2012年03月23日

田原総一朗の仰天歴史塾「大戦へ続く テロの時代」

今回は誰なのでしょうか?
「田原総一朗の仰天歴史塾〜日本リーダー列伝〜です。揺れるハート
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昭和初期、格差の時代が始まっていました。
金解禁と、世界恐慌のダブルショックで企業の倒産・失業が相次ぎました。
欠食児童や娘の身売りが頻発。国民生活は窮乏を極めていました。

一方財閥は、ドルの売り買いで莫大な財産を築き、資本主義への不満が世間に蔓延していました。

政界では、三井財閥をスポンサーとする政友会と、三菱財閥と手を結んだ民政党が、互いの汚職を摘発し、泥試合を展開していました。
反乱による国家改造の機運が芽吹き始めていました。

昭和7年5.15事件、昭和11年2.26事件・・・。わずか数年で、180度変わった激動の時代、日本はこれを境に戦争への道を歩み始めたのです。

政府首脳を次々と暗殺したクーデターは、どのような思想の基に行われたのでしょうか?
そして、この国の進路にどのような影響を与えたのでしょうか?

クーデター・・・革命とは、その時代のトップを失脚させること。

クーデターが起こった大正時代から昭和初期とは???

1929年世界恐慌、国内でも失業者30万人。
1931年満州事変・・・が起こり、不安定ななか・・・。

1932年血盟団事件。これによって、前蔵相・井上準之介 暗殺。
                 三井財閥総裁・団琢磨 暗殺。

井上準之介は、浜口雄幸内閣の大蔵大臣で、金解禁を行いました。金解禁とは、金の輸出許可制を廃止して、金を通貨価値の基準とする「金本位制」に復帰させたのです。

自由主義経済、それに反対した人によって、暗殺。

団琢磨は、ロシア革命後、当時はやっていたマルクス主義・・・資本を社会の共有財産にすることによって、階級のない共同社会を目指す・・・を提唱する人によって財閥のトップが暗殺されたのです。

不況の中で農村が疲弊し、娘を売る人が増えて。。。人間的な生活が出来なくなっていたのです。
政治家たちは、次は自分ではないかと、戦々恐々としていました。


しかし、トップを暗殺しても何も変わらない。。。
それなら国家を変えなければ。。。
5.15事件勃発。犬養毅が暗殺されます。
首相官邸、午後5時過ぎ・・・。
4人の海軍青年将校と5人の陸軍士官候補生が首相官邸に乱入、武装した将校たちに慌てるそぶりも見せず、「ゆっくりはなそう。」と、応接室に招き入れた犬養毅を将校たちは、「問答無用」と、拳銃で射殺しました。

「昭和維新」を掲げ、国民前衛隊と名乗って決起したのは、古賀清志中尉、三上卓中尉達。
首相官邸、警視庁、内大臣邸を襲撃し、混乱に乗じて軍閥内閣を樹立、国家改造を行う計画でした。

しかし、あまりにもずさんな計画に、当初の目的はほとんど果たせず、憲兵隊に自首しました。

軍法会議では、厳しい処罰が予想されましたが、世間の政党政治に対する反感から減刑嘆願運動が巻き起こり、将校たちへの判決は軽いもの・・・最も重い刑を科された古賀・三上中尉でさえも、禁固15年となりました。「国家のためにやったのだ!!」

昭和史の分水嶺と言われる5.15事件・・・。
こののち、政治家たちはテロの恐怖から、軍部への意見を差し控えるようになりました。

犬養毅、この当時77歳。
犬養は、軍部の味方だったし、対中融和路線を変更し結果的に関東軍の拡大戦略を容認していたのに、なぜ?という疑問が残ります。

それは、政党政治の一番の問題で・・・
犬養毅は明治のころから立憲会議・自由民権運動・政党政治にかかわってきました。
しかし、その政策は「党利党略」。自分の党が勝つために使うというものでした。
それが軍人には、政党の腐敗に見えたのです。
それが殺害の一番の理由でした。



