2012年06月26日

田原総一朗の仰天歴史塾〜戦後復興と日米安保・吉田茂と岸信介〜

久々、1か月ぶりの仰天歴史塾です。

楽しいです。

いつも、毎週してくれないかなあ・・・と、思いながら、この品質を保つためには月1回が限界なのかもしれませんね。黒ハート

今回は、〜戦後復興と日米安保・吉田茂と岸信介〜です。

1960年、国会周辺は、史上最大の騒乱・・・安保闘争で揺れていました。

日米安保の生みの親・・・吉田茂は、戦後復興の為に占領軍と対峙し、独立させました。
その時、安保が生まれたのです。
再軍備を避け、復興をしようとした吉田・・・

そして・・・その安保を改定し、安保を覆そうとしたのが岸信介でした。
憲法改正に臨もうとする岸・・・

2人の政治路線が安保で交わる時・・・
日本の政治が揺れました。

時を超えた路線構想は、今を持ってもまだ終わっていません。
ここに、戦後日本の原点がありまあす。

日本は戦後、占領軍・・・主にアメリカ軍の支配下に置かれました。
そのGHQ最高司令官が、ダグラス・マッカーサーでした。


マッカーサーは、
@日本を民主国家にすること。
A特にアメリカと戦争をしない国にすること。
が目的でした。

群を解体し、天皇を裁判にかける???

きちっとした天皇陛下に対し、ラフな格好のマッカーサー・・・
「天皇は現人神ではない・・・」
新聞の写真を見た日本人はショックを受けます。

imgtennoh[1].jpg


この時の会談の内容は・・・

天皇「・・・戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身あなたの代表する諸国の裁判に委ねるためおたずねした。」

マッカーサー「・・・明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までもゆり動かした。」

と、マッカーサーは懐古しています。

マッカーサーは、当時、命乞いに来たと思っていたのです。
    ↓
世界一のジェントルマンだ!!
と言うことで、裁判を回避しようと考えるのです。

天皇の地位を守ろうとします。
天皇をそのまま象徴として使うことに決めました。
陸海軍の武装解除の時も・・・普通なら反乱がおきるところですが、解体自体を「天皇の命令」としたので、反乱は起きなかったそうです。

その占領下にあって、マッカーサーと対立、対抗したのが吉田茂です。

GHQは、日本の弱体化を狙っていました。
重工業の設備を取り上げ、他の国に分配しようとします。
その為に邪魔な政治家を次々と公職追放します。

占領軍と渡り合える政治家を排除していきます。
その中で排除されなかった人物、どの政党にも属さず、議員でもなかった男・・・「吉田茂」です。
外交官出身で、後にワンマン宰相となる強烈な個性を持つ男。

吉田は、戦後復興の為に立ち上がります。

「日本を豊かな国に作りなおす!!占領軍と戦わなければならない」と思いました。

この吉田茂・・・
明治11年東京神田に生まれます。
明治34年学習院に入学。後に、東京大学卒業。
明治39年28歳で外務省に入省します。

当時の花形は、欧米に行く中、吉田は中国・済南領事となります。以後、天津・奉天総領事を歴任。
昭和21年68歳で第45代内閣総理大臣となります。

その間に・・・日本国憲法発布・サンフランシスコ講和条約調印・日米安全保障条約調印と、、、大きな足跡を残します。

何故・・・吉田が首相になれたのか?
それは、戦争中に憲兵隊に逮捕されていたからです。
「落日燃ゆ」でもそうでしたね。

落日燃ゆ [単行本] / 城山 三郎 (著); 新潮社 (刊)
落日燃ゆ [単行本] / 城山 三郎 (著); 新潮社 (刊)

何故逮捕されたかというと・・・
まだ戦争中に・・・近衛文麿と一緒に、東條英機を失墜させようとしたからです。
しかし、近衛家や吉田家にいたお手伝いさん・運転手はみんな、東條のスパイだったので、筒抜けでした。
近衛を逮捕するわけにもいかず、吉田を逮捕。。。

この「東條を辞めさせようとしたこと!!」が勲章となって、首相の座まで駆け上がるのです。

ワンマン宰相と言われた吉田茂。
どの政党にも属さない吉田が首相の座につくことになりました。
戦争反対を唱えていた吉田は、GHQに受け入れられ、生き残ったのです。

この逮捕の一件は・・・
戦争末期、誰の目にも敗戦は明らかでした。しかし、軍部の反対もあり、「どのように敗戦を受け入れるのか」「どのタイミングで敗戦を申し入れるのか」が問題となっていました。
そんな中、吉田は宮中を巻き込んで、降伏のための工作をしたのです。

外交官の吉田が首相となる・・・それはひとえに占領軍と交渉できる能力が求められたからなのです。

この時期、GHQは日本の弱体化を図っていました。
しかし日本は、GHQの意図を外し、復興する必要がありました。

吉田は占領軍と渡り合い、日本を独立させるために戦うことになります。

「戦争に負けて、外交に勝つ」

実は、戦後第1回の選挙で勝ったのは、当時の「鳩山一郎」が総裁の自由党でした。
だから、鳩山が首相となると誰もが思っていたのですが、GHQにより、公職追放されてしまいました。
後に戦争反対を唱えていましたが・・・リップサービスが豊富で、軍隊やヒトラーを褒めたことが一因と言われています。

だから、吉田茂が首相となったのです。
政治家でない男が首相となりました。

吉田茂の総理大臣就任条件は・・・
@資金作りは一切やらない
A閣僚の選考に口出しは無用
B辞めたくなったらいつでも辞める
鳩山一郎の回顧録には・・・
CGHQの追放が解けたら首相の座を鳩山一郎に返す・・・とあります???

