2012年02月28日

伊太祁曽駅長「ニタマ」です。

和歌山電鐵貴志川線・伊太祁曽駅の駅長「ニタマ」に会いに来ました。

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こちらがニタマの勤務先伊太祁曽駅です。
「京都や大阪からも、ボクに会いに来てくれたにゃん揺れるハート

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三毛猫ニタマは、1月5日にたま駅長の部下として就任して以来、たま駅長と山木取締役の教育研修を受け、貴志駅駅長代行業務などで腕馴らしの実務研修を行なっていました。

2月18日、正式に伊太祈曽駅長兼貴志駅駅長代行に着任しました。

「たくさんの人に来てもらって、嬉しいけど、ちょっと一休みさせてほしいにゃん。」


と言っているニタマ勤務情報

ニタマ伊太祈曽駅長兼貴志駅駅長代行勤務情報

伊太祈曽駅
月〜土(水・木は公休日)

貴 志 駅
日曜日(たま駅長の公休日):

勤務時間10:00〜16:00

です。
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「駅ではこんなにたくさんのグッズが売ってるにゃん揺れるハート

単線の貴志川線、日前宮駅とこの伊太祁曽駅で対向します。
運が良ければ、「たま電車」と「いちご電車」「おもちゃ電車」の対向が見られるよ。

で、この駅で降りたら、もちろん伊太祁曽神社へ行ってね。
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伊太祁曽神社についての具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝2年(西暦702年)です。

神代のことはわかりませんが、伊太祁曽神社が現在の社地に静まります以前には、日前神宮・国懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかがすじんぐう=通称:日前宮にちぜんぐう)の社地にお祀りされていたようです。

日前宮のご鎮座が垂仁天皇16年と伝えられていますので、その頃に山東(さんどう=現在の伊太祈曽)に遷座せられたようです。

しかしその場所は現在の社殿のある場所ではなく、南東に500mほど離れた「亥の森」と呼ばれる所でした。現在も田んぼの中にこんもりした森が残っており、いかにも神奈備の様相を呈しています。

亥の森は旧社地として、小さな祠を祀っており毎年旧暦十月初亥日に「亥の森祭」が執り行われます。
「寛永記」には「伊太祁曽明神ハ和銅六年十月初亥ノ日当所に遷リ給フ」と記されており、現在の社地への鎮座は和銅6年(西暦713年)ということになります。
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 つまり太古より祀られていた伊太祁曽神社は日前宮の鎮座とともに山東に遷り、大宝2年の官命によって社殿の造営がはじめられ、約10年後の和銅6年に現在の地にご鎮座になられたというのが通説です。

 延喜式神名帳に所載の神社(式内社)で、明神大・月次・新嘗・相嘗に預かると記載されており、平安期には朝廷の崇敬が篤い大社であったことがわかります。紀伊国(木国)の一ノ宮として朝野の崇敬を受けてきました。

そう、紀(木)の国にとって、大切な伊太祁曽神社です。ここに来ると、気が引き締まる思いがします。

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posted by ちゃーちゃん at 19:32| Comment(0) | 和歌山探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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