2012年05月23日

中岡慎太郎〜幕末を歩き続けた黒子〜

幕末の動乱に、明治維新の礎となる薩長同盟を成立させた龍馬。

龍馬は国民的ヒーローとして名を残しましたが、中岡慎太郎はナンバー2として活動しながらも、ひっそりと隠れていました。

しかし、中岡慎太郎がいなければ、薩長同盟は締結しませんでした。

幕末 維新の暗号 [単行本] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)
幕末 維新の暗号 [単行本] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)


土佐の田舎で農民のように暮らしてきた男が、武士や公家たちと渡り歩くことになります。

討幕を考えている人はいたものの、当時はまだまだ幕府の力も強く、協力しないと討幕は無理でした。
おまけに、公家も一枚岩ではなく、2,3に分かれていたのです。

犬猿の仲だった薩摩と長州と・・・岩倉と三条を・・・中岡慎太郎が走り回ってまとめ上げました。

中岡慎太郎の原点は、高知県安芸郡北川村、26歳までここで過ごしました。
北上郷14カ村を抱えた大庄屋・中岡小傳次の長男として1838年に誕生。
58才で長男が生まれたということもあり、熱心に教育されました。
7歳になると、徒歩で往復3時間の山道を、塾に通わせました。

14歳で慎太郎は田野学館へ。。。
そこに先生としていたのが、武市半平太でした。
公武合体を支持する山内容堂に対して、下級武士・郷士は勤皇思想・尊王攘夷に目覚めていました。


これからというときに、父が病に倒れます。
20歳で妻をめとり、庄屋見習いのように村長となります。

村では地震や災害、飢饉を体験します。
民衆が安心して生活できる世の中に!!

時代は・・・
長州⇒尊王攘夷
薩摩⇒公武合体
土佐の武市半平太は、尊王攘夷を目的として「土佐勤皇党」を結成します。
賛同した192名、そのほとんどが、郷士や下級武士でした。

公武合体派の吉田東洋は、勤皇党によって暗殺。
土佐藩は尊王攘夷となります。
1862年、土佐勤皇党は、江戸に出発。それに洩れた慎太郎は50人組を結成し、自費で参加します。

江戸では、多くの若き志士に出会います。そして、佐久間象山とも・・・。
次の年には土佐藩の徒目付となり、警護や探索の任務に就きました。それは、山内容堂による大抜擢でした。

そんな時、1863年8月18日の政変により、「七卿落ち」がありました。

当時、龍馬は脱藩していました。
七卿落ちの知らせを聞いた慎太郎は、日本を立て直すために立ち上がります。
向かったのは、長州・巳田尻。ここは、尊王攘夷のアジトのようなものでした。

そこには、三条実美が都落ちをしてきていました。そして、土佐勤皇党の人間も、三条を守ってついてきています。

復権のチャンスを狙っている三条実美。
この三条実美と容堂の仲を取り持ったのが、慎太郎です。

三条実美の母は土佐藩主山内豊策の三女・紀子。
つまり、三条家と土佐藩には繋がりがあったのです。
勤皇党のバックには三条実美がいたということです。

三条に会うことで、慎太郎の視野が格段に広がります。
上級武士のシンボルは幕府。下級武士のシンボルは朝廷になっていきます。

朝廷とのつながりの出来た慎太郎。。。しかし、危機が迫っていました。

土佐藩では大混乱が起こっていました。
山内容堂による弾圧です。吉田東洋の暗殺を理由に武市半平太らを投獄。

危険を感じた慎太郎は、26歳で脱藩の決意をします。
巳田尻に戻り、偽名を使って、三条のNo,2としての生活が始まります。
石川清之助、大山彦太郎、横山勘蔵、寺下貫夫。

とにかく説得の上手だった慎太郎。各藩の有志達に三条の意向を訴え、返事を持ち帰ります。
京都・九州、飛び回る生活が続きます。しかし、それはいつも危険と隣り合わせの生活でした。

1864年6月5日池田屋事件で尊王攘夷派が多数死にました。

その中には、たくさんの長州藩の志士が。。。
憤慨し、戦いを決意する長州藩。

1864年7月禁門の変。
2000の長州に対し、会津・薩摩・幕府軍はその10倍。
御所に向かって発砲したために、朝敵となってしまった長州。
敗れた長州を追うように、長州征討令が出されました。
長州は、3家老の切腹と、4人の参謀の斬首を持って降伏します。

四面楚歌の長州に、更なる処分が。。。
三条ら五卿を長州の外に移動させることが言い渡されます。
しかし、三条らを失うということは、尊王攘夷のための大義名分を失うということでした。