5.15事件を起こした将校を思想的に支えたのが、大川周明です。
戦後、民間人唯一のA級戦犯として極東国際軍事裁判に出廷しています。

アルバイトで天皇の本の出版をすることになり、天皇に傾倒していった大川周明。
「万世一系の天皇」天皇という王朝は、永久に一つの系統によって続くという考えに傾倒していきます。

天皇支配下での社会主義を望むようになります。・・・「一君万民」です。
そして、金銭と縁のない軍人が中心となって政治を行うべきだと考えたのです。

昭和6年3月、10月の二回にわたり、大川周明は、陸軍中佐橋本欣五郎と共に軍隊を出動させ軍事政権を樹立するクーデターを計画するも、実行前に計画が漏れたり、軍首脳部が躊躇し未遂に終わります。

が、これに触発された人々がクーデターを起こすのです。
それが、5.15事件でした。
事件の1か月後逮捕され、禁固5年。獄中の人となりました。


昭和6年9月18日。中華民国奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路が関東軍によって爆破されました。柳条湖事件です。

事件は、関東軍高級参謀板垣征四郎と作戦参謀石原莞爾による謀略でした。
関東軍はこれを中国東北軍の仕業とし、東北地方に侵攻し侵略を始めます。満州事変です。

若槻内閣は、中国に対して不拡大方針をとっていましたが、陸軍大臣南次郎は局地解決を望みますが、これを無視し満州占領計画を進行させ、翌年2月に満州全土を制圧します。

昭和7年3月満州国建国。

清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を擁立し、傀儡政権を樹立します。
この結果、中国では抗日運動が一段と盛んになり、欧米列強も日本への非難を高めます。

その一方で、国民の間では、戦争を支持する動きが高まっていきます。

「贅沢は敵だ!!」

軍国主義は、ますます進展していきました。

こんな中、軍部でも混乱がありました。陸軍士官学校事件が起きました。

軍部には皇道派と統制派があり、皇道派(荒木貞夫・真崎甚三郎)は軍部の隊付青年将校中心で、直接行動による軍事政権を作ることを目的とし、天皇親権の実現を求めていましたが、統制派は、陸軍参謀本部の中堅官僚(永田鉄山・東条英機)が中心となり、政財界と提携し、軍部が国家権力を握り、総力戦体制を作ろうとしたものです。

この二つが内ゲバを始めたのです。


皇道派はクーデターを起こし、真崎甚三郎を総理大臣にしたかったのですが、真崎は昭和10年統制派の策略により、教育総監を罷免されることになります。

皇道派の相沢中佐が、統制の永田鉄山を殺害する事件が起きます。裁判で不利になった相沢・・・。不利になっていく皇道派の青年将校たちは、2.26事件へと進んでいくのです。

これに強い影響を与えたのが、思想家・北一輝です。

北一輝は40歳の時1923年に、青年将校たちのバイブルと言える「日本改造法案大網」を書きます。
そして2.26事件の思想へ導いていくのです。

日本改造法案大網とは・・・。
憲法を3年間停止。
衆議院・貴族院の廃止。
現役を離れた軍人たちが、国家を運営する。
私有財産、天皇の財産を制限し、企業を国営化するという、社会主義的なものです。

5.25事件・大川周明との違いは、クーデターを起こした後の、具体的な構想があったということです。多くの青年将校が、北一輝に心酔します。

1936年2.26事件が勃発。
早朝、30年ぶりの大雪となった東京で事件は起こります。政府の要人を含む9人が殺されます。東京市に戒厳令が敷かれました。

2.26事件の二年前、昭和9年に起きた陸軍士官学校事件、事件の芽を摘むという目的での陸軍歩兵大尉・村中と一等主計の磯部の逮捕は、青年将校たちに上官への不信感を植え付けました。
この村中と磯部は、後にクーデターを起こすことになります。

青年将校たちは、相沢事件で実力行使の決意を刺激されます。
さらに翌年の春、自分達の所属する隊が満州に派遣されることが決まると、時期尚早と言う北一輝の言葉に耳を貸さず、派遣前の決起を決断します。

