2012年01月31日

秀吉スペシャル〜猿に天下を取らせた6人の男たち〜

THEナンバー2、秀吉スペシャルです。

信長スペシャルの時と同様、本当にたくさんのナンバー2を抱えていますね。だからこそ、天下人になれたのでしょう。

下剋上、その言葉はこの男の為にあると言って過言ではありません。
貧しい農家の倅から天下人へ、破竹の勢いで戦乱を生きた秀吉。日本史上No,1の出世男。その陰には秀吉を支えたNo,2の姿がありました。

@秀吉最初の家来にして終生の補佐役〜豊臣秀長〜
20歳をわずかに過ぎた働き者の小竹・のちの秀長は、自分が持っていた鍬を捨てて兄の補佐役になろうとは思ってもいませんでした。

しかし、調子のいい兄の口車に乗せられて・・・。いつしか家来に。

血を分けた弟を補佐役にした秀吉は、信長の居城清州城の石垣の修復の普請奉行を引き受けます。その経験もないのに・・・。

「10日で、お前がやるんじゃ!!」兄が引き受け弟が取り仕切る、秀長は、予定よりも3日も早く完成させます。兄の営業能力と弟の調整力、この二つを両輪に、秀吉は出世街道へまっしぐら。

では、どうして農民出身の2人が出世レースに参加できたのでしょうか?それは、信長が、身分を問わず能力のあるものにチャンスを与える、そう、信長に仕官しなければ有り得なかったのです。

そうして、秀吉がとんとん拍子に出世できたのは弟がいたから。

秀長は、農民でありましたが、読み書きそろばんのできる賢い人でした。

戦に必要なのは銭!!
基本は楽市楽座でしたが、それを統括したのは秀長でした。

誰もが下剋上をしたがるこの時代、地味で出世できない仕事、お金を集めたり、戦の準備をしたり普通はやりたがらない仕事でした。お互いを立てながら理想のNo,2.No,1の関係だったのです。

A秀吉軍を常勝軍団へと押し上げた〜竹中半兵衛〜

もともと農民で、古参の武将もなく、山賊の寄せ集めにすぎなかった秀吉軍を常勝軍団にした男、それは、竹中半兵衛です。

1570年、浅井が朝倉に加担して、信長に反旗を翻します。浅井には、信長のかわいい妹お市が嫁いでいました。そこで、信長から秀吉に魁の命令が・・・。

魁の時に、「お市を救い出せ!!」と。

竹中半兵衛は、「案ずるに力攻め、落城に及べば、大殿妹母子の一命は、無常助け難し」と、浅井久政・長政親子の関係を断ちます。

そうすることで、浅井長政に父親としての顔を取り戻させたのです。そして、長政は、お市と子供たちを逃がす決意をします。おまけに一人ひとり寝返らせて、浅井一族のみにしてしまいました。

無事に救出作戦を成功させた秀吉に対して、信長は全幅の信頼を寄せ、秀吉は浅井領のほぼ全域を貰い受けることになります。

半兵衛は、自分の軍才を開花させ、発揮したいタイプでした。天下を狙うタイプではなかったことが、普通の武将とは違いました。そこが、No,2として良かったのでしょう。

浅井長政は、半兵衛がいなければ倒せませんでした。お市を助けることができなければ、天下人への道は開かれなかったのです。

B主君信長が死んだときに”あの一言”を囁いた〜黒田官兵衛〜

秀吉の運命を変える出会いがありました。
黒田官兵衛は、信長を裏切った荒木村重を説得するため有岡城へ・・・。捕まって、1年以上も幽閉されます。

その救出後、秀吉直属の部下となり、中国征伐に乗り出します。

1582年3月高松城攻めを開始。官兵衛がアイデアをだし、水攻めに。高松城を落とせば中国地方は手に入れたも同然でした。しかし・・・。

1582年6月2日本能寺の変。
あこがれ続けていた主君が「帰らぬ人」となってしまいました。秀吉は、喪失感と、信長の無念を思い泣き崩れ・・・。もう少しで高松城は落ちる・・・しかし、信長亡き後毛利から攻撃される可能性もありました。

そんな夜・・・。
「殿、開運の時がまいりましたなあ。今こそ、天下を取る時にございます。」

この一言が、秀吉の運命を変えました。常に秀吉のことを考えていた官兵衛。前方は毛利、後方は明智、信長が死んだ今、秀吉が参加している方面軍はバラバラになるかも・・・。そんなピンチにうわさを流します。

主君の仇を討ったら、足軽でも仕官が叶うかも!!
これが、中国大返しに繋がるのです。

秀吉にとっての最大のターニングポイント。秀吉軍は、不眠不休で2日後には70q離れた姫路城へ。
そうして信長の死を知られることなく京へ・・・。


この時に重要なのは、殿軍(しんがり軍)。最も困難で危険な仕事でしたが、それを務めたのは秀長。
1582年6月13日山崎の戦。この先陣を務めたのも秀長。天王山を抑え、明智軍を撃破!!秀吉は天下統一の主導権を握りました。

