一番槍が大手柄とされるのも、戦場の緊張感と死への恐怖の中、一団の先頭を切って勇猛果敢に敵陣に突撃することが、武士にとって最高に名誉である華々しい行為でした。他にも、二番槍、一番太刀もあります。
敵味方が睨み合う中、名乗りをあげて敵と戦うことを一家の誉となり、評価されました。
敵将を討ち取ったなんて、めったに恵まれない機会にあえる侍は、”冥加の侍”と言われました。
一番槍や二番槍と同様に、武功とされるのが殿です。
敗走の際に、自分が一番最後まで残り、味方の退却を援助します。
勇猛でありかつ、忠義や信頼がなければ出来ないことでした。
誰が有名な一番槍???
なんて、思いますが・・・
槍で有名なのは、
「槍の又左」………………前田利家
「槍の半蔵」………………渡辺守綱
「槍の勘兵衛」……………渡辺勘兵衛
「槍弾正」…………………保科正俊
「槍大膳」…………………正木時茂
「槍の才蔵」………………可児才蔵
「血槍九郎」………………長坂信政
他にも・・・本田忠勝・加藤清正・・・あとは、服部半蔵とか・・・
槍の使い手はいろいろいますよね。
そんな名誉とされる一番槍・・・これをを巡って軍令違反も生じました。
珍しい例では徳川家康の家臣団であった水野勝成は、大将格であったにもかかわらず、一番槍をあげ軍令違反として処罰されています。
表面的な理由は、大将格が序盤で戦死すると総崩れになる可能性を危惧したものでしたが、統率者としての自己顕示欲の強さを戒める面もあります。
でも、それは、家康ならではの処罰のような気もしますね。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