この危機を乗り越えるために、慎太郎は、長州征伐の参謀・西郷隆盛に目をつけました。

何故西郷に目を付けたのか・・・
それは、禁門の変の時・・・。
西郷が言っていたのです。

「薩摩は 長州の敵ではなか
 禁門の変では長州が御門を攻撃したので
 お守りしただけのこと。」

と。
交渉の結果、
三条らを安全に太宰府に脱出させることと引き換えに、幕府軍を撤退してもらいます。
この対面で、西郷の本心を垣間見ることになりました。
すでに西郷は、勝海舟の主張する列藩同盟に興味を持っていました。

「西郷は、長州をやみくもに叩こうとしているのではない。」

薩摩と長州が手を組めば、幕府に対抗できる勢力になる!!
しかし、その道は甘くはありませんでした。

ここまで慎太郎は。。。
土佐勤皇党⇒山内容堂⇒三条実美⇒西郷隆盛

と、No,1を切り替えてきています。しかし、変節しても、みんなから信用されていました。
それは・・・

@私心がない
A金儲け・名誉欲がない
目の前の人に、忠実に仕える筋の通った男だったからです。


そんな慎太郎が、薩長同盟締結に向けて奔走します。

1865年下関。
薩摩の西郷と、長州の桂小五郎を引き合わせようとします。
が、失敗。半年近くの工作がパーになりました。

そこで、龍馬が亀山社中を使って、長州の為に薩摩が武器を購入することを思いつきます。

翌年1月22日、京都・薩摩藩・小松帯刀・坂本龍馬の下、西郷と桂の薩長同盟が成立しました。


しかし、そこには慎太郎の姿はなく。。。次の仕事にかかっていました。

三条実美と岩倉具視を協力させること。。。です。
この対立するふたりの間を書簡を持って奔走します。
この二人は、犬猿の仲。。。

岩倉は、薩摩に協力を仰ぎ、大久保と親しくなっていたことを利用して説得します。

中岡慎太郎の説はこうです。
「攘夷のための開国をしましょう。
 力をつけて、武器を手に入れることによって、外国に手を出させないようにする」

これが、攘夷である!!


しかし、この頃から慎太郎は龍馬と対立する道を歩むことになります。

1867年4月維新の真っただ中、脱藩の罪を解かれ、土佐藩からそれぞれ海援隊、陸援隊を作るように命じられます。
この頃から二人の違いが表面化します。

慎太郎は、武力で幕府を倒し、新政府を作ること。

龍馬は、あくまでも平和的に・・・。
龍馬が求めたのは、国を超えた自由な貿易でした。

慎太郎の書「時勢論」には、新しい国家が生まれるときには、戦いが必要だ・・・的なことが書かれています。

時代は・・・。
岩倉具視が大政奉還の建白書を提出し、討幕の密勅を画策し、武力討幕の準備が整ったとき、コ川慶喜は大政奉還をします。

そんな激動の時代のさなかに、2人の人生は幕を閉じます。

龍馬33歳、慎太郎30歳。
11月15日夜9時ごろに突然刺客が二人を襲います。
それは、王政復古の大号令で明治が始まる1か月前のことでした。

この近江屋事件、犯人は、京都見廻組とも、新選組とも、(加治将一さんは)中岡慎太郎自身とも言われています。


龍馬の理想と慎太郎の現実が、ともに歪を生み、引き裂いたのです。

2人はまるで、明治維新、近代日本の矛盾を象徴するかのように共に倒れました。

加治将一さんの作品では、慎太郎が龍馬を殺したという説になっています。

龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン (祥伝社文庫) [文庫] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)
龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン (祥伝社文庫) [文庫] / 加治 将...

それは、慎太郎が死ぬ半年間、岩倉具視・大久保利通ら薩摩藩と、討幕に向けて会談していました。
土佐藩も決起しようとしていたのです。

それは、板垣退助がトップとなって立とうとしましたが、龍馬や後藤象二郎らによって止められたのです。

岩倉と大久保に約束した以上は決起する!!


この近江屋事件に関しては、陸援隊や薩摩藩が暗殺現場に急行していること、「調べない・語らない・長所がない」と、不思議なことがありすぎるのです。

生きていれば、大久保・西郷・桂と共に、明治新政府を担うことになっていたであろう慎太郎。
命を懸けて奔走したその距離1万2000km。
この、中岡慎太郎の根底にあったものは、貧しく低い身分ながらのリアリズムだったのかもしれません。

あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン [単行本] / 加治 将一 (著); 祥伝社 (刊)
あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン [単行本] / 加治 将一 (著...

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posted by ちゃーちゃん at 14:21| Comment(2) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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