今回のMVPは・・・蒲田通清さんです!!

ほんとに、カッコよかったです!!
先週からノッてきましたが、それは通清・正清のおかげ

今回も見せてくれました

なんだかみんなのよく知らない平安の戦いを解説してくれています。
賀茂川を挟んでの戦いです。
1156年7月10日深夜、ついに戦いの火ぶたが切られようとしていました。
後白河天皇方には平清盛以下300騎、源義朝以下200騎などが陣をおく高松殿に集結。
乗っていますね、やる気満々の義朝です。
なんだか、いつも遊んでもらえないお父さんに、遊園地に連れて行ってもらったような有頂天ぶりです。

そう、清盛は後白河さんとはいつでも会えるし、タメ口仲間ですから。。。そんなドキドキ感なんかないんでしょうね。
権力の外にはじき出されていた源氏としては、ほんと、泳いで天にも・・・月にも昇る気持ちでしょう。

そんな気持ちがよく表れています。

義朝は死ぬ覚悟で戦う自分に今すぐ昇殿を認めろと主張、指揮をつかさどる信西は血気盛んな義朝にすぐさま昇殿と軍議への列座を認めました。
ほんと、腹黒くなってきましたよ、信西。。。そんなことするから、戦いが終わらないのよ。。。
そんな闘志むき出しの義朝に清盛は対抗心を燃やしますが、やっぱり基本的に平家はボンボンなのでしょうね。
同じころ源為義ら源氏勢や、平忠正とその一党は崇徳上皇がいる白河北殿に入りました。
藤原忠実は宇治で一人ぼう然としていました。藤原摂関家の栄華を取り戻すはずだったが、長男・忠通は天皇方、次男・頼長は上皇方に分かれて戦うことになり、悲痛な思いを感じていました。
それぞれの軍議の中で、天皇方の義朝と上皇方の源為朝は、ともに戦慣れした武士らしく、「夜討ちこそが最上策」と提言。やはり、戦い慣れしているというか・・・
でも、この夜討ち・・・きっと、武士としては駄目なんでしょうね。
どちらも身分の低い・・・敢えて言うと、身分の卑しい源氏の人間が言ったというところもキーポイントでしょうか?
この頃は、「やあやあ我こそは〜!!」と、名乗りをあげての戦いです。
卑怯なことは駄目でしょう?
許されるのは、源義経ぐらいでしょうか?
そう、卑怯な手で武功を立てた義経は、ハイソな武士を目指していた頼朝に認めてもらえませんものね・・・。
そして、その夜討ちを恥ずべき行為とするハイソな頼長がこれを退けます。
「孫子に曰く、利に合えば即ち動き、利に合わざれば即ち止まる。
我らはいま兵の数で劣っておる。それで攻めるのは利に合わぬ。
大和の軍勢が着くのを待つのじゃ。
また孫氏に曰く、夜呼ぶ者は恐るるなり。夜に兵が呼び合うは臆病の証。
されど孫氏に倣うまでもなく、夜討ちは卑怯なり」
上皇方は夜明けを待つことになりました。
ハイ、負け決定!!
そんなきれいごと言っているから勝てないのよ。
時代が黎明期から1000年あまり・・・
まだ、「勝てば官軍・時代は勝者が塗り替える」っていう事実が解っていないのね。。。

一方、天皇方の信西は、勝つためには手段を選ばずとばかり義朝の案を取り入れます。
「孫氏に曰く、夜呼ぶ者は恐るるなり。
夜通しこうしてピーピーと論じ続けるは臆病者のすること…と私は解釈した。
同じく孫氏に曰く、利に合えば即ち動き、利に合わざれば即ち止まる。
たとえ夜明けを待つにせよ、ぼんやりと待つことを孫氏はよしとはせなんだでしょう。
ならば動くがよし!!今すぐ!!」
信西は義朝の献策を褒めあげると、清盛も負けじと発奮してる???
ふたりとも学があって、孫子の「兵法」を言っていますが、同じものを読んでいるのに、この解釈の違い・・・。
やはり、書物から学ぶのは人・・・ということでしょうか。
全く反対の行動です。。。
清盛は早速一門に指示を出します。平氏の武功をあげるため為朝を狙え!!と。
伊藤忠清とその弟・忠直は、武士らしく、勇ましく参加。脳ミソ筋肉でできてる状態です。
それにつられて、清盛の長男・重盛、次男・基盛が出陣。
しかし弟の頼盛には、弱気になったものに兵は任せられないと即刻立ち去るよう命じました。
きっと、おじさんの忠正と頼盛のことを解ってのこと???
みたいに、気を遣えるようになったのかなあ・・・。
大人になったね、清盛。
でも、頼盛は憎んでおります、憎んでおりますよ。
また、義朝のもとには、家臣・鎌田正清とその義父・長田忠致が加わります。
陣立てをする清盛、義朝らの前に後白河天皇が現れ、じきじきに言葉をかけます。
「全ては白河院の御代より始まったこと。
これを止められるは武士しかおらぬ。
そなたたちの武者たちの力を持って、白河の北殿を落とすことが“新しき世”の始まりである」と。
戦のいきさつを改めて語り、武士たちの力で勝利することが新しき世の始まりだと鼓舞しました。
腹黒いですね。さすが、これからの世の中を引っ掻き回す人です。
のほほんと天皇になったわけではなく、野心に満ち溢れています。
利用するものは、利用しまくる!!
でも、武士には何にもあげないよ