しかし、返さなかったので、後にケンカのもとになりますが、本当にCはあったのでしょうか???

マッカーサーのしたこと・・。
追放と戦犯処理・・・
次に、憲法。

1946年11月に公布されました。
GHQは、そこでは、集会、結社、言論、宗教の自由、国民主権、男女同権などの基本的価値観を示しました。

第一条 天皇は、日本国民の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく

戦前は、主権は天皇にありましたが、国民主権とし天皇を象徴としました。

第九条  
@日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する

A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない
 国の交戦権は、これを認めない

第1項では安全保障を放棄しています。

日本の上層部はこれを受けて、「日本人が日本国を守れないなら、アメリカに守ってもらおう」という考えに変わっていきます。

平和のためには安全保障がいるのに、その安全保障を考えないことにし、経済の復興ののみに、心血を注ぎました。

しかし、米ソ冷戦が始まります。
1947年にトルーマン・ドクトリンで、ソ連・共産主義の封じ込めが始まります。
1948年チェコスロバキア政変
1948年ベルリン封鎖
1950年朝鮮戦争
1962年キューバ危機

日本を弱くしようと思っていたのに・・・強くしようという考え方に世界が動き始めます。

WTO(1955) VS NATO(1949) です。

世界を二分し、ソ連とアメリカの覇権争いが30年近く続きます。

1957年ソ連がスプートニク号の打ち上げに成功。
科学の力を見せつけます。。。
宇宙軍拡競争へ・・・

アジアにおいては・・・
1949年中国で毛沢東率いる共産党が勝利。
東南アジアでも共産主義勢力が力をつけます。

そんな中、アメリカの考え方が変わり始めました。

1950年朝鮮戦争勃発
この戦争で、在日アメリカ軍が殆ど朝鮮に出兵してしまいます。
がら空きになった日本。。。
1950年8月、マッカーサーは警察予備隊(今の自衛隊)を作ることを吉田に要請。
半島の混乱で、日本の軍事的価値が上がったのです。

アメリカは、日本の弱体化政策を変えなければならなくなりました。
そこが、吉田の・・・日本の独立の千載一遇のチャンス。

1950年 警察予備隊発足     7万5000人
1952年 保安隊(保安庁設置)  11万人
1954年 自衛隊(防衛庁設置)  陸上 13万人
                海上 1万5000人
                航空   6000人 

この警察予備隊は軍隊なのか???
おまけにGHQは共産党を怖がって、非合法としてしまいました。

アメリカが自由にしてくれたのに・・・
レッドパージが始まります。

1951年9月サンフランシスコ講和条約
アメリカは、日本の独立を遅くしようとしていたけれども、冷戦に対抗するためにはそうも言っていられなくなって。。。

アメリカは最前線の拠点にしようと考えました。
対日平和条約調印。

48か国調印していますが、、、ソ連や中国は入っていません。
そして、48か国の中には日本の独立に反対している人々もありました。

その講和条約を結ばせるために、吉田茂は池田勇人を密使としてワシントンに送り込みます。
池田は、ジョセフ・ドッジと密談。

講和の見返りに、アメリカ軍の駐留を認めることを伝えます。
その工作をして、締結にまでこぎつけるのです。

しかし、吉田にはもう一つの署名が待っていました。
日米安全保障条約の調印式です。
これこそ、吉田がアメリカに提案したみかえりでした。

アメリカ軍の駐留継続をする安保が交換条件だったのです。
駐留する代わりに、群を持たずに守ってもらえる・・・
アメリカ軍の傘下に入れば、軍を持つ必要もない。。。持ちたくない吉田は安保を選んだのです。

しかし、日本人からはたった一人で署名します。
この日米安保条約の内容は、かなり不平等なものでした。
吉田は、安保条約には問題があると思っていたのです。

基地をつくる場合、相談しなくてよい
日本防御の義務なし
期限は無制限

こんな内容でしたが、吉田の中では、いくら不平等であったとしても日本の独立を最優先にしたかったことが伺えます。

国内で吉田に対する批判が始まります。
「憲法を改正すべきではないか???」

その後いろいろな問題が出てきます。

吉田は佐藤栄作の造船疑獄に対し指揮権を発動し逮捕を止めたり、「バカヤロー」解散をしたり・・・
何より、鳩山一郎が帰ってきたのに首相の席を譲らない。。。

ここで活躍しだすのが、岸信介です。

その話は、また後で。。。

田原総一朗の遺言 〜タブーに挑んだ50年!未来への対話〜 [DVD] / 田原総一朗, 水道橋博士, 須黒清華, 山下洋輔, 白川和子 (出演)田原総一朗の遺言 〜タブーに挑んだ50年!未来への対話〜 [DVD] / 田原総一朗, 水道橋...
今だから言える日本政治の「タブー」 [単行本] / 田原 総一朗 (著); 扶桑社 (刊)
今だから言える日本政治の「タブー」 [単行本] / 田原 総一朗 (著); 扶桑社 (刊)
↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。黒ハート

にほんブログ村 経済ブログへ
にほんブログ村にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

政治 ブログランキングへ
posted by ちゃーちゃん at 11:39| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。