


3月4日、特急くろしお新型車両287系の試乗に行ってきました。

コースは、「紀伊田辺駅⇒和歌山駅」です。
乗った車両はこちら。

乗り鉄のパパは嬉しそうに写真を撮っています。
田辺は、和歌山第二の町なのに、白浜には行くことはあっても田辺には行くことはないですね。。。
今回、せっかく田辺に行ったので、田辺の町を歩いてきました。

こちらは駅前にいらっしゃる「弁慶」さんです。
実在しているのかもわかっていない弁慶さんですが、こちらで生まれたことになっています。
弁慶産湯の井戸とか、弁慶の腰掛石なんかが残っていますが、この日は雨。。。時間も少なかったので、「闘けい神社」に行ってきました。
闘けい神社。
允恭(いんぎょう)天皇8年(410)の創建です。
古くは新熊野鷄合大権現(いまくまのとりあわせだいごんげん)と呼ばれていたものが明治維新の折、闘けい神社と改められました。

で、この像は、湛増・弁慶の像です。
闘けい神社は勝負の神様としても御利益があるともいわれています。
それは・・・。
壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が今に伝わる神社だからです。
闘けい神社の名の由来は、平家物語壇ノ浦合戦の故事によるもので、源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものです。
そう、平家物語に名高い鶏合(とりあわせ)壇浦合戦は、ここが舞台です。
そのほかにも、神社の社務所には源義経が奉納したといわれている笛(銘白竜)、弁慶産湯の釜、弁慶の父湛増が使ったとされている鉄烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されています。
父子で鶏合せをじっと見つめる姿は、私たちに800年前にタイムスリップさせてくれます。
大河ドラマも、ここまではやってくれないのですね。
壇ノ浦までに死んじゃうからなあ・・・。
清盛。

で、くろしお新型車両287系に試乗しました。

紀伊田辺駅前では、八咫之助と八咫姫、わかぱんがお出迎え。

くろしおの中では運転士のお兄さんが、いろいろ教えてくれました。

とっても面白かったです。

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