城下町へ行こう!
今回は、忍の国・・・「伊賀上野の城下町」です。

忍者は確かに存在した・・・。
三重県伊賀市、人口9万8525人、面積558㎢、特産は伊賀焼、組紐、伊賀牛。
北に京都と彦根、西には奈良、主要な町に囲まれた伊賀の里は、霧深い秘蔵の地でした。
政治的にも地理的にも、特殊な地で生まれたのが忍之衆。
独自の文化を育み、大名たちから恐れられました。
そんな伊賀の国に上野城を築城し、城下町の基礎を築いたのが、城作りの名手と謳われた、藤堂高虎でした。
![DSCN0025[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/DSCN00255B15D-thumbnail2.jpg)
このお城・・・石垣の高さは、大坂城と日本一・二を争っています。
通常、石垣の高さは10mぐらいが多く、それ以上は、高石垣と呼ばれています。
天下に名だたる大坂城の場合、空堀が残っているので容易に図れます。その高さ30.5m。
一方、伊賀上野城は、水が入っているので図れないとか。。。
で文献によると石垣の高さはおよそ29.7mということになります。
大坂城よりも、およそ1m低いことになりますが・・・。
このように、堅固な高石垣を持つ伊賀上野城。
築城の名手と言われた藤堂高虎によって作られました。
高虎の築城技術は、家康に高く評価され、江戸城・駿府城・名古屋城・津城・赤木城・伏見城・篠山城・大坂城・和歌山城・甘埼城・今治城・宇和島城・大洲城・出石城・亀山城・淀城・聚楽第・膳所城・二条城・猿岡山城・大和郡山城・・・天下城普請という城は、全て高虎に任されていました。
その数20以上・・・
そんな高虎が手掛けた伊賀上野城・・・
隠れ国には、忍者がいました。
伊賀の里は、京都・奈良・彦根・伊勢に囲まれた山国・・・。
この国に入るには、険しい山道を使わなければならない上に、霧が多く発生する土地だったので、容易く足を踏み入れることの出来ない閉ざされた土地でした。
落ち武者や貴族が・・・都から逃げ込むには格好の土地でした。
外敵から身を守るために、鍛錬したようです。
他にはまねのすることの出来ない修業をしました。
![201204240132541d9[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/201204240132541d95B15D-thumbnail2.jpg)
戦乱の世には、その技術を使って諜報活動・謀略・暗殺に励みました。
つまり、傭兵部隊です。
各国の諸大名は、伊賀を怖れながらも、伊賀の力を欲したと言います。
ちなみに忍者が活躍した時代、彼らは「忍之衆」と呼ばれました。
また、戦国武将によって、その呼び方は様々で・・・
武田信玄・・・乱破
羽柴秀吉・・・木陰衆
織田信長・・・饗談
上杉謙信・・・軒猿
毛利元就・・・世鬼衆
伊達政宗・・・黒脛巾
でした。
忍者の隠れ国として恐れられた伊賀の国・・・
その城下町とは???
忍町・・・
実際、忍者は・・・忍者とバレてはいけません。
普段は普通の生活をしています。
地域に溶け込んだ生活です。
![DSC05411[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/DSC054115B15D-thumbnail2.jpg)
まかり間違っても、こんな恰好は出来ません。
忍者の重要な任務は諜報活動。
実際は、僧侶・虚無僧・山伏・商人・曲芸師・能役者・農民などの恰好をしていました。
伊賀に使わる変装術・・・「七方出」では、煙によってする変身ではなく、いろいろな職業に必要な知識を身につけるというものでした。
つまり、誰が忍者であるかは分からないのです。
さらに、実際に使っていた撒き菱は・・・
![149[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/1495B15D-thumbnail2.jpg)
鉄で出来た針金ではなく・・・天然の菱の実を乾燥させたものを使いました。
中身は携帯の食事・滋養強壮・漢方薬にもなりました。
その知恵こそが忍者と言われる所以であり=忍術となっていくのです。
日南町には・・・
蓑虫庵。
俳聖・松尾芭蕉の縁の地です。
「蓑虫の 音を聞にこよ 草の庵」
と詠んだことに始まります。
実は・・・
松尾芭蕉は忍者だったかもしれない説があります。
芭蕉は、「奥の細道」で、およそ150日間で2340キロを移動したとされています。
多い時で1日に50q、そのスピードから、忍者説があります。
この他にも証拠が???
芭蕉は、「イビキ」の研究をしていました。
伊賀にある忍者のバイブル「万川集海」(江戸時代中期、伊賀忍者・藤林保武によって書かれた全22巻の忍術書)によると、イビキを聞き分ける忍術が書かれています。
忍者には、資料が残っていません。。。
はたして、俳聖・松尾芭蕉は、世を忍ぶ仮の姿だったのかもしれません。
伊賀では、着物の帯締めに使われる組紐を伝えています。
もともとは、鎧や刀・・・武具のおしゃれアイテムに使われていました。
今、組紐を使った一番人気がこちらだそうです。
キューピー忍者この組紐は、忍者のバイブル「万川集海」が出てきます。
術に使用したとか・・・
「座探し」・・・暗闇の中、組紐で鞘のバランスを取りながら敵を探る術。
「捕縛」・・・組紐を敵に絡め、相手の自由を奪う術。
伊賀牛を使ったすき焼きも有名です。
伊賀牛は、鎌倉時代から有名です。
おめでたい席で食べることから「寿き焼き」と呼ばれています。
この伊賀牛を最初に食べたのは、伊賀忍者。
城や屋敷に長期にわたって潜伏することの多かった忍者、貴重なタンパク源として食したそうで。。。
忍者はこの牛肉を、ジャーキーにして食べていました。
伊賀忍者を一番恐れた武将は、織田信長でした。
天正伊賀の乱・・・
主君を持とうとせず、傭兵部隊として独自の文化を持っていた伊賀を、天下統一の妨げとして徹底的に滅ぼしました。
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本当は、織田信長は伊賀が欲しかったのです。
手に入らなければ・・・滅ぼしてしまえ!!
ということだったようです。
信長に攻められ伊賀を追われた人々は、全国に散らばりました。
忍の流儀を受け継いできた忍の城下町でした。
私たちは、今も術をかけられているのかもしれません

。
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posted by ちゃーちゃん at 11:43|
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