2012年07月06日

天才エジソンの真実〜発明王が生んだ欲望の世紀〜

今から100年も前に・・・

「やがて恐るべきスピードで乗客を運ぶ空飛ぶ巨大なマシンが出現するだろう
 電話に、商品の名前や市場の動向を自動で読み上げる機能が付くだろう」

飛行機やスマートフォンを言い当てたのは・・・

「天才とは1%のひらめきと、99%の努力である」

と言ったエジソンです。

世界の発明発見科学史〈1〉世界を変えた発明―エジソン/ファラデー/ベル [大型本] / スタジオキウリ (著); 雀部 晶 (監修); 学習研究社 (刊)
世界の発明発見科学史〈1〉世界を変えた発明―エジソン/ファラデー/ベル [大型本] / スタジ...


発明王、トーマス・エジソン(1847〜1931)
電球・蓄音器・・・1000以上の発明を生み出した偉人です。

日本人のイメージは、孤高の発明家???
小学校をも中退した落ちこぼれが、母の愛で教育され・・・というのが通説です。

しかし、アメリカでは、ちょっと違った人物像もありました。

共に研究に打ち込んだ人は4000人以上。
発明工場から現代のライフスタイルが伺えます。

電気中心の生活。
巨大な産業、音楽や映画という刺激的な娯楽を届けてくれました。
暮らしも劇的にスピードアップ。
そこから見えてくるのは、私たちの豊かな現代の生活でした。

世界から夜が消えた・・・
誰もが目を見張りました。
1879年エジソンにより、電球が実用化されました。

その頃すでに、電球は発明されていましたが、しかし、すぐに消えてしまう・・・。
エジソンは、中身を真空にしたり、材料を変えたり・・・
完成したものは、連続点灯200時間以上を達成。
その秘密は、フィラメント。京都の竹を炭にしたものを使用しました。

以来、数々の発明によって、現代の礎を築きました。
蓄音器、映写機、トースター・・・

生涯取得した特許は、アメリカだけで1093.
大学どころか小学校さえ出ていないエジソン・・・。
どうやって、世紀の発明王となったのでしょうか?

1847年7人兄弟の末っ子として生まれます。
少年時代をミシガン州ポートヒューロンで過ごしました。
ここでの、7歳〜16歳までの日々が、発明王の原点となります。

電気もガスもない19世紀の生活・・・

1848年カリフォルニアで金の採掘が始まりました。ゴールドラッシュです。
当時、チャンスはあちこちに転がっていました。

しかし、学校では・・・
「君のような生徒は初めてです・・・」
頭がおかしいようなことを先生に言われたエジソン・・・
母が自ら勉強を教えます。
というのが、伝記。

しかし史実は・・・
12歳の時、発明王への第一歩を踏み出しました。
列車内で新聞販売のアルバイトを始めたのです。
そこで目の当たりにした社会。

アメリカで列車が開業して30年余り、人々は新大陸での成功を夢見ていました。

「必要なのは、新鮮な情報だ!!」

15歳でベンチャービジネスを始めます。
自分で新聞を作ったのです。
個人で発行し、列車で売り始めました。
目を付けたのは、大新聞に載っていない、地元の情報でした。

すぐに記事にするために、列車内で刷り上げました。
1862年ウィークリー・ヘラルド創刊。

そこには、ビジネスチャンスに目をつける嗅覚と、それを逃さない機敏さがありました。

1861年〜65年、南北戦争勃発。
その時、脚光を浴びたのが、電信技術でした。
路線沿いに整備された電信ネットワーク。
南北戦争の最新情報が、瞬く間に全米へ・・・。
新時代のテクノロジー、電信技術を独学で勉強したエジソンは、エンジニアの道へ・・・。

21歳で発明をスタート。
20台で100件以上の特許を取得。
20世紀という欲望の時代に、栄光の物語が始まりました。

19世紀は、産業としての一大転機でした。第1次グローバルゼーションでした。
1869年アメリカ横断鉄道の完成。
1837年モールス電信実験成功。

アメリカでは、合衆国憲法に・・・
「発明に対する権利を一定期間保ち、有用な技術の進歩を促進する」
と、特許の世界が発達していました。
ヨーロッパには、中世からのギルドがあり、それが支障になっていました。圧力のない環境が整っていたと言えます。

例えば、1851年のロンドン万博は、イギリスの独壇場だったのですが・・・
アメリカの出したコルトの拳銃。。。
その拳銃には、互換性の部品があり、それにイギリスが驚き、調査団を派遣したほどでした。
そんな時代だったのです。


エジソンの名声は日本にも・・・

1897年日本の街角にはエジソンのポスターが貼られました。
映写機の宣伝ポスターです。

文明開化の日本に、便利で楽しい世界が広がります。
蓄音器は、発明から1年で日本へ・・・
1905年大声発音器として発売。

では、どうしてエジソンは、このように名声を得たのでしょうか?

