その城下町で、新しい不思議を発見しましょう。
今回は、山口県萩市。萩と言えば、吉田松陰など、幕末のスーパースターを輩出した町です。
この小さな町から日本が改革されました。
萩の不思議と魅力とは?
山口県萩市・人口5万3843人。面積698.79㎢、特産は夏みかん・萩焼・かまぼこです。
海と山に囲まれたこの町は、維新胎動の地でした。
その基礎を築いたのは、中国地方の覇者・毛利輝元です。
萩の城下町は260年間毛利の当主によって代々治められてきました。
やはり、松下村塾の吉田松陰です。
ここでは多くの維新の志士が生まれました。吉田松陰や高杉晋作・桂小五郎・伊藤博文などです。
今も色濃く残る残影・・・そこにはどんな不思議があるのでしょうか?
萩城は?天守閣がありません。
明治の初めには五階建ての指月城が確かにありました。
これは、萩の人にとっては、とっても因縁のある城。
関ヶ原の合戦で敗れた毛利輝元は、八か国112万石から二か国36万石に引き下げられました。
さらに、当時は不便な地、萩の湿地帯に城を築くことになります。
そして廃城令により、明治7年に天守はとり壊され、現在は石垣だけが残っています。
萩の町は、江戸時代当時の古地図をもって歩ける街です。道がそのままに残っていので、時空を超える旅が出来るのです。
武家屋敷が並んでいた平安古地区は、鍵曲が残っています。左右を高い土塀で囲まれた細い道のことで、曲がっており、行き止まりのように見えます。敵を追い詰めるときに利用したとか。。。
そして、夏みかんが沢山生えています。
萩の夏みかん伝説。
130年以上前の失業対策として植えられた、武士を救ったみかんです。
家禄・特権を失った武士を救ったのが、夏みかんでした。
それを考えたのは、藩の要職や小倉県権令を歴任した小幡高政でした。
そして大成功し、明治大正の頃は萩の財政の数倍の夏みかんの収穫がありました。
夏みかんには、恩があるのです。

幕末の英雄を思う。。。
菊屋横町には高杉晋作の旧宅があります。

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坂本龍馬と並ぶ幕末の英雄高杉晋作。
最強の軍隊・奇兵隊を率い長州藩を討幕に導いた維新の風雲児です。
高杉家は中堅の武士で、実務を担当しながら、お殿様の側近をしているような家柄でした。
イメージとしてはヒーローですが、萩ではこの英雄は疎まれていました。
身分にとらわれない画期的な軍隊・奇兵隊。討幕運動の先頭にいた高杉晋作が疎まれた原因は・・・。
明治維新となって、特権階級がなくなり武士が没落し・・・誰がこんな酷いことをしたのか???
「それは、高杉晋作のせいだ!!」と言うことで、親族は肩身の狭い思いをし、嫁にも行けなかったとか。。。
木戸孝義(桂小五郎)の家は、高杉晋作のすぐ近く。同じ町内です。
桂小五郎の家は、和田という医者です。桂家に養子にはいり、狙われるようになってからは木戸と改名します。また、近所には伊藤博文もいました。
維新を支えた3人は、竹馬の友であったのです。
英雄と天才を生む町。
維新を支えた英雄や、4人の内閣総理大臣(伊藤博文・山縣有朋・桂太郎・田中義一)を生んだ町萩。
そこには吉田松陰と松下村塾の存在がありました。
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人はなぜ勉強するのか―千秋の人 吉田松陰 [単行本] / 岩橋 文吉 (著); モラロジー研究...
吉田松陰は、幕末の思想家で、松下村塾を主催。
久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文ほか、多くの維新史志士影響を与えました。
1854年にペリーが来航した際、黒船に乗船しようとして失敗し、投獄される松陰ですが、そのことをペリーが記述しています。
「厳しい法律を破り、知識を得るために命を懸けた日本人の知識欲を示すもので、大変興味深い出来事だった。」
萩に戻った松陰は松下村塾を開き、数多くの英雄を輩出します。
松下村塾、始まった当時は庭の納屋を改築した八畳の小屋で、身分の区別なく無料で学ぶことが出来ました。
日本の未来を担う若者、92名の門下生を輩出。しかし、ごくわずかの期間しか・・・1年ほどしか開かれていませんでした。
それは、”日本を背負って立つ有為な人材を育てること”だったからです。
この明確な意識の元開かれていました。
その吉田松陰の教育指導とは?
久坂玄瑞は、非常に褒めて育て。
高杉晋作は、比較して育て。
伊藤博文は、・・・才劣り 学幼きも 質直にして 華なし
吉田松陰は、命を懸けて人を育てました。
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藩主である毛利家は、御用商人を多く抱えていました。
もちろん、その町並みも残っています。
豪商・熊谷家。
金融・仲買・酒造業などで財を成した萩の豪商の家が残っています。
ここに残っている証文には・・・
「金三千両を奇兵隊軍用金として旧藩政府へ献納せり」
と、残っていました。

長州軍は、これらの豊富な資金と武器をもとに、幕府に対抗したのです。
これらの豪商が、英雄の活躍を後押ししたのは間違いありません。
高杉晋作が愛したパンは秘密兵器?
奇兵隊が食べていたパンが残っています。
幕末の科学者・中嶋治平が長崎で見聞し、長州藩へ伝えたのがこのパンです。
文献をもとに再現した幕末パンが販売されています。
このパンは、軍事目的で造られました。名前は「備急餅」。
つまり、兵糧・非常食でした。
そして、城下町には高杉晋作が愛した味もあります。
それは、桜鯛の押し寿司。
山口県萩市は、小さい町でしたが、この町から日本の舵を握るたくさんの英雄が生まれたのは事実です。
本当に魅力的な町でした。

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