秀吉は、秀長に全幅の信頼を置いており、なんでもさせられました。兄思いで、自分をわきまえていて、実直で勝つまで頑張る秀長は、合戦で負けたことがないといううわさまでありました。

C賤ヶ岳の戦いで、秀吉につくことを決断した天下一の律義者・忠義者〜前田利家〜

前田利家は、加賀100万石の城主です。

信長の逆鱗に触れたとき、柴田勝家のとりなしで命を繋ぎました。利家にとって勝家は、命の恩人であり直属の上司でした。

秀吉は、信長の後継者として名乗りを上げますが、勝家はそれを快く思っていませんでした。
勝家は、雌雄を決すべく秀吉軍と賤ヶ岳でにらみ合います。

この時、利家は、勝家軍としてきたものの、悩んでいました。

命を助けてくれた恩人、北陸軍の親父殿・勝家
家族ぐるみの付き合いの友人・秀吉
二者択一の時・・・。
悩んでいた利家の元に秀吉からの手紙が・・・。

「あしたの合戦では、勝家を裏切ってもらいたいが、お主の性格ではそれも出来まい。せめて、明日の戦いには加わらず、中立を守ってもらいたい。」

利家のことを、よく解っている手紙でした。

1583年賤ヶ岳に戦い。

はじめは勝家が優勢、も、秀吉も負けていない一進一退の攻防をしていましたが、翌日未明、突然終焉を迎えます。

前田軍が、越前に向かって退却を始めたのです。勝家軍は、混乱して逃げ出すものも続出。ついには総崩れとなります。

利家としては、戦線離脱・・・。それが精一杯でした。

利家は、最終的には秀吉につきましたが、勝家が敗れた時に死のうとします。それを秀吉に止められ、豊臣家の為だけに人生を全うしようと心に決めたのでした。

D豊臣政権のフィクサー、秀吉を仕上げた男〜千利休〜

実質的にはNo,1となった秀吉。
茶の湯を完成させた伝説の男千利休は、秀吉には大きな存在でした。

後に、大友宗麟が大坂城にやってきたとき、秀長が、
「内々の儀は宗易に、公儀の事は宰相(秀長)に存じ候」と言ったといわれています。
秀吉の影を支えた男でした。

信長の葬儀は大徳寺で行われました。それは、信長の公認を示す大切な行事でした。柴田勝家一派に見せつける必要がある!!

この行事を取り仕切ったのが利休でした。
何よりも大切なこと、それは、秀吉が「焼香第一位」に選ばれること。ここで、利休の手腕が発揮されます。

この大徳寺、信長とは縁もゆかりもなく・・・利休が古渓和尚と親しくしていたからなのです。シナリオ通り、焼香第一位に・・・。これによって、秀吉の時代を天下に知らしめたのです。

これ以来、利休は、秀長とともに政権を動かす両輪となるのです。

次に二人がしたのは、禁中茶会です。これは、京都御所で秀吉が天皇に、自ら点茶を行ったもっとも権威ある茶会です。

秀吉が天下を支配する正当性を知らしめるため、天下の度肝を抜きます。

それが、「黄金の茶室」。御所に運べるように、全て金の組み立て式でした。

また、北野天満宮で1500人を呼んで茶会をします。目的は、権勢を誇ること。。。

日本に茶道を定着させた秀吉と利休。この茶の湯が政治と結びつきます。

戦果をねぎらうために茶に呼ぶとか、高価な茶器の為に戦う?とか・・・。茶道のブランド化をした実行者が利休でした。そうして、その利休の情報網が秀吉には必要となり、また、孤独な秀吉に意見を述べることができたのです。

しかし、秀長の死によって、バランスが崩れます。もはや、大きくなりすぎた豊臣家、側近政治では成り立たなくなっていました。官僚制に移行する時期でもあったのです。

五奉行の設置、利休VS石田三成。

主君秀吉亡き後も豊臣家の為に孤軍奮闘した悲運の将〜石田三成〜

三成には、巨いたる企てがありました。

Tスローガン(大義名分)を掲げる。
豊臣家の為に・・・。このPR活動にはお金がかかります。

U信頼できるスポンサー集め
大老・宇喜多秀家をはじめ、堺・博多の商人。
これによって、金回りが良くなって、ムードが盛り上がります。

V実務者レベルのネットワーク
立派な対象・毛利輝元

東軍8万に対し、はるかに大きな西軍16万。この時点では、家康に勝っていたのかもしれません。

敵は実力も人望もある家康。

20日間かけて戦う計画でしたが・・・。負けた原因は、西軍の中で戦いに参加しなかった人が7割もいました。東軍6万人に対して西軍が3割で戦い、そのうちの石田軍の9割は亡くなっています。

主君亡きあと命を懸けて大坂城を守ってきた三成、その忠誠心は、誰よりも強かったのです。

では、この6人の中で、No,2のNo,1は?

全体的に生涯を通じると秀長。No,2というのは、真価の問われるときはもうその人はいない・・・。No,1の底辺を支えた人、それがNo,2なのです。



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posted by ちゃーちゃん at 12:39| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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