今回は「彦根の城下町」です。
歴史ある城下町、そこを歩けばたくさんの不思議が見えてくるはず・・・。
ということで、ピエール瀧さんが「彦根城」へお出かけしました。
全国に200か所以上あると言われている城下町。
琵琶湖を望む中山道の要所近江の国に栄えた城下町・彦根を訪ねます。
彦根の赤伝説。その秘密が隠されていました。
滋賀県彦根市
人口11万2415人・面積196.84㎢・特産は近江牛・鮒鮨・仏壇
日本最大の琵琶湖を望む小高い山の上に建てられた白亜の天守です。天下の名城彦根城は、この地から400年、人々を見守ってきました。
彦根藩初代藩主は徳川四天王のひとり・井伊直正。二代直孝・三代直興・・・・13代には井伊直弼がいます。
彦根の城主は、代々井伊家の当主たちによって治められてきました。
江戸時代、将軍家の絶対的信頼を得ていた井伊家・・・
あらゆる武具を朱色にした赤備えは、天下随一、最強の証でした。
彦根城家の不思議とは・・・?
今の城主は「ひこにゃん」です。

![image[6].jpg](https://chachacha-mama.up.seesaa.net/image/image5B65D-6cab7-thumbnail2.jpg)
彦根城の天守閣は国宝です。
戦国の世から現代に残る数少ない天守の中でも貴重な遺産と認められたのが、「国宝四城」。
姫路城・松本城・犬山城、そして彦根城です。
関ヶ原をはじめ、将軍家から厚い信頼を得ていた初代・直正。
直正の死後継によって建てられました。
この城は、リサイクルの城です。
その証拠は城内に。。。
木組には穴が開いています。
京極高次の大津城は四重五階でしたが、彦根城はその城を持ってきて・・・解体し、三重三階にしたものです。
つまり、移築したのです。
天秤櫓は長浜城から移設され、城の土台となっている石垣は、佐和山城・安土城・長浜城・大津城から運び込まれました。
戦国オールスターが集まったカスタマイズ城なのです。
しかし、何故寄せ集めで築城したのでしょうか?
それは・・・。家康は、関ヶ原の合戦以後も豊臣方のたくさんいる西国の要に。早急に城を作る必要があったからです。
そのため、廃城となった城から資材を持ち込み彦根城を作ったとされています。
彦根の町は、太平洋戦争で破壊されることなく、昔の街並みが残っています。
旧街道では・・・
中山道が通っています。中山道は、日本橋から三条大橋を結ぶ129里(約500Km)の街道です。69か所の宿場を要する江戸時代の主要五街道のひとつです。
起伏の多い道ですが、橋や船で渡ることが少ないので発達しました。
鳥居本宿の先は、険しい道のりとして知られる摺針峠にさしかかります。
そのために・・・旅に備える三つの赤・「三赤」。
@江戸時代から350年以上薬を販売している「赤玉神教丸」。腹痛・下痢などに効く妙薬として、街道を行き交う旅人の常備薬となっていました。彦根では、今でも家庭の常備薬として使われています。
Aスイカ。鳥居本西瓜と言われる西瓜で、実が甘く、旅人の水分補給に役立ちました。
B雨合羽・・・油紙に防水・保温・保湿性のある柿渋で赤く染めた雨合羽。
江戸時代、旅の必需品である雨合羽を取り扱う店が軒を連ねていました。
雨の多い木曽路に向かう前に、この地で旅支度を整えました。
また、赤といういろは、彦根の歴史そのもの・・・。
「井伊の赤備え」です。
具足や旗指物など作った赤備えは、徳川軍最強の証でした。
井伊の赤鬼と呼ばれた井伊直正、足軽までも赤備えとなり、最強集団となりました。

井伊の赤備え 井伊直政 戦国武将 ARMOR SERIES フィギュア 本格的な造りです! (...
「仙琳寺」には・・・女性限定の習わしがあります。
そこには、豆腐がお供えしてあります。
ここをお参りする人は、豆腐をお供えして願掛けをします。
当時は芸妓さんたちが、美白の祈願をしたのだそうです。
もう一つありがたい御利益が。。。首から上を直してくださる薬師如来さまです。
彦根と言えば近江牛。その歴史は古く、多くの不思議がありました。
徳川幕府の将軍にも献上されたと言われる近江牛。
将軍が食べたのは・・・「牛肉の味噌漬け」

近江牛味噌漬 M100 / 千成亭
しかし・・・当時は薬として取り扱われていました。
この牛肉が引き起こした歴史的大事件とは?
彦根は昔から戦場となることが多かったので、武具や太鼓を生産していました。
その時に使う牛革づくりを許されていて・・・つまり、将軍家に唯一牛の殺生が許されていました。
そして、御禁制でしたが、薬という名前で牛を食していたのです。
牛肉は滋養に良い。ということで、いろいろな調理法が作られました。
「薬食い」と言われ、密かに愛されていました。
安政7年水戸と薩摩藩の脱藩浪士が彦根藩の行列を襲撃し、彦根藩主・井伊直弼を暗殺した桜田門外の変。
実は牛肉が理由?
御三家の水戸斉昭が牛肉の味噌漬けが大好物で、ある日から届かなくなります。
もともと仏教心の強い井伊直弼が、牛肉の生産を禁じたためです。
毎年諸大名に送り続けていたものが、直弼になってから来なくなってしまいました。
井伊と水戸がもめる原因となったのでは?
これが講談となり・・・「食い物の恨みは恐ろしい・・・

七人の職人が作る仏壇の不思議。
中山道と彦根を繋ぐ新町七曲り。ここは職人の町です。通称仏壇通りとも呼ばれています。
江戸中期ごろから盛んになったとか。
どうして仏壇屋が多いのか。。。やはり、武具や甲冑を作る人たちが、平和な世の中になったので技術を生かして作ったのが彦根仏壇です。
七職・七人の仏壇職人とは・・・
木地・宮殿・彫刻・錺金具。漆塗・蒔絵・金箔押の七つの技術と魂が一体化したものが仏壇です。
天下太平の世が生みだした彦根仏壇。戦いの道具を起源に持ちながら、長い歴史を経て芸術へと昇華した彦根の象徴的存在です。
郷土料理・鮒鮨

【自家製 鮒寿司スライス】
鮒鮨は保存食として、1000年以上前から食べられています。
国内最古の鮨です。
鮒鮨に使われるのは、琵琶湖特有の固有種のニゴロブナ。
子持ちの鮒を、数か月塩漬けにした後ご飯と一緒に1年以上発酵させたものです。
最低でも1年、10年物もあります。
一番おいしいのは、尾びれの方。

彦根に住んでる人々は、先代から住んでいる歴史や文化を大事に守り抜いている人々でした。
なんだかふらっと彦根に行ってみたくなりました。

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