続きです。

紫式部の「源氏物語」。世界市場の屈指の傑作は、優れたスポンサー・藤原道長がついたことによって、超大作となりました。
では、道長の思惑とは?
999年、権力を盤石にするため、12歳の彰子を一条天皇の后としました。史上初めて・・・定子と彰子、2人の后が並びます。この2人で天皇の寵愛を争うことに・・・。
天皇は、年上で才のある定子のところばかり。。。12歳で子供過ぎた彰子のところにはくる気配がありませんでした。
1000年、定子が亡くなります。
一条天皇の寵愛が彰子に向き、皇太子が生まれ道長の権力は盤石なものになるはずでしたが・・・。
彰子に心を向けることはなく。。。
一条天皇の寵愛を彰子に向けさせ、お世継ぎを作らせること・・・。それが紫式部の使命でした。
ここに、最強のライバル、清少納言が登場します。清少納言は、定子に仕えていた女御の一人、彼女のかいた「枕草子」には、教養の高さ、センスの良さが伺えます。
この「枕草子」、優しかった定子の、華やかだった定子の思い出が書かれています。定子後宮の文化遺産と言えるでしょう。若くして亡くなった定子を賛美するためのものでした。
が、紫式部にとっては、面倒なことをしてくれる清少納言ということになるでしょう。。。
日記にも、
「清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人であったようでございます。
彼女のような風流を気取ってしまった人は、
自然と中身のないことになるのでしょう。
そうなってしまった人の成れの果てが良いわけはありません。」 とあります。
道長から託された使命を果たすため、枕草子を超える作品を作らなければ!!
このライバル・・・清少納言は、チャーミングでセンスのいい文章を書き、紫式部はエンターテインメント性に優れた物語の作者・・・2人の女性作家のあり方が、同時代にあるという奇跡でした。
定子サロンの魅力は?
勿論、定子の優美さ・・・しかし、見かけだけではなく、歌や学もありました。
また、女御たちは・・・染色の技術を持ち、練香の調合の仕方に秀でていてオリジナルのものを作っていたとか・・・。幸せな気分でいられるサロンでした。
そんなサロンに対抗するためには・・・?
道長の狙いは、何とかして一条天皇を彰子の元へ向かわせること・・・。いろいろな手立ての一つが紫式部でした。
「外孫が天皇になれるように!!」
しかし、この源氏物語。。。ただ自分のところへ来てくれればいい。。。愛を独占したい!!ということではなく、定子を亡くした一条帝の悲しみを、桐壷帝を通して理解するということ。が根底にありました。
滋賀県大津市にある石山寺・石山寺縁起絵巻に紫式部に関するものがあります。
そこには、「彰子が新作の物語を書かせようとした。そのため紫式部は石山寺にこもった」とあります。
つまり、彰子も執筆に深くかかわっていたのです。みんなの意見を聞いて作った連載小説のようなものでした。
そして最大の読者となった「一条天皇」は、
「この人は、漢字の素養があるのだろう。歴史書をよく読んでいるようだ」
と、喜んだとか・・・。
特に、第5帖「若紫」は、一条天皇が自らの境遇を重ね合わせたのでは?
少女は「若紫」のちの紫の上・・・
愛しい藤壺のように育てようとする光源氏。。。この時光源氏17.8歳で若紫が10歳・・・ちょうど、一条天皇と、彰子の年齢に当たります。
この「源氏物語」を読んで、彰子を自分の理想の女性に育てようとする一条天皇。。。
1008年9月敦成親王出産。
ここに、紫式部の仕事も終わったのです。
「午の刻に空が晴れ 朝日がぱあっと差したような気がした。
ご出産は安産でいらっしゃった
その嬉しきの比類なき 加えて男子でいらっしゃった歓喜ときたら
とても人並一通などであるものか」
この「源氏物語」は、千夜一夜物語。短編でありながら、長編の要素を持ちます。
紫式部は、彰子の女御として彰子に幸せになってほしいと思った。そこには素晴らしい女性になってほしいという願いも込められていました。
帝や后の心の変化を引き出す役割を無し、単なる恋愛小説ではなく、苦難救済の国家プロジェクトになったのです。
紫式部は、摂関政治の申し子と言えるでしょう。
しかし、そこには道長、一条天皇、2人の后が居なければなりえませんでした。
写本が地方へ産出したのは、応仁の乱が原因だったと言われています。
京都が火の海となり全滅し、貴族は生活できなくなります。その貴族たちは、地方に行って、小京都を作りました。
そこで面白い講義をしたのです。
貴族は「源氏物語」の注釈書を作ったり、研究し、全国的に広める結果になります。
室町以降、様々な注釈書が作られました。
その代表が本居宣長の「源氏物語 玉の小櫛」です。
江戸時代は主君への忠義や身分の上下を重んじる儒教社会。
本居宣長は、儒教社会を取り入れる以前の日本のあるべき姿を「源氏物語」に求めました。
「物語を享受するとは、今のわが身に引き締めてなぞらえて
昔の人のもののあはれを思いやったり
逆にわが身を昔に引き比べてもののあはれを知ることなのである」
「やまとごころ」や「もののあはれ」を提唱し、その傑作として「源氏物語」をあげました。
文明開化と共に「やまとごころ」や「もののあはれ」が忘れられていく一方、源氏物語を訳す作家が登場します。与謝野晶子・谷崎潤一郎・瀬戸内寂聴・・・
定家の時代、歌詠みたちの規範としての「源氏物語」
武家の権力者は、「源氏物語」を読むことで、古き良き公家の文化を知ろうとしました。
井原西鶴は、「好色一代男」というパロディを作りました。
そして、本居宣長は、この「源氏物語」をベースとして日本文化アイデンティティを唱えました。
色好みややまとごころ、もののあはれを国学の基にしました。
この源氏物語をしのぐ作品は、まだありません。
2009年11月源氏物語幻の続編の写本が発見されました。
「巣守帖」2枚・・・。
鎌倉初期に書かれた「無名草子」には、源氏物語60巻とあります。
「桜人」「狭筵」「巣守」・・・「源氏物語」の最終話に対する不満から出てきたのかもしれません。
様々な人を虜にした「源氏物語」。千年もの間、連綿と読み継がれてきました。今も私たちの心を揺さぶる私たちの物語。
ここには、日本人1000年の血が流れているのかもしれません。
源氏物語〜千年の旅・2500枚の源氏絵の謎〜はこちら
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