内裏に呼ばれた平清盛は崇徳天皇に、佐藤義清が出家した際に詠んだ歌を伝えます。
他にも出家にあたってたくさんの歌を詠んでいますね。。。
清盛は、崇徳帝と同じく白河院の血をひく宿命を背負ったが、自分なりに面白く生きていくと告げます。
が、崇徳帝が、白河院の血をひいていると公言していいの?清盛!!

ここで、話の中でいつも足蹴にされていた崇徳帝に・・・待望の!!
1140年、崇徳帝に待望の皇子・重仁が誕生します。崇徳帝は帝の座を重仁に譲りたいと、父である鳥羽院に表明。しかし得子は、崇徳帝を言いくるめ、自らの子・躰仁に帝の座を譲ることを約束させます。
いいの?崇徳!!だいたいからして躰仁って、鳥羽上皇の子ではないの?そんな今までいじめられていた人の子供に譲る?!
でも、当時は、天皇にはしがらみが多すぎて、権威を振るえなかったのは事実のようです。
上皇になって、傀儡政権の黒幕となる方が、自由に権力を振るえたようですが。。。それにしても、なんだかなあ・・・。
翌1141年、躰仁がわずか3歳で近衛天皇として即位。しかし譲位の儀式で崇徳帝は、躰仁に自分の養子としてではなく、弟として位を譲る形式になっていることを知ります。
弟に譲ったのでは
上皇として院政を行うことができない!!
だまされたと知った崇徳帝は怒りをさらに募らせていくのですが、後の祭り。出家して法皇となった鳥羽院が引き続き政治の実権を握ることとなりました。
が〜ん!!そんなことするから、日本最大怨霊になるんですよ。あとの二人は菅原道真・平将門ですが。
この後もひどいことをされ続けます。で、怨霊化するわけですが・・・。
いろいろされて讃岐に流された上皇・・・。
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
「この経を魔道に回向(えこう)す」
自分が大魔王になって、この日本を呪ってやる!!
皇族の地位を落として、民衆がこの国を支配させるよう逆転させてやる!!
と、呪います。
そのまま朝廷皇族を呪いながら、1164年に讃岐で死んでしまいます。46歳の若さでした。
その後、京都の3分の1が消失する大火災が起こったり、都では変死する貴族が続出したり、天候不順や地震などがあいついで起こったりしたため、都の皇族や貴族はこれらの異変を上皇の祟りによるものと信じました。
だから、そんなことしたからだって!!
「皇を取って民とし民を皇となさん」の誓願の通り、平民(武家)が朝廷の天皇家をおさえて、実質的政治権力を執り続ける時代へ移ります。
それは1868年に明治政府が誕生するまでの、700年間続くことになるのです。
まさに、崇徳帝の呪いです!!
明治天皇も、この崇徳上皇の呪いを脅威に感じていたようで。
それならば、この呪いを利用しようと考えた明治天皇は、崇徳院の怨霊を鎮め、朝廷の守護神となって貰うため、皇宮近くに白峰神宮を造営し、崇徳上皇の命日に讃岐の白峰から崇徳上皇の神霊を迎え入れることにしました。
こうして、崇徳天皇は、死後700年を経て、ようやく京都に帰ることが出来たのです。
話が変わってしまいましたが・・・。1142年正月、皇后となった得子・・・まさに、悪巧みの似合う女になりました。権力者がどんどん変わっています。

清盛は答えの出ない議論を、
「くだらぬ」と一蹴。
そんな兄に賢い弟・お髭の家盛が食ってかかります。
「くだらぬとは何事にござりまするか。一門の行く末を話し合うておるのですよ!!」
なかなか、賢いですね・・・。
二人がとっても対照的です。

