2012年03月16日

長岡謙吉〜文章で支えた龍馬の知恵袋〜

今回のナンバー2は、長岡謙吉です。
龍馬との対話〈上〉「出でよ!第二の龍馬」坂本龍馬船中八策 [単行本] / 浅井 隆 (著); あうん (刊)
龍馬との対話〈上〉「出でよ!第二の龍馬」坂本龍馬船中八策 [単行本] / 浅井 隆 (著); ...
NO,1坂本龍馬、NO,2長岡謙吉、お互いが最高のパートナーだったと言われています。

680年続いた武家政権を近代国家に作り替えたのが明治維新・・・。
始まりは、1853年黒船来航でした。

維新によって近代国家の骨格を成し、世界に羽ばたいていき現代に至ります。この明示を作るにあたっては台本がありました。それが、「船中八策」でした。

作者は長岡謙吉。来たるべき明治の作り方や、民政による議会政治など、新政府のプランが沢山ありました。このゴーストライターが長岡謙吉です。

長岡謙吉は、龍馬の秘書として様々な文書や書物を書きあげます。

2人は、藩にも幕府にも頼らない日本人の日本人による日本を作ろうとしました。
しかし、当時はまだ自由や平等といった概念はなく、それを言葉から作り、文章化したのが謙吉です。

海援隊という海運業・政治活動をする組織を結成し、近代日本の扉を開きました。
行動する龍馬を知性と筆で支えた陰の主役、それが長岡謙吉でした。

船中八策は、龍馬が作ったとされています。

内容は公議政体論の下、
1.憲法制定
2.上下両院の設置による議会政治
3.不平等条約の改定
4.海軍力の増強
5.御親兵の設置
6.金銀の交換レートの変更

など、当時としては画期的な条文が平素な文章として記されています。

しかし、これを起草し、草稿したのは龍馬の知恵袋・長岡謙吉でした。

また、大政奉還建白書の下書きも謙だったのです。

海援隊のメンバーには、陸奥宗光・近藤長次郎・後藤象二郎・岩崎弥太郎がいます。
ちなみに、海運業・・・海の精神を引き継いだのは岩崎弥太郎でした。

龍馬を語る上で絶対に欠かせない謙吉。言葉を性分化する、記録を残す技術に長けていたと思われます。
龍馬が考えていたことが残っているのは、謙吉がコツコツと記録したからに他なりません。つまり、龍馬のパフォーマンスを記録したナンバー2なのです。

2人はどこでどうであったのでしょうか?

1835年11月、土佐藩最下級武士の二男として生を受けた龍馬。5人兄弟の末っ子・泣き虫で、甘えん坊の落ちこぼれでした。

謙吉は、1834年医師の長男として生まれます。高知城下で家業を継ぐため勉学に勤しんでいた秀才でした。
2人の家は歩いて15分の距離にありましたが、対照的な生活を送っていました。
しかし、土佐藩は特に身分制度が厳しく、そのことが2人の行く末を大きく左右するのです。

身分制度に疑問を持ちながらも勉学に励んでいた謙吉。

当時は医者は知識人。しかし、多くは漢方医でした。中国の医学書で学ぶので、必然的に孔子や孟子も習うのです。おまけに鎖国の後も、オランダ・中国・朝鮮とは貿易をしていたので、蘭学や蘭方医学も入ってきます。
この2本立てなので、医者は当時のインテリでありたくさんの情報の持ち主でした。

そんな謙吉、12歳の時に人生を変える運命的な出会いがありました。
その人は、河田小龍。

河田小龍は、土佐藩士で日本画家でもありました。米国帰りのジョン万次郎の取り調べに当たった人です。だからこそ、国防にも関心のある人でした。

ジョン万次郎は、土佐の漁師の息子で、遭難して米船に救われ米国で教育をうけたのち、帰国し、幕府に用いられて翻訳、軍艦操作、英語の教授などに当たった人物です。


そんなジョン万次郎の漂流体験を書いた「漂巽紀畧」の下で、漢学・自由・平等を教えられました。
これからの国際語は英語だ!!オランダ語では駄目だ!!

西洋医学にも触れ感銘を受ける謙吉。西洋特有の自由・平等という概念にも触れ、文学・医学・思想、様々な面で教養を増やします。
そして、15歳の時、医学修行で大坂に行くことになりました。

代わって龍馬。龍馬は剣術修行のため19歳で江戸へ・・・。思い立ったら即行動の龍馬。。。その龍馬を一変させたのが、
1953年黒船来航でした。

ペリーの艦隊にびっくりし、目を覚ます龍馬、半年後に土佐に戻った龍馬は、河田小龍の門を叩きます。
そこで教えられたのは・・・。
「開国するには金が必要、まずは商売をして金を作る。 
 外国船を一つ買って、商売をしながら航海術を学べばいい。」ということ。

海軍と海運の必要性を説かれ感銘を受けます。

行動力と発想のある龍馬、しかし、それを文章に表わしてくれる人、教養のある人、龍馬にとって苦手な分野を埋めてくれる人が必要でした。

そのブレーンとして紹介してもらったのが謙吉でした。
まさに、海援隊の原型が生まれた瞬間でした。

1856年龍馬は江戸へ、謙吉も江戸で学びます。
しかし、長崎に脱藩。それは、予防学に過ぎない東洋医学に限界を感じ、最先端の西洋医学を求めての脱藩でした。

長崎でシーボルトに支持し、西洋医学を学びます。初めて学ぶ西洋を実学として学びます。
その時に、幕末期の国際法である「萬国公法」も学びます。
これは、海援隊時代に大きく活躍することになります

