![好色一代男 (中公文庫) [文庫] / 吉行 淳之介 (翻訳); 中央公論新社 (刊) 好色一代男 (中公文庫) [文庫] / 吉行 淳之介 (翻訳); 中央公論新社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/518MxFyXzBL._SL160_.jpg)
この時、文学史上空前の「好色一代男」が誕生します。
生涯で4000人以上の男を愛した世の介、男たちの夢と野望にみちたそのストーリーは、大名も隠れて読んだとか・・・まさに、日本初のベストセラーでした。
作家は、大坂商人と言われる井原西鶴。
41歳で刊行した「好色一代男」を皮切りに、10年間で30近くの作品を発表します。
これらの作品は、浮世草子と呼ばれ、大人気を博しました。
まだ大衆小説がなかった時代、どのようにしてベストセラー作家となったのか?
謎の男・西鶴・・・その秘密を探ります。
日本初のベストセラー小説、「好色一代男」は1682年に発表されました。
主人公・世之介、この世之介、生涯で、女性3742人、男性725人と戯れた男です。
世之助の7歳から60歳までを54話に編成してあります。
その破天荒な愛の遍歴は3つに分かれます。
第一期は・・・7歳から18歳までの若き日の恋。
多くの人が、ちょっとやってみたいのぞきとか、膝枕。。。
そんなエピソードを、親しみやすい読者と同じ目線で書いてあります。
第二期は・・・19歳から33歳までの諸国漫遊。
19歳の時、あまりの好色ぶりに親に勘当されてしまいます。
そこで・・・自由気ままに日本を放浪。
様々な経験をします。
この諸国漫遊は、農民は田んぼに、商人も武士も縛り付けられて旅の自由がありませんでした。
だから、ガイドブック的に興味を持たれたそうです。
第三期・・・34歳から60歳までの遊女図鑑。
34歳の時、父の遺産、現在にして500億円を相続。
これをすべて色ごとに使い果たそうとします。
そこには実在の遊女、吉野太夫も登場します。
様々な男女とのスキャンダラスな生活を繰り広げられます。
ドキュメンタリータッチに実際にあったこともストーリーに加えました。
この当時、貸本屋も出来ていたので、庶民も読めるようになって・・・
次々と浮世草子を発表していくことになります。
この魅力は・・・
日本は封建制が長く、家を中心に生きてきました。
しかし、この好色一代男の主人公・世之介は、家の義務を果たさない、子孫を残さないという形で書かれています。
反道徳的というか、封建制度に対する反逆でした。
タブーを破ることで、生き方を教えてくれるという書き方を日本で一番最初にやった作品です。
これまでの文学作品との違いは?
まずは・・
読者層が広かったこと。
啓蒙的ではないということが、商品になったということ。
これまでの時代は、徳川家康が作った江戸・基本は無事泰平でした。
つまり、藩ごとに自給自足をして範囲内で片づけられるようにしたものでした。
ということは、食事は食べられればいい。着るものは頑丈だったらいい。という感じだったのです。
ところが・・・
街道が整備され、船も動く。。。
余裕が出てきた時代が元禄時代でした。
おまけに、武士や公家の読む本はありましたが、庶民の読む本はあまりありませんでした。
この好色一代男が大坂で生まれたのでしょうか?
1615年大坂夏の陣で大坂城落城。
豊臣政権が崩壊し、徳川の世となりました。
大坂城は手を入れること10年間。400万石もの経費が掛かり、大国家プロジェクトとなりました。
町には町人や職人が移住、自らの力で国づくりを始めます。
元禄の頃・・・人口およそ40万人のうち町人の割合90%。
各藩こぞって蔵をつくり、天下の台所と呼ばれるようになります。

