
今は桜の季節の4月、公園内には咲き乱れるたくさんの桜がありました。
ここは、紀州東照宮のふもとに位置し、御手洗池の周囲を遊歩道が囲んでいます。
遠く山の方に天満宮の赤い楼門を、また池にかかる赤い橋の上から泳ぐカモの姿を見ながらのんびり散歩が出来ます。

時間を忘れてしまいそうです。本当に綺麗なので、おすすめします。

で、左手に御手洗池を観ながら歩くと、天満宮に。。。
こちらも桜できれいです。4月に行くことをお勧めします。
でも、やっぱり、たくさんの階段があります。

本当に、インドア派にはつらいのです。



延喜元年に菅原道真が大宰府に向かう途中、海上の風波を避けるために和歌浦に船を停泊しました。
その時、神社が鎮座する天神山から和歌の浦を望み、2首の歌を詠みました。

この光景かしら?
桜も入って、遠くに見える海がとても綺麗です。
その後、村上天皇の康保年間に参議橘直幹が大宰府から帰京する途中に和歌浦へ立ち寄り、この地に神殿を建て道真の神霊を勧進して祀ったのが始まりとされています。
天満宮は和歌浦天神山の中腹に位置し、菅原道真を祀り、和歌浦一円の氏神として尊崇されています。
全国に天満宮と称する神社は数多くありますが、江戸時代の朱子学者で、徳川家康のブレーンも勤めた林羅山は、この地を訪れ、和歌浦天満宮は太宰府天満宮、北野天満宮と共に”日本の三菅廟”とされ、由緒がある神社であると言っています。

そして、こちらが本殿。
本殿は桁行五間・梁間二間の入母屋造で、装飾性の豊かな桃山建築です。正面の楼門は一間一戸門としては最大級で、禅宗様を取り入れています。本殿、楼門等の建築や彫刻には、江戸幕府御大工棟梁の平内政信(へいのうちまさのぶ)が関わったと言われています。

天満宮には、牛がいます。
どうして牛がいるかというと・・・。
菅原道真と牛との関係が深いから。
「道真の出生年は丑年である」
「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」
「道真は牛に乗り大宰府へ下った」
「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」
「牛が刺客から道真を守った」
「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在しています。
まあ、おじゃる丸も牛車に乗っているでしょ?
今よりも、牛が身近にあったのでしょうね。
そんなこんなで、牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれているのです。
で、こちらは、学問の神様・天満宮、

たくさんの人が、合格祈願に訪れていました。
その隣には・・・

筆塚が・・・
天神様を書道の神様と祀り
第一には筆の労に報い、
第二には筆道の上達を祈ると共に大自然の恩恵を受けて作られた毛管、筆管に感謝し、
廃筆、廃硯を筆塚に納め報賽の誠を捧げる意義深い筆まつりが8月20日に行われています。
桜が本当に綺麗でした。

が、ここが本当に素晴らしいのは、やはり、「天満宮から眺める万葉の海」でしょう。
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