の資料は、ほとんど残っていません。

しかし、旧厚生省が、軍法会議の聞き取り調査をしていたことがわかりました。
対象となったのは、裁判官や法務官など20人です。
昭和30年から40年代に行われました。

一つの部隊だけで、変死や変病死とされた人々が、裁判を受けずに死んだと思われます。

そのうちの一人の曹長。
これに問題があったといわれています。
10年間の調査でも、訴訟記録が存在しない・・・と。
本人が、適正な裁判を受けたという証拠はどこにもない・・・。


このことは、遺族にはどう伝えられたのでしょう。
曹長の死因がはっきりしたのは、遺族年金を申請した時のことでした。
「敵前逃亡罪」で死刑にされたと、年金の給付を断られたのです。

かつて、逃亡兵は国賊とされ、遺族は肩身の狭い思いをしてきました。
しかし、遺族にはこの調査が行われたことも、結果も、知らされていませんでした。

この曹長の名誉を回復することは出来ないのでしょうか?
県庁社会福祉課では・・・

法改正された昭和45年以降は、年金が給付されています。
しかし、記録には、今も、
「敵前逃亡罪で死刑」と、書かれています。

しかし、証明は難しく、真相を調べてもらうことも、罪名を記録から外してもらうことも出来ませんでした。
軍法会議が残した、消えることのない汚名・・・
戦後67年たっても遺族は苦しんでいます。


太平洋戦争末期のフィリピン。。。
死刑に値しながらも処刑を認めた中佐は。。。
昭和20年4月、フィリピンの山奥に追い込まれます。
その司令部で。

連合軍による空爆は、激しさを増していました。

「異常なる環境」
空襲・砲撃・食料欠乏・病気・マラリア・窃盗・上官殺人・死体損壊・・・

もはや、敵も味方もない異常事態でした。
前線から司令部に打った電報には・・・
「16名、密ニ逃亡セリ。
 総員特攻ニ使用
 國賊の汚名ヲソソガシメントス」
特攻・・・それが、逃亡兵の処刑代わりになっていました。

軍法会議を通さずに行う処刑。
それは、あってはならない行為でした。

崩壊の危機に直面する日本軍。
そして、中佐は、法律家の一線を越えてしまいます。

「敵前ニオイテ
 軍規ヲ保ツ為逃亡者ヲ斬ルコトハ
 犯罪ニハナラナイ」

軍法会議にかけずに処刑する違法行為を認めてしまいました。

死が間近に迫る環境が、彼を追い込んで行ったのでしょう。
生きるか死ぬかの環境では、余裕もなかったのでしょう。

理不尽で、滅茶苦茶な状況でした。

昭和20年8月15日終戦。
日本軍だけで、230万人犠牲になった戦争が終わりました。
その日、軍法会議に関する資料が焼却されました。

中佐が、戦場から密かに持ち帰った資料だけが残りました。


不当に処刑されたことが分かった上等兵。。。
遺族に処刑が告げられたのが、処刑の2週間後でした。
いつの間にか島からいなくなってしまった遺族。。。
家族と親戚は、処刑が告げられた後すぐに島を出て行っていたのです。


遺族の一人は・・・
「上等兵のことは知らない
 もう、触れないでほしい・・・。」と。


法務中佐は、戦場で下した判断について・・・

「戦争が悪い、と言ってしまえばそれまでであるが・・・
 急迫した戦場心理は、自己防衛となり、部隊防御に偏ってしまうことが避けられない
 忸怩たる思いはするが、法務の責任者としてやむを得なかった。」
 
一人の法律家が残した、軍法会議の膨大な資料。
不当な判決・奪われた命。
正義をもたらす法が、戦争の罪に加担していく恐ろしさを、今に伝えています。


 
戦争は、本当に怖いですね。
私たちも、戦争についてもっともっと学ばなければいけないことがたくさんあると思います。


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posted by ちゃーちゃん at 10:34| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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