今は何をするべきなのか?討幕か?
文明開化を目指し勉強する謙吉。

1861年謙吉は、脱藩の罪で捕まります。
3年間高知城下で禁足の罪で村医者に納まってしまいます。

この時、初めての挫折を感じました。

しかし、村で西洋医学を使い医者として力を振るいます。妻も娶りました。

1862年龍馬 脱藩。
江戸で勝海舟に弟子入りし、神戸海軍操練所の塾頭に。。。航海術を学び始め、表舞台へ飛び出ることになります。

一方謙吉は、罪を許され自宅に戻り、家業を継いでいました。何の不足もない生活・・・。しかし、このまま田舎でくすぶっていることは出来ませんでした。
第1線で活躍する龍馬に可能性を感じた謙吉。

しかし、勝海舟の失脚で神戸海軍操練所が閉鎖され、龍馬は長崎で亀山社中という日本初の貿易会社を設立しました。

謙吉も決意、医者という地位も名誉も妻も子も捨て日本の改革をめざし、2度目の脱藩へ。。。

当時、脱藩は他愛罪でした。しかし、海援隊の規約には、
「藩を脱したもの この隊に入る」

などという文章があります。亀山社中には、度の藩にも属さず、ありとあらゆる人と自由に取引できるというものでした。

この亀山社中が動き出すとき謙吉の知性と言葉が何より必要となります。謙吉の言葉が日本を変えるのです。

亀山社中は、日本のための海軍を作りつつ、海外貿易で銃や大砲を買おうとします。
蒸気船の購入資金を援助したのは西郷隆盛でした。

ここに大きな仕事が舞い込んできます。
薩摩の買った軍艦と銃7,000丁を長州に。。。

1866年薩長同盟の締結です。

しかし、海援隊で事件が起こります。
海援隊が運航していたいろは丸が御三家・紀州藩の御用船とぶつかり沈没してしまいました。
これは、日本で最初の蒸気船事故でした。

龍馬と謙吉は御三家・紀州藩と交渉します。

そこで、「萬国公法」を用いて強気に交渉します。
というのも、日本では当時、定められた能率が非常に少なかったのです。そのため身分制度がそのまま用いられました。
しかし、国際法では、日本国内での格差は関係ないと主張したのです。謙吉は、弁護士の役割までしていました。
向米では法律の下では四民平等である!!
自分のしたい四民平等をするためには、法律が必要だ!!

結果は法律の重要性を学んでいた海援隊の圧勝でした。紀州藩に対し8万両の賠償金を請求し交渉成立。

勢いに乗る龍馬と謙吉。

武力に頼らず平和に政権移行させるためには強力な策が必要だ!!
大政奉還のシナリオが、夕顔丸の中で起草されました。それが「船中八策」です。
謙吉がいなければ、船中八策は残らなかったでしょう。

この船中八策、龍馬が上京の船中で後藤象二郎に示した八か条の新国家構想で、大政奉還・議会設置・大典制定・海軍拡張・諸外国との国交樹立が書かれていました。

また、のちに大政奉還を実現させる基礎となる建白書も。。。

武力討伐に乗り遅れた形になってしまった土佐藩。今後の土佐藩の為にも、土佐藩らしい実績の実現が必要だったのです。

この文章は、土佐藩によって時の将軍徳川慶喜に届けられます。

1867年10月3日慶喜は大政奉還建白書を幕府に提出。副書は謙吉が起草したと言われています。
10月14日大政奉還が実現。
2人の理想が現実になろうとしていました。

しかし、
11月5日坂本龍馬京都で暗殺 享年33歳・龍馬が脱藩して5年後の事でした。
海援隊の一方の輪が止まってしまいました。

しかし、謙吉の日本を変える活躍はさらに続きます。
土佐藩から正式に海援隊の時期隊長に任命されます。
しかし、1868年4月27日。海援隊はその役目を終え、解散しました。

謙吉は著作を残します。
1867年「閑愁禄」発行

政府に対しての功績を認められ、異例の三河県知事に任命されます。

1868年「藩論」発行
和漢混合体で書かれた高度な文章と漢字の素養から、直接の筆者は謙吉とされています。

そこには船中八策をさらに発展させた未来に活かせる構想が展開されていました。

龍馬の思想を記録して、最後には本として世に広めた謙吉。
この本は、新しい民主主義のあり方として外国でも話題になりました。
当時の英国公使パークスも、本国へ送ったと言い、現在でも高く評価されています。

その後謙吉は、中央官僚に抜擢、大蔵省に入って落ち着いた生活を送っていましたが、長く患っていた胃痛のため
1872年死去、享年39歳でした。

龍馬は最後まであこがれていた海外に渡ることはありませんでした。が、その思想は、謙吉によって海を渡り、世界に広まりました。

藩=国の時代ではない!!

藩を日本国の地方自治体としてみる。
謙吉最大の功績は、船中八策を書いたこと。
日本が民主化し、今に至る礎を築きました。
25通の手紙で読む 龍馬の肉声 (祥伝社新書 193) [新書] / 木村幸比古 (著); 祥伝社 (刊)
25通の手紙で読む 龍馬の肉声 (祥伝社新書 193) [新書] / 木村幸比古 (著); 祥...

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posted by ちゃーちゃん at 15:38| Comment(1) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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