そして、2.26事件。。。
連隊長のいない深夜零時から早朝4時にかけて、麻布赤坂地区にある3つの連隊で非常呼集がかけられました。政府要人を暗殺し、警視庁や陸軍省を占拠し、軍部主導の理想国家を作る。

襲撃開始は午前5時。

「尊王討奸」を掲げた青年将校たち。。。殆どが、皇道派に属する20代後半から30代前半の少尉・中尉・大尉でした。彼らは、およそ1500名の兵士を率いて隊列を進めます。
そこには、「天皇親権の国家にしなければ!!」という意思が軍隊を動かしていました。

反政府クーデターが始まりました。


部隊を指揮して

蹶起直後の半蔵門 岡田啓介(内閣総理大臣)
鈴木貫太郎(侍従長)
斎藤實(内大臣)
高橋是清(大蔵大臣)
渡辺錠太郎(陸軍教育総監)
牧野伸顕(前内大臣)

の殺害を図り、斎藤内大臣、高橋蔵相、及び渡辺教育総監を殺害。
また岡田総理も殺害と発表されました(但し誤認)。

鈴木貫太郎を襲ったことが、天皇の耳にはいり、天皇の怒りをかった決起部隊は、反乱部隊とされました。

この時の兵隊は、「天皇の為を思って」戦っていました。
天皇は、自分たちの決起を全面的に認めてくださると、思っていました。
なのに、反乱軍とされてしまったのです。

真っ青になる青年将校たち・・・。

未曽有のクーデター発生から2日後の2月28日、青年将校率いる決起部隊には、前日東京市一帯に発令された戒厳令により、治安維持任務が課されていました。

が、予想もしなかった事態が。。。
この日の朝、天皇の絶対命令「奉勅命令」が下ります。

決起隊は反乱軍となり、2万人以上の鎮圧軍が出動します。
2月29日、決起部隊が敗北し、逮捕されます。
青年将校2人が自決し、北一輝ら民間人をふくむ19人が死刑判決を受け銃殺されました。

この事件ののち、陸軍統制派が皇道派を一掃。
統制派は、東条英機を中心として、太平洋戦争の道を進むことになります。

大川周明と北一輝の天皇に対する考え方の違い・・・。

大川周明は、天皇の万世一系、天皇が中心で一君万民の社会主義国家。

北一輝は、天皇も国民も進化している。歴史が始まって以来、みんな天皇をバカにしていて、天皇を利用している。天皇、玉を手に入れたものが勝つ!!=天皇を利用した社会主義国家。だったのです。
それは、西郷大久保も、GHQも同じ考え方だったと言えます。

しかし、将校たちには、同じように映っていたようです。


そんな将校たちと北一輝、同じ考えだったのでしょうか?

北一輝の理想は、国民革命をおこし、国民国家を作ること。そのためには、軍隊を使っても構わないというものです。彼にとっては、天皇のための軍隊ではなく、国民を救うための軍隊でした。

しかし、青年将校たちは、天皇の周囲には「君側の奸」がいて、これを殺せばいいと思っていました。
つまり、クーデター後の具体的な方策は全くなく、ただ破壊だけをしたのです。

天皇に対する考え方が違っていました。将校たちにとっては、天皇は絶対だったのです。

もし、北一輝の思惑通りに事が運んでいたら、決起部隊は皇居に向かっていたはずです。。。。。
おまけに、青年将校たちが慕ってきた皇道派の幹部は、味方にはなってくれなかったのです。



この時、天皇が青年将校たちを応援したら、真崎たちが新政権を作ったはずです。

しかし天皇も、クーデターではなく合議制を望んでいました。

この二つの事件で、政治家たちは暗殺に怯え、命を張ることが殺されるというリアリティが植え付けられてしまうのです。

これがきっかけとなって、戦争へと進んでいきます。


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posted by ちゃーちゃん at 12:00| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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