2012年06月14日

古代ミステリー・邪馬台国の魔力に迫る

日本古代史最大のミステリー・・・

3世紀、女王・卑弥呼が君臨した邪馬台国はどこにあったのでしょうか?

謎の始まりは、中国の歴史書「魏志倭人伝」・・・
そこに記された邪馬台国の場所を巡って、論争が続いています。

最も有力なのが、近畿と九州。
この論争は、江戸時代から300年に渡る国民的ミステリーです。
それぞれを裏付ける物証が、いろいろと発見されています。

近年、その論争に拍車をかけたのが、吉野ケ里と纏向遺跡・・・。
そこから明らかになる日本人の原点とは???

邪馬台国はどこにあったのか???
そもそもの発端は、中国の歴史書「魏志倭人伝」
そこに書かれている文字が、論争を引き起こしました。

『郡より倭に至るには、海岸にしたがいて水行し、韓国をへて、乍は南し乍は東し、その北岸狗邪韓国に到る。七千余里。はじめて一海を度る。千余里。対海国に至る。また南一海を渡る。千余里。名を瀚海という。一大国に至る。また一海を渡る千余里、末廬国に至る。東南、陸行五百里にして、伊都国に到る。東南、奴国に至るには百里。東行、不弥国に至るには百里。南、投馬国に至るには水行二十日。南、邪馬壱国に至る、女王の都する所なり。水行十日陸行一月。女王国より以北、その戸数・道里は略載し得べきも、その余の旁国は遠絶にして詳かにするを得ず。...............これ女王の境界の尽くる所なり。その南に狗奴国あり、男子を王となす。女王に属せず。郡より女王国に至るには万二千余里。』

この通りに南に進むと、はるか南の海となります。
これが謎の始まりでした。

江戸時代の半ば、忠臣蔵の頃です。
新井白石が魏志倭人伝を読み解いたのがきっかけです。
白石は、方位と距離を無視し、一支国は壱岐、末廬は松浦半島、伊都国は怡土、奴国は那珂、不与国は宇美・・・と、九州の地名をあてはめます。

この方法でたどり着いた邪馬台国は・・・
「邪馬台国と唱えしは、今の大和の国と言いしなり。」
これが畿内説の始まりでした。

しかし、後年、白石はもう一つ「やまと」という発音を見つけてしまいました。
それは、九州、福岡県の山門です。
そして、九州説も立ち上げました。

2つにスポットを当てて、以後300年間、様々な推理を繰り広げ、論争が始まります。
明治・・・近代化の時代、論争は、学者の間で本格化。

明治43年東大・京大の学者が、真向から対立します。

東大の白鳥庫吉は、
「南に水行十日、陸行一月」
が、書き間違いで、陸行が一日では?と考えました。
そして、邪馬台国は九州にあり!!

反論したのは、ライバルの京都大学の内藤湖南。
南が書き間違いで、東では?
瀬戸内を渡り、近畿にありとしました。

日数か、方位か?
学会を巻き込んだ大論争となりました。

そして戦後は。。。
邪馬台国は、一大国民ミステリーに。。。
そのきっかけは、松本清張。
推理小説の題材となりました。
邪馬台国 清張通史(1) (講談社文庫―清張通史) [文庫] / 松本 清張 (著); 講談社 (刊)
邪馬台国 清張通史(1) (講談社文庫―清張通史) [文庫] / 松本 清張 (著); 講談社...

もう一つは、50万部の大ベストセラー
長崎県の盲目の郷土歴史家・宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」です。
邪馬台国を自らの故郷・島原と推理。
自らの足で歩いて探す・・・これは、現場を歩くことの楽しさを、一般の人に教えました。
まぼろしの邪馬台国 第1部
まぼろしの邪馬台国 第1部

まぼろしの邪馬台国 特別限定版(仮) [DVD] / 吉永小百合, 竹中直人, 窪塚洋介, 風間トオル, 平田満 (出演); 堤幸彦 (監督)
まぼろしの邪馬台国 特別限定版(仮) [DVD] / 吉永小百合, 竹中直人, 窪塚洋介, 風...

全国各地で邪馬台国がブームとなります。

邪馬台国は、300年も人々を楽しませてくれる最大のミステリーです。
どうして人が惹きつけられるのか???

@人間は、もうひと押しで解ける謎に惹きつけられる。
A卑弥呼が女性だった。
B自分の国のルーツだから。
 究極の自分探しなのでは?
C「魏志倭人伝」は、三国志のごく一部しかない・・・。

時代としては、弥生時代と古墳時代の境界です。
弥生時代は地域の割拠状態でしたが、古墳時代は奈良に大きな前方後円墳、地方にも前方後円墳が出来て、政治的な統合が生じました。

小さな村々から大きな国が出来たのです。

そんな空白の3世紀です。

時間が無くなってしまいました。

続きはまたあした。

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ラベル:邪馬台国
posted by ちゃーちゃん at 18:19| Comment(0) | BS歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

お金がわかればニュースのナゾが解ける!?B

中華人民共和国、GDP国内総生産が第2位の国です。

そして、輸出額も世界一!!