日本永代蔵 現代語訳付き/井原西鶴/堀切実【RCPsuper1206】
西鶴の「日本永代蔵」には、そんな大坂の繁栄が書かれています。
「淀川にかかる難波橋は
北浜と天満をつなぎ
橋から西を見渡せば
数千軒もの問屋が
屋根の甍を競ってならび、
土蔵の白壁は夜明けの雪とも
見まがうほどである
商家という商家はいずこも
それぞれに風を起こし
暖簾をひるがえす
繁盛ぶりである」
好景気に沸く大坂。
豪商が誕生します。
そんな豪商の贅を尽くした建築や衣装、調度品が、新しい文化を生み出しました。
商人なので、読み書きそろばんは当たり前。
そんな商人たちに新しい文化の関心が高まります。
そんな人たちが、西鶴の読者となったのです。
この好色一代男の「54章」は、源氏物語の「54帖」に習ったものです。
光源氏の読み始めが7歳、世之介が性に目覚めたのも7歳。
「伊勢物語」の”芥川”もパロディっています。
普通に読んでも面白いが、源氏物語や伊勢物語を知っている人も面白い、複合的な構造になっています。
金銭的な豊かさと、高い教養を身に着けていった町人こそが、読者だったのです。
何故こんなに大坂に物が集まるのでしょうか?
当時の航路の表玄関は、日本海側。
北前船の終点が大坂だったのです。
江戸は10人にひとりが武士、大阪では200人にひとりが武士、おまけにこの武士は台所方が多いので、商人の方が力が強いのです。
おまけに江戸語が出来るのは、18世紀半ば。
だから、言葉の通じない江戸で、ドラマは作れないのだそうです。
大坂では17世紀初頭には、普通の人間が深い自分の気持ちを喋れたそうです。
町人の為の新しい何かを求め始めた大阪商人、そこに俳諧や浮世草子が出てくるのです。
井原西鶴、その人生は、多くの謎に包まれています。
生まれは大坂・・・
1642年商人の家に誕生。
15歳で俳諧を始めて教えるようになります。
形式を重んじる京都の・貞門派、西鶴も所属する大阪の談林派は自由な特徴でした。
西鶴は異端児だったので、オランダ西鶴と呼ばれていました。
これは一種の差別用語・・・しかし、西鶴はこれを自負します。
そんな西鶴に人生の転機が・・・
西鶴34歳の時、9歳年下の妻が3人の子供を残して世を去ります。
その直後、俳諧集「独吟一日千句」
亡くなった妻の為に、一日で千句をよむという異例のことをしました。
妻の追善と独吟が、貴重な体験となりました。
その後剃髪し、商売から身を引いたのです。
1682年「好色一代男」を刊行。
井原西鶴は41歳。どうして、こんな破天荒な物を書いたのか?
悪所・・・それは、遊里や芝居町などの歓楽街のこと。
人々が封建的な身分制度のなかでがんじがらめになっていた時代、唯一違う場所が悪所でした。
お金さえ出せば享楽的に遊べる。。。
しかし、そんな遊里の世界にも、身分制度がありました。
そんな世界を打ち破って、色事を追及していく・・・
この和本のデザインは、とてもこった構成です。
だから、有名ではない版元を使っています。
「好色一代男」のテーマとは?
西鶴の作品から読み取れる人間観。
主体性を持って生きる女性像が初めて出てきた作品です。
封建制そのものに対する反逆で、個の出てきた時代。
世間の目を全く無視した作品で、ルネサンス(人間回帰)。。。
どういう生き方が可能なのかを小説の中で検証しているのです。
1690年49歳の時、筆が突然止まります。
2年間ぷっつりと執筆活動がなくなります。
そして出された作品は。。。

世間胸算用/井原西鶴/金井寅之助/松原秀江【RCPsuper1206】
「世間胸算用」
町人の悲喜こもごもが書かれています。
哀れさも人間の生である。ということ、常に笑いのある・・・
”哀れにも又おかし”の境地です。
1693年、52歳の生涯を閉じます。
「浮き世の月
見過ごしにけり
末二年」
日本初のベストセラー作家・井原西鶴・・・
人々に、忘れ去られていきます。
再び脚光を浴びるのは。。。
田山花袋、正宗白鳥たちの近代小説家でした。
そこには、西鶴のリアリズム、人間生活眼がありました。
太宰も西鶴に惹かれ、新釈諸国噺を書いています。
「西鶴は世界で一番偉い作家である
私のこのような仕事に依って、
西鶴のその偉さが、
さらに深く皆に
信用されるようになったら、
私の貧しい仕事も
無意義ではないと思われる。」
元禄という華やかな時代、人間の光と闇、笑いを描こうとした西鶴の物語は、今も魅力的です。

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