2012年05月15日

和歌祭に行ってきました。 〜A〜

このお祭りは、全国に類を見ないお祭りです。

だって、
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こんな感じで神輿が下りてきます。


お祭りの構成は当初、紀州徳川家が中心に、行列の書く芸技種目の全ては、株組織で構成されていました。

その「それぞれの株」が、連合して祭り行列となり、そこに無礼講として土地の人々の得意とする芸技集団が続いていました。

各「株」は、家臣団の個々が名誉をかけて、その技術を代々、口伝によって継承されてきました。


行列は、現在では、東照宮を出発して、新和歌浦を通り、片男波、あしべ橋を渡り、玉津島の前を通って東照宮に帰ってきます。

行列の中には・・・

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総奉行や腰元、伶人(雅楽を演奏する人)、左右大臣なんかがいます。

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神官として、東照宮の宮司さんもいます。

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相撲取りも。

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こちらは「連尺」と言って、行商の反物売り姿で諸国を回って、祭りの日には必ず帰国し、諸国の情報を伝えていました。

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こちらは「団扇太鼓」。
お万の方が日蓮宗を厚く信仰されていました。その冥福を祈る踊りです。


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他にも、いろいろな役に扮した人達が練り歩くのです。

その中には、餅搗踊りや雑賀踊り、薙刀や獅子舞、唐船なんかがありました。


こんな恰好をして練り歩くのは体力いるなあ・・・と、思いながら、楽しく見させてもらいました。

私なんか体力不足で、普通の恰好でも結構しんどかったです。

みなさん、失礼しました。黒ハートごめんなさい。るんるん


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posted by ちゃーちゃん at 19:25| Comment(0) | 和歌山探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

独眼竜政宗の右眼 〜片倉小十郎景綱〜

群雄割拠の戦国時代。。。

独眼竜の伊達政宗は、疾風怒濤の如く東北を駆け巡り、天下取りに野心を燃やしていました。
その傍らにいて、参謀を務めたのが片倉小十郎。

名参謀 片倉小十郎 (新人物文庫 い 4-1) [文庫] / 飯田 勝彦 (著); 新人物往来社 (刊)
名参謀 片倉小十郎 (新人物文庫 い 4-1) [文庫] / 飯田 勝彦 (著); 新人物往来...