明子は、貴族の娘たちに琵琶を教えることになります。
助手として駆り出された明子のかつての教え子・夢見る時子。なんだか気乗りしないのは、練習をさぼっているからか、夢見る夢子には野蛮人拒否反応があるのでしょうか?
そこで清盛と再会します。そんな中、明子は琵琶の生徒の侍女・波子を見つめる盛国の視線に気付き、2人の縁談を進めます。
縁談を断る盛国に。。。
「そなた、気にしておるのではないか?元は漁師であることを。
盛国、そなたは立派な武士じゃ。
漁師の出であればこそ、そうなれたのではないか?
どうか殿と私に、そなたの婚礼の支度を整えさせてはくれぬか。」
まさに、賢い女ですね。縁の下の力持ち・・・。
後添いとなる時子とのコントラストが面白いです。

清盛は、明子のこまやかな気遣いに感心します。
が、もののけですからねえ。。。自分が気遣いをすることはないでしょうが、そんな気遣いに気づいた清盛に成長を感じてしまいます。

場面は東国にいる源義朝。
相模の波多野一族を家来にするなど、地域一帯の武士の多くを配下におくほどに武名を高めていました。
どうしたらそんなに部下に出来るのか、とも思いますが、都から離れるほど都にコンプレックスを持っていたのは確かでしょうから、たくさんの配下が出来たのかもしれませんね。
で、三浦一族の娘との間に義朝の長男・義平が生まれ、波多野一族の娘との間に次男・朝長が生まれます。
まさに、「英雄、色を好む」でしょうか?
この人には、たくさんの女性と子供がいたようで・・・。
自分の血族を増やしていき、それが、平家打倒になるのですから。。。下世話な言い方かもしれませんがまさに「種を撒いて、実を結ぶ」というところでしょうか?
京では由良姫が義朝の帰りを待ちわびています。この人が、一番高貴な女性なので、跡は頼朝が継ぐのですが。。。
得子に良いように権力を振るわれ、すっかり権勢を失った待賢門院璋子は、ある日、得子に呼び出されます。
怖いですね!!この人形!!見ているだけでも恐ろしい・・・。あれって、使うときお祓いとかしてもらうんでしょうか・・・。本当に不気味です。。。
待賢門院に仕える者が得子を呪詛したというのです。
得子の陰謀と悔しがる堀河局ですが、待賢門院は鳥羽院や崇徳院を苦しめ、義清を出家に追いやった罪深き自分を得子が救ってくれていると説き、堀河局らとともに仏門に入ります。
え〜!!そうなの?なんだか理解しがたいことで、いえいえ、理解できません。。。こんな理屈。すっ飛んでいます。

神社参詣の帰り、参道にうずくまる物乞いを介抱した明子は疫病にかかってしまいます。
あくまでもよくできた女性です。


治せる薬はないという薬師の言葉に清盛は動転。「博多へ宋の薬を買いに行くー!」
感染するおそれがあるため、介抱することも許されない清盛は、僧を呼び一心に祈りつづけます。
神や仏にお願いするなんて、なんだ〜人間じゃん!!って思いましたよ。
やがて目をさました明子に、ふたりで海を見る約束のためにも死んではならないと清盛は呼びかけますが、明子は清盛のお陰で十分楽しませてもらったと告げ、息をひきとります。
清盛は、祈とうする僧たちを足蹴に!!!
あ〜、やっぱりもののけじゃん!!
暴れまくる清盛!!
もう、誰にも止められない!!
盛国に・・・。
「殿!お止めくださいませ!恨むならば宋の薬を求めるを許さぬ法皇をお恨みなされませ!
疫病を止められぬ朝廷をお恨みなされませ!
そして…皆が健やかに健やかに暮らせる世を、殿がお作りなされませ!
それこそが北の方様の夢見た景色に相違ございませぬ!」
よく止めに入ったよ盛国・・・。さすがです。
でもその後のナレーション。。。
慎ましやかに清盛とその一党を支えていた妻・明子の死は清盛を悲しませただけでなく、もののけの如く生きた白河院の血が清盛に流れていることを、育ての父・忠盛に否応なく思い出させた。
何ですと?
どういうことかしら?「もののけの血」って・・・。
僧侶を足蹴にしたってこと?う〜ん、よく解らないまま終わってしまいました。
でも、面白いとは思っていますよ。

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