この国が今集めているのは、「金・ゴールド」です。

ではどのようにして買い集めているのでしょうか???

そして、その売買市場として白熱しているのが香港です。

香港は、中国が世界に向けて開いた門のようなものです。
世界中からいろんな商品や情報は、香港を経由しています。

香港とは・・・一国二制度です。
これは、一国の中に、根本的に異なる地域が複数ある状態のことを指します。
つまり、政治制度や経済制度は違ってもいいということです。

金は、香港でどのように取引されているのでしょうか???


上環(ションワン)地区には、1910年創立の香港金銀業貿易場があります。
100年以上も前からそこで取引しています。

ここに集まる金が、近年増えてきています。

ここではまず、金の質を調べます。

紺の延べ棒1本で、およそ448万円です。
この中から品質を検査します。
もちろん削って・・・たらーっ(汗)

金は、不純物が混じっていなければ高温や薬品に溶かしても重さが同じです。
それを調べて品質を調べます。

国際的には4つの印が入っていなければなりません。
それは、業者のマーク・重さ・純度・シリアルナンバーです。

これを1階にある取引所で売り買いが行われています。
午前11時から始まります。
取引は、1トロイオンス=31.1035gで行われます。
リーマンショック以降、急激に金の値段が上がっています。

香港金銀業貿易場、ここでは、年間の金取引額が420兆円以上と言われています。
取引された金は、この香港の業者から中国に渡っています。


では、地球上にどれだけの金があるのでしょうか???

金・・・・17万1300t
銀・・・・100万t
銅・・・・約6億t

あります。

金は、オリンピックプール3個分です。
30年で枯渇すると言われています。

現存する金としては、紀元前2600年・ウル王墓の装飾品、紀元前1300年ごろのツタンカーメンの黄金のマスクが有名です。


20120519082714[1].jpg

世界初の金貨は、紀元前670年ごろ、今のトルコ西部、「リディア王国」の貨幣です。

貴重な金貨だからこそ、お金となりました。

しかし、お金を持ち歩くのが大変になったので、紙幣が出来ます。

1287年世界初の金と交換できる紙幣「至元通行宝鈔」

kousyou[1].jpg

元の初代皇帝フビライが発行しました。

”金と代えることが出来るから価値がある”

日本でも、土佐藩の藩札、明治時代には「明治通宝札」が兌換紙幣として発行されました。

それを日本銀行が発行するようになります。

最後の兌換紙幣はこちら。

img_1601239_52645022_0[1].jpg

ここには、「この金と引換に金貨五圓相渡申候」とあります。

しかし、経済が発達すると、金額も増えてきて・・・
銀行に、交換できる金がなくなってきます。

そこで、金とは変えられないお札が発行されるようになりました。

金は、どの国でも使えるので、「無国籍通貨」と呼ばれることもあります。
そう、国際的にも信用が高いのです。

では、中国に入った金はどのようになっていくのでしょうか???

上海・豫園では・・・
ここには、16世紀に造られた有名な庭園があって、昔から観光客の多い町です。
なので、貴金属店が集まり出して・・・100件以上の店が連なる中国有数の貴金属街となりました。

お店の中はどうなっているのでしょうか?
投資の一つに金を購入しています。
アクセサリーにしたり、縁起が良いとお守りにすることもしばしばです。
中国では一般市民も大富豪も金を買い集めています。

どれくらいの人が???

現在、中国13億人の51%が金を買う経済力があると言われています!?

金の保有量としては・・・

@アメリカ・・・・・8133.5t
Aドイツ
Bイタリア
Cフランス
D中国・・・・・・・1054.1t
Eスイス
Fロシア
G日本・・・・・・・765.2t
Hオランダ
Iインド

となっています。

しかし、最近・・・
中国国務院・李暁南主席が・・・
「金の保有量を10年以内に1万tまで増やすべきだ」と発表しました。

さらに・・・
中国人民銀行・王振営副主任は・・・
「中国に相応しい金融商品は間違いなく”金”です。」と発言しました。

その意図は・・・

@リスクの少ない投資・・・バブルがはじけても安定している。
Aインフレ防止・・・景気が良すぎて物の値段が高くなってきています。
          だから、金にして、お金を動かなくしているのです。
B人民元を国際通貨にしよう。