小十郎は、山形県米沢の神社の二男として生まれました。
剣術と、聡明さをみこまれ19歳で政宗の教育係となります。

伊達政宗は、もともと内向的な少年でした。
5歳の時の疱瘡で右眼が失明していたのです。

小十郎は、右眼を切り取ることを進言します。
「命に関わることがあったら、自分もあの世にお供します!!」

これは、2人の強い絆を示すエピソードです。
主君の顔に刃を向ける・・・強い信頼が伺えます。

小十郎は、このコンプレックスの原因を取り除き、弱気心を克服させ、強気な政宗に変貌させることに成功します。

奥州平定に向けて走り出した政宗。
この伊達男を演出したのが、小十郎でした。
小十郎の演出には、細かな策略がちりばめられています。


当時、秀吉の時代・・・「惣無事令」が出ていました。
この惣無事令、関白の権威を背景とした豊臣政権の私戦禁令です。

それに反したのが、
薩摩の島津、四国の長宗我部、小田原の北条、東北の伊達でした。

小十郎は、八幡神社の神職。片倉景重の二男とされています。
子供のころから聡く、武術にも優れ、父・輝宗に発掘されました。

小十郎の優れたところは、

@状況を見る澄んだ目
A事件の問題点の引き出し方
B事件を解決する能力

つまり、頭の働きが良かったのです。

1584年、政宗の父・輝宗が41歳で隠居、18歳で当主となります。
小十郎は、軍事面はもとより外交面でも活躍します。


事件は起きました。

畠山義継が、政宗の父を拉致して殺害。
政宗は父の仇をとるべく兵を挙げます。

しかし、周辺の武将たちは、畠山義継の救援に動き、伊達軍に対抗・・・。

1585年人取橋の戦い。
伊達軍8000に対し、敵は3万。。。

政宗も自ら槍で応戦するも、押されに押され・・・絶体絶命。

小十郎は。。。
「我こそは政宗なり!!
  小十郎何をしとるか!!」

と、機転を利かせます。

政宗を取り囲んでいた兵たちは、小十郎に殺到。
政宗は退却に成功するのです。

そして、その夜、有利に戦いを運んでいた連合軍が忽然と消えました。

それを仕組んだのは小十郎。

連合軍の中心人物佐竹義重に
「佐竹の留守を狙って周辺の武将が攻め込む!!」
と、知らせが入り、慌てて撤退。

このニセの情報を流したのです。
おかげで伊達軍は、激戦を制します。
この後、快進撃は続いていきます。

1589年、蘆名氏の領地に攻め入ります。
蘆名義広は、1万6000で進軍。
小十郎は、摺上原が決戦の地となると見てとります。
そして、蘆名氏の家臣・猪苗代盛国が裏切ったと噂を流しました。
内部を攪乱し、火のないところに煙を立てるのが上手だったのです。
しかし、これは秀吉の「惣無事令」を無視する合戦でした。


では、どうして確かな情報を掴んでいたのでしょうか?
黒脛巾組・・・政宗が創設したとされる忍者集団です。
黒いゲートルを履いていたことからそう呼ばれます。
小十郎に情報をinput、outputする役目を担っていました。

おまけに伊達は公家とも仲が良く、情報処理管理が行き届いていたのです。


1590年1月、天下をとろうとする秀吉から、小田原城攻めに参加するように命が下ります。

当時、奥州の武将には、豊臣家について北条氏を攻めるように促していた秀吉・・・
政宗は悩みに悩みます。

1590年3月、小田原城攻めが始まります。

政宗は、家臣たちと軍議を開きました。

「秀吉と戦うか」OR「小田原城攻めに参加するか」

軍師・小十郎は、秀吉から逃れることは出来ない・・・と、小田原城攻めに参加することを決定します。

ここから伊達家の生き残りを懸けた本当の戦いが始まったのです。

しかし、小田原城攻めに参加するには時すでに遅し・・・。
おまけに、参加前日の4月5日、黒川城にて母と面会した際、吸い物椀に毒が・・・

犯人は、母・義姫。母は、弟・小十郎を可愛がっていたのです。

母に毒を盛られた政宗。。。
事件の三日後には小次郎を自ら切り伏せます。

この件。
政宗の毒殺には二つの説があります。

@反伊達政宗犯人説。
母・義姫は、最上義光の妹です。
最上の立場に立つと、伊達と敵対しています。

奥羽探題の家柄の伊達家。
豊臣政権は、一過性のものと見、東北自治を唱えていました。
つまり、豊臣政権に対する反発です。

しかし、最上をはじめ東北の武将たちは秀吉を怖れていました。
伊達が邪魔だったのです。

A自作自演説
政宗と義姫のやらせ芝居という見方です。


そんなこんなで、1か月たってしまって・・・。
秀吉に謁見する機会が遅れてしまいました。

5月9日に出発します。
小田原城攻めに参加しても、秀吉の逆鱗に・・・無事に帰れるかどうか・・・。
絶体絶命のピンチ!!

おかんむりの秀吉には、箱根に留め置かれてしまいます。
切腹を覚悟しなければ・・・。

しかし、小十郎には秀吉に対する秘策がありました。

伊達家の存亡をかけた秀吉との謁見。
死に装束に身を包み、ザンバラ髪で謁見します。

秀吉に、死を覚悟した殊勝な態度を見せつけました。

小十郎は、秀吉が芝居がかったことが大好きだということを見越していました。
政宗の懐には、いざというときに刺す短刀が忍ばされていました。

「もう少し遅かったら、ここが危なかったのう!!」

と、扇子で首を叩いたとか・・・。

普通は、1か月遅れの参陣など、OUT。
しかし、文化人の小十郎は、千利休の茶に支持するように言います。

茶を習わせることで、東北の山猿ではないということを印象付けます。
家康や、利家は、政宗に一目置いていました。

伊達政宗は風流人?となって、秀吉も会ってみたくなったのです。
秀吉のことを調べぬいていた情報があったればこそです。

しかし、半年後、またも伊達家存亡の危機が。。。
事の発端は、葛西・大崎一揆。

政宗が裏で一揆を支援し、奥州制覇を企てていると噂が・・・。

小十郎の秘策は、人々の度肝を抜く奇抜なものでした。

都大路に、磔になるための金箔の十字架が現れました。
そしてこの時も、死に装束で秀吉に謁見。
嫌疑を払うことに成功します。
この時代、キリシタンも入って来ていてキリストの磔をもじったものです。
これをも演出してしまう。
政宗は名役者で、小十郎は脚本家と言ったところでしょうか・・・?

