2012年05月07日

彦根城散策 〜埋木舎〜

こちらは、井伊直弼が若いころに過ごした埋木舎。

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井伊直弼は、11代藩主井伊直中の14男として生まれました。

5歳で母を、17歳で父を失ったので、藩の掟に従って300俵の捨扶持で彦根城佐和口御門前の公館で、32歳までの15年間を暮らすことになりました。

有名なのがこの時に詠んだ歌。

世の中をよそに見つつも埋れ木の
    埋もれておらむ心なき身は

直弼はここで、茶道・和歌・能・国学・書・禅・湖東焼・楽焼・武術・馬術・柔術・弓術など、文武両道の鍛錬をしました。

この時の睡眠時間はわずか4時間だったとか・・・。

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埋木舎は、船橋聖一氏の小説「花の生涯」で、井伊直弼が青春時代を暮らした館として登場し、それは、NHK大河ドラマ第1号となりました。

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花の生涯〈上〉 (祥伝社文庫) [文庫] / 舟橋 聖一 (著); 祥伝社 (刊)
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明治維新を創った人によって、極悪非道な幕府の親玉のようにされてしまった井伊直弼。
だいたい、日本人は天皇でも将軍でも、トップはあんまり悪くなくってナンバー2が悪役のようなところがありますしね。。。

一番の要因は安政の大獄によって吉田松陰を死罪にしたことでしょうが、もともと井伊直弼も開国論者だったわけで。。。

なんだか、可哀想な気もしますね。。。バッド(下向き矢印)

井伊直弼への暗殺予告も毎度のようにあったそうで、暗殺されるのは解っていたんだろうと思います。
徳川300年の全てを引き受けて、直弼の死によって何もかもを清算させる。。。そんな方法を自らがとったのかもしれません。

譜代の一番にあった井伊家が徳川家の全てを背負って、暗殺される・・・。

それが、幕末・維新という大きな渦に巻き込まれるきっかけとなったのも必然だったのかもしれませんね。

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彦根城散策〜B〜

こちらは有名な「井伊の赤備え」黒ハート

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彦根藩井伊家では、藩主以下家臣に至るまで、甲冑や旗指物を朱色で統一していました。だから「井伊の赤備え」です。

そのルーツは、甲斐の武田。徳川家康は、自分と同じような境遇だった井伊直政を可愛がり、家臣のいなかった直政に武田の遺臣を中心とする117名をつけました。

勇猛で知られた武田家の有力武将・飯富虎昌らの”赤備え”にあやかって、その軍団を赤一色とするよう命じました。

直政は、武田軍団の象徴を名実ともに受け継ぎ、徳川家臣団の中で最強と言われるようになりました。

藩主所用の具足には、巨大な金箔押しの天衝脇立が立てられています。
ちなみに藩士たちは、小ぶりの前立てをつけるように決められていました。

この地は、戦場が近くにあったために、刀剣や武具の製作も盛んに行われていました。

日本の刀・・・
日本刀は、反りのついた湾刀です。これは、平安時代後期にはもう使われています。
”折れず””曲がらず””よく切れる”この言葉には、日本刀の優秀さが表れています。
日本刀は、時代の戦闘形態の変化に合わせて使いやすいように反りや長さが変化しています。

武具も戦国時代の集団戦でも遠くから見えるように、馬印や旗指物は大きくて形の奇抜なものが用いられました。

日本の馬は小型で、ポニーぐらいの大きさでした。

鞍には公用と私用があります。
公的な場では、蝋色塗に定紋を据えたシンプルな鞍を、私的には蒔絵や螺鈿で飾った華やかなものを用いました。

この武具や馬具を作っていた職人さんが、平和な世には仏壇を作るようになりました。
それから、武具で使われた皮をの残りは、当時は御禁制なので。。。薬として食べたのが「近江牛」です。

本当に、文化が根付いていたことが解ります。

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こちらは博物館でやっていた能舞台での能の舞。

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そして、この綺麗な庭は、玄宮楽々園です。

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posted by ちゃーちゃん at 11:31| Comment(0) | お出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