ということです。


国際通貨は・・・基準がありません。
目安は、IMF(国際通貨基金)。
ここで貸してくれる通貨は4種類。
米ドル・欧州ユーロ・日本円・英ポンド・・・これが国際通貨です。

国際通貨になると良いことは???
貿易が楽になります。

世界の通貨別為替取引割合は・・・

米ドル・・・・・・42.4%
ユーロ・・・・・・19.5%
日本円・・・・・・9.5%
英ポンド・・・・・6.4%
その他・・・・・・22.2%

です。

ここに入ってきたい、人民元です。
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2012年06月12日

西郷隆盛〜明治の礎を作った薩摩の怪物〜

今回のTHEナンバー2は、西郷隆盛さんです。

西郷さん、何回もいろんな場所でお見かけしているのでもうナンバー2で何回かしているのでは?と思ってしまいましたが、やっていなかったのですね。

でも・・・なんだか気乗りがしないというか、うまくまとめられないというか・・・
今回は、加治将一さんでした。
いつも解説してくれる時に・・・
「私が思うところ・・・」とか、「私の説では・・・」とか、突拍子もないことを言ってくれるので、頭の中が混乱しています。
いつもレポートするときは、感情移入しないつもりなんですけど・・・あせあせ(飛び散る汗)頑張ります。


1854年日米和親条約締結。
時代が大きく舵を切った時、歴史の表舞台に現れたのが西郷吉之助。
後に、幕末維新の表舞台に躍り出る西郷隆盛です。

江戸幕府を倒し、江戸城を無血開城に導き、明治政府で辣腕を振るうも、最期は政府に刀を向けた怪物です。

西郷隆盛は、維新最大の功労者でしょうか?
それとも、逆臣なのでしょうか?

その本当の顔を知るものはいません。

最も知られている顔・・・
topsyasin[1].jpg

は、会ったこともないイタリア人画家・キヨソーネが明治16年に描いたもので、隆盛の弟・西郷従道と、隆盛の父方の従弟・大山巌のオラージュしたものなのです。

また西郷の像も、本人とは全く違うとか。

生前の写真は存在しないと言われていました。

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しかし、加治将一さんによると・・・
1865年12月、若侍を中心に13人、その一番右端が西郷???
その理由は、大男でヘラクレスのようだということ。。。?????

本当にそんな理由で良いの???
と、私の中でモヤモヤが発生してしまいました。

でも、頑張って見ます。

一枚もないと言われてきた絵、平藩の藩校から出てきた一冊のアルバムにありました。

その決め手をもう少し深く掘り下げてくれました。

@永山弥一郎という影武者がいて、その人に似ている。
A背が高かった。
Bオーストラリア人が、「まるでヘラクレスのようだと言っていた」
C島流しの後なので、がりがりだった。

本当にそれでいいの?加治さん。。。って、思ってしまいました。
モヤモヤがふくらんでいきます。

さて、勝海舟の目に映る西郷とは?
西郷の死から2年後に碑を建てています。
反逆者の碑は、当時では考えられないことでした。

きっとそこには、2人の信頼関係があったのでしょう。

禁門の変では幕府の指揮官だった西郷と、軍艦奉行だった勝。
2人の歴史的な出会いはどうだったのでしょうか?

勝海舟に会うことで、西郷の考えが180度転換します。
西郷を公武合体派から討幕にしたのは勝だったと言っても過言ではありません。

この日を境に、西郷は、長州との同盟を考えるようになります。

この13人の写真は、それから3か月後の写真です。
「薩英戦争講和修好時の島津久治」というキャプションがついています。

取り巻きは薩摩藩士。
東郷平八郎らしき人も映っています。
そう、後の薩摩閥で固めた海軍の大将や中将です。

この人たちは、10年前から長崎海軍伝習所に出入りしていた人たちです。
つまり、勝とは昵懇の仲でした。

この1年後に薩長同盟です。
加治さんの考えでは、この明治維新は裏でイギリスが糸を引いていたみたいなことを言っていました。


慶喜に対立する薩長に対し、慶喜は大政奉還をします。
しかし、やはり、実権は、徳川に・・・。

これを快く思わない人が・・・
12月大久保利通や岩倉具視らが図り、王政復古の大号令をかけます。

しかし、王政復古の大号令と言っても、絵に描いた餅。。。
相変わらず徳川に強力な力がありました。

大義を失った薩長は、大義名分を作ろうとします。
西郷は、江戸中に火を放ち、略奪をし、攪乱行動をします。

これに対し幕府側が、水戸にある薩摩邸を焼き討ちしてしまいます。

これが引き金、つまり薩長側の大義名分となって、鳥羽伏見の戦いが始まりました。
薩長は、兵力的には劣っていたものの、錦の御旗で勝利します。

勝と西郷が会見し、江戸城は無血開城。
そこには、天璋院篤姫の手紙もありました。西郷の恩人・斉彬の顔が浮かびます。


維新になって、廃藩置県に挑みます。この大事業を成し遂げられるのは、西郷しかいませんでした。
大久保は・・・
「是非とも東京に来てくれ  西郷どんが必要でごわす
  廃藩置県が出来るのは、おはんしかおらん」
涙ながらに説得しました。