その陰に、小十郎の才能を見た秀吉は・・・
「お主を相馬・田村5万石に取り立ててやる。
 政宗を捨ててよにつかぬか」

「私の主君は、政宗公のみであります。」


関ヶ原の合戦後の1602年、政宗は、小十郎を白石城1万3000の領主に任命しました。
この地は伊達領の最南端。ここにも、政宗の信頼の厚さが伺えます。

大阪の陣・・・これが小十郎の最後の戦略となります。

1614年10月、仙台城に家臣を招集しました。
豊臣と徳川の戦いに、伊達軍も出陣するために軍議を開きます。

しかし、そこには小十郎の姿はなく、長男・片倉小十郎・重長の姿が・・・
小十郎は、病を患い、悪化していました。

政宗は、小十郎と今生の別れの予感をしていました。

10月10日、白石城を訪問した政宗を、半身不随の小十郎が迎えます。
しかし、頭脳は明晰。。。

「大坂の陣は、和睦となりましょう。
 家康は堀を埋めるなどして再決戦となるだろう。
 初めの戦いでは温存しておくように。」

そして、最期のお願いを・・・
「重長に先陣を!!」

大坂の陣は、小十郎の予言通りとなりました。

出先の政宗から小十郎に手紙が・・・

「もしそなたの命が尽きた場合は、重長を大事に召し抱えよう」

と、小十郎を喜ばせました。

家康はこの大坂の陣について、親しい人には告げています。
「2回攻めないと!!と、1回目は、堀を埋めて裸の城にすると。」
小十郎は、家康ともコンタクトをとっていました。
家康にも好かれていた小十郎。
領民が幸せになるためには、秀吉ではなく徳川殿だろう。
その時に伊達家が輝けばいいのだ・・・。


夏の陣で、重長は伊達家随一の働きをして鬼小十郎と呼ばれたと・・・
それを聞き、満足するかのように、59年の生涯を閉じました。

40年という長きにわたって戦国を戦い抜いた2人の武将の別れでした。
その時、政宗の見えない右眼から涙がこぼれたという。。。


政宗を祭る青葉神社は、片倉家16代当主・重信さんによって、大切に守られています。

40年という長きにわたり伊達政宗という不世出の武将を男にした片倉小十郎、400年の時を経ても、2人の関係は続いています。


カッコいいですね。
この回を観ていたら旦那が、

「西郷輝彦か〜。」と、呑気に言いました。
そう、独眼竜政宗で渡辺謙の隣にいたのは西郷輝彦でした。

だから、西郷輝彦でしか見られなくなってしまいました。。。あせあせ(飛び散る汗)

やっぱり、かっこいい人にはいいブレーン、ナンバー2がついていますね。黒ハート


300ピース 戦国BASARA 片倉小十郎 26-229s / エポック社
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posted by ちゃーちゃん at 12:56| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

和歌祭に行ってきました。〜@〜

5月13日、和歌山県和歌山市にある和歌浦で、「和歌祭」がありました。

私にとっては懐かしい、ほとんど地元。。。
おばあちゃんは、和歌浦のことを、「あか」と呼んでいました。そんな地元です。

この和歌祭、毎年5月に行われる紀州東照宮の大祭の渡御の呼称です。
紀州の国祭、天下祭、権現祭とも言われ、親しまれてきたお祭りの行列です。

江戸時代に、東照宮を口にするのは恐れ多いということで、「和歌の御宮」と言い習わされていたところから、和歌祭と言われるようになりました。

和歌祭の始まりは、江戸時代の元和8年からです。

祭りは、いきなりクライマックスから始まります。

この階段を、猛者が?神輿を担いで降りてきますよ!!
この、紀州にある東照宮の階段を下りるところから祭りは始まりました。

まずは、先駆けに・・・
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来ましたよ、来ましたよ!!

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じゃ〜ん!!


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ドキドキします揺れるハート

落ちそうな神輿を担ぎながら下りてきました。
力強いですね!!

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一生懸命担いでいます。
神様に奉納するために、頑張っています。るんるん

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全国に類を見ないお祭りです。
地元の人が、誇りを持って受け継いできました。黒ハート(ちょっと、途絶えてましたけどね・・・たらーっ(汗)


そして、これから和歌浦、片男波と、万葉の地を練り歩きます。

それはまた後で、アップします。黒ハート


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posted by ちゃーちゃん at 08:18| Comment(0) | 和歌山探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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