彦根城散策〜A〜

駐車場からお城を目指して歩き始めました。

本当に大きいお城で、階段が沢山あります。
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本当につらい階段を登って、登って・・・。
やっと着きました。

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天秤櫓です。
大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓です。

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城を作っている木は、ところどころに穴が開いています。
この城は、京極高次の大津城を持ってきました。

で、石垣は、佐和山城・安土城・長浜城・大津城から持ってきた、リサイクルの城なのです。

というのも、当時はこの要の地に早急に城を作らなければならなかったから黒ハート



井伊家は、彦根藩主として近江国東部から北部にかけて治めていた大名です。江戸時代を通じて、一度も国替えをすることなくこの地を支配しました。それは、とっても珍しいです。揺れるハート

井伊家は、譜代大名の筆頭、つまり、徳川将軍家の家臣の中ではトップの家柄です。
将軍を後見する立場にあり、将軍の跡継ぎの元服式では、いつも井伊家が烏帽子親を務めました。
普段は大老というポジションはありませんでしたが、有事の際に出来る大老に就くのも、井伊家が筆頭の家臣だったからです。

この立場は、初代直政・二代直孝の業績によって確立しました。

井伊直政・・・
徳川家康の天下統一を支えた家臣で、「徳川四天王」の中の一人です。
15歳で家康の家臣になった直政は、家康から武田の家臣を引き継ぎます。そして、武田の軍法を継承する勇猛な部隊を作り上げました。それが、「井伊の赤備え」です。

直政は、彼らを率いて戦場で活躍する一方、諸大名と家康との間を取り次ぐ交渉役としても活躍。
関ヶ原では、徳川の先陣を務めました。

関ヶ原の後、西国大名との戦後交渉に奔走しますが、合戦で受けた鉄砲傷が悪化して死去しました。

井伊直孝・・・
直政の死後、跡を継いだのは、長男・直継でしたが、弟の直孝が大坂冬の陣で井伊家の部隊を率いて出陣し、井伊家の当主となりました。

直孝は、京都周辺にある勢力との交渉役を務めました。
その後、2代将軍・秀忠の遺言で、家光の後見役を任され、ほとんど江戸を離れることなく将軍・家光、家綱を補佐しました。

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彦根城の築城には、関ヶ原合戦後、この地を畿内近国の拠点にしようとした徳川家康の意向で、築城工事は幕府主導で行われました。

彦根の町は、計画的に築かれた都市で、堀で仕切られた区画には、武家屋敷・町人地・寺町などが計画的に配置されています。

30万石の城下町として約3万人の住む全国でも有数の都市でした。
この30万石は、譜代の中では筆頭を数えます。

幕末、桜田事変の処罰として10万石が召し上げられ、20万石となってしまいました。

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お堀も大きくて、情緒がありますよね。

お城の敷地内に高校もありました。
なかなか雰囲気があって粋な感じが出ています。黒ハート

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ラベル:彦根城
posted by ちゃーちゃん at 10:58| Comment(0) | お出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

彦根城散策〜@〜

ゴールデンウィークは、彦根城へ行ってきました。

お城や神社仏閣に行きたい私に、あーこは「神社仏閣以外なら行くよ!!」って言います。あせあせ(飛び散る汗)

今回は、ひこにゃんと、近江牛でつりました。あせあせ(飛び散る汗)

彦根の城城下町、大きいですね。1万5000歩ほど歩きました。インドア派な私としては疲れましたが、いい運動になりました。

で、お目当てのひこにゃん。

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この彦根城の今の城主です。揺れるハート

今日の出番は3回。夏のように暑い日でしたが、ゆる〜いパフォーマンスでみんなを楽しませてくれました。

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出番は1回30分。
出待ちはもちろん人だかりの出来る人気者です。
が、みんなで交代に見せてくれます。

本当にかわいらしい城主です。

で、私たちはこの後彦根城へ・・・。

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ラベル:彦根城
posted by ちゃーちゃん at 10:20| Comment(0) | お出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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