「やるからには、命をかくっつもりでやらんとなりもはん」

西郷はすでに、鹿児島で廃藩置県に先駆ける改革を行っていました。
知行の返上・平均して200石の士族に統一します。
版籍奉還を行って、廃藩置県を行ったのです。


しかし、これは藩主と藩主の生活を脅かすものでもありました。
島津久光も大反対です。

難しいと思われた廃藩置県、御親兵の圧倒的な軍事力を持って、無血革命で達成します。
この、士族を一気に解体するのは気が引けた西郷、警察官3000人のうち2000人は薩摩を採用、士族の居場所を探します。

1871年9月15日、西郷は勝と三度目の対談をします。
「こげん面倒なことになるんじゃったら 早う死んじょった方がましでごわした」

「おいらも時々そう思う」  

と言ったとか。

廃藩置県は、西郷の軍事力を統率するカリスマ性がなければできませんでした。
その西郷のカリスマ性を利用する大久保。
廃藩置県は、政府にとって内政の大きな山でした。
これを西郷の力で乗り切ると・・・
「岩倉使節団」として主要メンバーは旅に出てしまいます。

その間に当時は鎖国中だった朝鮮との問題が勃発します。
朝鮮を開国させようとする「征韓論」が出てきて・・・
両国の関係は悪化の一途を辿ります。

西郷は韓国に行って、平和裏に納めようとしていましたが。。。

それを覆したのは、旅から帰ってきた大久保でした。
嫌気を出した西郷は、鹿児島へ帰ってしまいました。
そう、西郷は、新政府と決裂したのです。

1874年6月私学校を作ります。
銃隊学校・砲隊学校・吉野開墾社・・・鹿児島の士族を教育しようとしました。

しかし、これは軍隊???
近代国家として明治政府が成立するためには、放ってはおけません。

そして危惧していたことが・・・
私学校の生徒が、陸軍火薬庫を襲撃!!
西郷は。。。「おはんたちは 何たることをしでかしたか!?」

1877年2月15日、日本最後の内戦が始まりました。西南戦争の勃発です。

9月24日西郷自決。。。

明治維新の一番の立役者は、反逆者としてその一生を終えるのです。
享年51歳でした。

鎌倉時代より750年続いた武士の世を終わらせた男は、自らの命を武士の世の終わりの仕上げとしました。

討幕・廃藩置県・西南戦争・・・

日本が近代国家に生まれ変わるために、自らを人柱としたのです。

勝は、亡き友の追悼と、名誉回復に努め、息子・寅太郎を支援。
寅太郎が海外留学の際は、資金集めに奔走しました。

1898年師走・・・
銅像の除幕式にて・・・

「どうも出来がよくない・・・」

勝は、満足できなかったようです。

その顔は謎のままに・・・。


みたいな感じでした。
どうでしょうか?
初めての西郷さんなのに・・・

顔がどうとかよりも、西郷さんの生い立ちとか、成し遂げた偉業とか、してほしかったなあ・・・。
だって、顔は結局解らなかったのだから・・・。あせあせ(飛び散る汗)

これなら、まえにナンバー2でやった大久保利通の方が、かっこいいと思ってしまいました。。。あせあせ(飛び散る汗)

それはこちら。
大久保利通〜明治を創った男・維新の設計者〜


西郷さんには今も惹きつけてやまない魅力がたくさんあります。
人情とか、人情とか、人情とか、きっぷのいいところとか、官僚タイプの大久保とは違うダイナミックな部分とか・・・。

もっと歴史に忠実に・・・そして
かっこいい西郷さんを見たかったなあ。。。

って、私情ははさんで書かないつもりだったのに・・・。
今回は、なんだかグダグダに思ってしまったので。。。
ごめんなさい。反省します。

西郷隆盛 第一巻 [単行本] / 海音寺 潮五郎 (著); 朝日新聞社 (刊)
西郷隆盛 第一巻 [単行本] / 海音寺 潮五郎 (著); 朝日新聞社 (刊)
西郷隆盛伝説 (角川文庫) [文庫] / 佐高 信 (著); 角川学芸出版 (刊)
西郷隆盛伝説 (角川文庫) [文庫] / 佐高 信 (著); 角川学芸出版 (刊)

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ラベル:西郷隆盛
posted by ちゃーちゃん at 20:40| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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