エジソンの書斎・・・それは、3階まで吹き抜けの大きな部屋です。そこには、世界中から集められたたくさんの本がありました。

膨大な資料の中で暮らすエジソン。朝から晩まで働きます。
そばにあるベッドで仮眠をとる生活です。
タイムカードによると、週80〜100時間は働いていたようです。

研究所には、多い時でスタッフ4000人以上、一人でこつこつ・・・ではなかったのです。
機械工学・数学・物理学の研究者を揃え、最高のチームで発明を成功へ導きます。

エジソンは、研究チーム全員で、一冊のノートを共有し、そこに指示をかきこんでいました。
ノートは、大切なコミュニケーションツールであり、特許を取る時のアイデアのオリジナリティーを主張する重要な資料となりました。

天才ではなく、愚直だったエジソン。
エジソンまでの科学の研究は、誰も知らない自然の法則を見つけ出すのが目的でした。

エジソンは、その法則を根本から覆します。
「大それた発見は必要ではない。。。
 今ある技術を改良して、実用性の高い製品を生み出すことこそ人類にとって最も大切だ。」
と、信じていました。
だからこそ、特許は命綱でした。

エジソンは、一つの発明に成功すると、貪欲にそれを次の発明に生かそうとします。
電球を発明すると・・・ニューヨーク全土につけるためには発電所が・・・すると、送電線が・・・
発電所用のセメント。工事のスタッフのためのプレハブ。。。

このセメントで作った物には、ヤンキースタジアムや高速道路もあります。

電気中心の生活が、スタンダードになっていきます。
事業化に当たり、いくつも会社を立ち上げました。
その中には・・・
1889年エジソン・ゼネラル・エレクトリック・・・GEの前身もありました。

そう、大きな組織だったのです。
思い付きではなく、膨大な組織が想像力を生みました。
エジソンは、発明家というよりも、実業家と言った方が良いかもしれません。
フーバー大統領に高速道路の建設を進言したのもエジソンです。
中小企業の経営者・・・本田宗一郎のようなものかもしれません。


栄光を手にしたエジソン。
しかし、その栄光がエジソンを追い込んでいきます。
発明王を脅かす存在・・・
映画では、1886年エジソンがムービングピクチャー、いわゆるぱらぱらマンガのようなものを発明します。
1891年フィルムにしたのが、キネトスコープでした。
これが、映画の原点となります。

この時エジソンは、フィルムの規格をします。
キネトスコープ用に巾35ミリのフィルムを発注します。
そのニュースを聞きつけた人は、35ミリで映画製作をしだしました。
35ミリで映画を撮る人が増えてきます。

しかし、映画の中身が問われるようになると・・・
エジソンはその波に乗り遅れてしまいます。


「規格を巡る争い」も出てきました。
その一つが蓄音器です。
1877年にエジソンが発明し、誕生した蝋管式蓄音器。これは、蝋で作った円筒形のレコードを使ったものです。この製作は、職人技が必要でした。その結果、再生だけではなく録音もでき、マイクもついていました・・・

しかし、1887年平盤式蓄音器が登場します。
円盤は、1枚のレコードを機械的に複製できました。職人技とは全くかけ離れていましたが、量産がしやすく、レコードが安い。
おまけに、エジソンが作ったのはフォークソング、敵の会社、例えばビクターは、オペラ他クラシック・・・と、ソフト面での人気でも負けてしまいます。
円筒VS円盤の戦いは、コスト面、ソフト面から破れてしまいました。


電力事業でも・・・
エジソンが発明したのは、直流発電機。
しかし、交流発電機が発明されると、こちらの方が効率的だったので、交流発電機が主流となりました。
その為、1892年には、エジソン・ゼネラル・エレクトリックの名から、エジソンが外れることになってしまいました。

発明王としてのこだわりが、市場競争、企業の論理に敗れたのです。
常に開発し続けないと、勝つことは出来ない!!

1930年ごろ・・・トースターが発明されます。
トースターとともにキャッチフレーズをつけて、新しいライフスタイルを提案します。
人々の生活は、スピードアップ。
ゆっくりと食べるのが幸せだった時代が、さっさと済ませることがカッコいい時代へと変化していきます。
物質的に豊かになれば、幸せになれる時代の到来です。

American way of life・・・アメリカ的生活を作ったのは、エジソンでした。

エジソンの発明から、欲望の世紀が始まりました。
デトロイトにあるフォード自動車は、20世紀の自動車産業をリードしてきました。
ここには、1928年9月27日の、エジソン直筆のサインがあります。
フォードにとって、唯一無二の親友だったエジソン。
フォードは、エジソンより16歳年上で、若いころはエジソンの系列会社で働いていたエンジニアでした。

1903年フォードは自動車会社を設立。
エジソンが進めた規格化、大衆化を進めます。
1913年ベルトコンベアによる大量生産を開始、徹底的に規格化しました。
おかげで車の値段は1/4に。。。

大量生産、大量消費の時代へと突入しました。
発想の基本はエジソンから学んだフォード。
エジソンについては・・・
「エジソンは、最高の発明家だけど、経営者としては全くダメなんだ。
 経営は人に任せて、現場に戻ってしまう。
 今までは、貧困は深刻な問題だったが、産業化が進めば人々は知恵を出して貧困をなくしていくだろう。」

しかし、1929年世界大恐慌。失業者が溢れます。
おまけに、オートメーション化による仕事へのやりがいの喪失。。。
いろいろな問題が出てきました。


エジソンが人類に届けてくれた光・・・
その輝きは、19世紀⇒20世紀⇒21世紀へと運ばれて、今、世界を埋め尽くしています。

大量生産、大量消費・・・
20世紀は中産階級の時代。
エジソンは、人類史上一番幸福感をもたらしてくれた人かもしれません。

エジソンは、死の間際まで・・・
「まだやり残していることがあるんだ・・・ 
 あと15年は働かないといけないな。。。」
と言っていたそうです。

エジソン脳をつくる「脳活」読書術 [単行本] / 西田 文郎 (著); エンターブレイン (刊)
エジソン脳をつくる「脳活」読書術 [単行本] / 西田 文郎 (著); エンターブレイン (刊)

↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

芸術・人文 ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 20:16| Comment(0) | BS歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。