ってな感じがよく出ています。
後白河天皇の軍勢は三方に分かれて白河北殿に向かいました。突然の敵襲に頼長は動転します。
夜討ちって朝の4時でも夜討ちなのね。
パパ曰く、「賀茂川はさんでなのに、見張ってないのかな???」
ごもっとも、冷静な批評です

義朝は白河北殿に向かう途中、賀茂の河原で敵軍となった弟・頼賢らと遭遇、白河北殿の南門では伊藤忠清・忠直が強弓の使い手・為朝と対戦しています。
為朝が射た矢は忠直のよろいを貫き、絶命!!
「え〜!! もう死んじゃった・・・」
でも、それだけ強かったのよね。ガンダムが。。。
一方、北門では清盛の前に叔父・忠正が立ちはだかります。無駄な血を流したくないという清盛に射かける忠正。ふたりの死闘が始まりました。
清盛「すみやかに門をお開けください」

忠正「いざ、勝負!」

カッコいいよね〜、この二人

って、もっと、ダイナミックに戦わないの???
この当時の戦いって、こんなちまちまとした感じだったのかなあ。。。
戦国のような大胆で、かつ練られた戦いではなかったのかなあ・・・。
とは思いましたが。
私が、カッコいいストーリーに喜んでいると。。。
パパ曰く・・・
「戦いなんて、ドラマなんてないよ。
打算以外の何物でもないやろ・・・」
みたいなことを言ってました。
確かにそうなんですけど、大河ドラマですから感情移入したいの

やっと、感情移入できる久々の大河ドラマなんだから!!
南門で次々に敵を射たおす為朝の強弓!!
立ちはだかる鎌田正清に為朝は鋭い矢を放つが、身をていして矢を受けたのは為朝側についていたはずの正清の父・通清でした。
なんだかんだ言っても、子供がかわいいのよ

「武士の風上にも置けぬことをしてしまった…この父を見習うでないぞ」
ああ・・・死んでしまいました。
最近、急上昇の人だったのに

深手を負った通清は為義の前に行き、為義の子はみな立派に戦っている、源氏の世はきっとくると告げて息絶えました。
最後まで、為義の為に・・・忠義です。

そんな姿を見てしまった為義・・・。
屋敷にいても、どう見ても劣勢・・・。
バタバタと武士が倒れていく中、悲しみに我を失った為義は、指揮官の頼長を置き去りにして前線に・・・
頼長「どこへ行く!ここへいて私を守れ!」
為義
「黙れい!戦を知らぬ者は、
耳を塞いで時が過ぎるのを待っておれ!」
今までダメダメだったのが、この日のためのダメダメだったように思えます。

ほんと、かっこいい!!為義

屋敷を出て、我が子・義朝に斬りかかします。
応戦する義朝もさすがに父を斬ることができず、退却を決断。。。
義朝は信西に使いをやり、御所に火を放つことを提案。
「法勝寺まで火が及び、伽藍を消失する恐れがあるかもしれませぬが・・・」
「・・・下野守は愚か者である。帝がこの戦に勝たれれば、法勝寺の伽藍などすぐ再建できよう。
許しを請うに及ばす!即刻火をかけよ!」
信西は即刻火をかけよと命じます。
この人は解っていましたよ。
歴史は「勝者の歴史」だという事を!!
悪に拍車がかかっています。
阿部サダヲさん、やってましたよね・・・。ドクロベエ、思い出しちゃいました。
![cfe585ee[1].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/cfe585ee5B15D-thumbnail2.jpg)
清盛と忠正が戦う北門では兎丸たちが巨大な丸太で門を壊し、兵たちが突入。義朝の火攻めも始まりました。
うろたえる頼長。。。
ここも、公卿なんて所詮、こんなもの。。。
みたいな感じがよく出ています。
2000年の歴史の中で、戦った公卿なんて、まさに異端児・岩倉具視ぐらいでないの???
岩倉さんも、あんまり高い地位ではなかったですけどね。
近衛文麿も、第二次世界大戦から逃げてしまったしね。。。
で・・・戦いに参加していた天皇は・・・
後白河天皇―――平清盛、源頼朝
後鳥羽上皇―――北条義時、北条政子
後醍醐天皇―――北条高時、足利尊氏
後小松天皇―――足利義満
後正親天皇―――織田信長
後水尾天皇―――徳川秀忠
ぐらいかしら???
崇徳上皇は頼長を信じた自分が愚かだったと言い捨て、白河北殿を去ってしまいます。
後白河天皇側の勝利が決定的になる中、清盛はかつて白河法皇と対面した場所でもある白河北殿が焼け落ちていくのを、感慨を持ってみつめていました。
ああ・・・本当に面白かった。

みんな、それぞれのポジションづけがはっきりしていて、解りやすかったですね。

私が気に入ったのは、オウムを片手にオロオロする頼長様でしたが。

先週も書きましたが、やっぱり「戦」が面白いのかなあ・・・。
そう思う私も、ちょっと不謹慎でしょうか???
でも、まだ「平治の乱」が残っています。
こちらも楽しみです。
武士ですからね。。。戦いの歴史です。
呑気な平氏の棟梁の妻・時子が、どういうふうにして思い雰囲気を打破してくれるのかも楽しみです。

↓ランキングに参加しています。

↓応援してくれると嬉しいです。


にほんブログ村

歴史 ブログランキングへ