2012年01月12日

遠山金四郎〜改革が生んだ庶民のヒーロー〜

遠山金四郎・・・私は、中村梅之介さん(中村梅雀さんのお父さん)が大好きでした。
コロムビア時代劇シリーズ 中村梅之介主演『伝七捕物帳』ベストセレクションDVD-BOX / 中村梅之助, 音無美紀子, 財津一郎, 高城丈二 (出演)
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この人です。。。が、金さんはありませんでした。あせあせ(飛び散る汗)伝七も好きだったなあ・・・。

小さな子供だった私には、その後の杉良太郎さんはキツイというか、苦み走ったいい男過ぎました。

お白州で桜吹雪を見せながら見えを切る・・・。そんなドラマの金さんですが、その実像はどうだったのでしょうか?

いきなりですが、桜吹雪はなかったといいます。「日本戯曲全集」には、生首が文を銜えたぼかしの彫り物があったとされています。エリートの町奉行が、本当に彫り物をしていたのでしょうか?
この入れ墨は、「史記」の太白・虞仲から来ているといいます。実際に入れ墨をしていた場合、旗本は継げないので・・・。

しかし、この彫り物が、金さんを庶民のヒーローにしたことには間違いありません。

金さんは、まじめな水野忠邦のNo,2として、北町奉行をしていました。その実在の金さんは・・・。

寛政5年8月に長男として生まれるも、届を出したのは、6年9月・・・。そこには複雑な家庭環境がありました。

知行500石の明知遠山氏の分家の6代目にあたる人物です。父は優秀な模範公務員。長崎奉行を務めた遠山景晋です。

父・景晋は永井家から遠山家に養子入りしましたが、後に養父の実子景善が生まれたため、景晋は景善を養子にしていました。景元出生時には未だ景善の養子手続きをしていなかったため、景元の出生届はその手続が終わった、誕生の翌年9月に提出されたのです。

文化6年(1809年)、父の通称であった金四郎に改めます。優秀な父に対する劣等感と、跡継ぎになれない自分・・・。青年期はこうした複雑な家庭環境から、割り切れない気持ちを抱えて家を出て、町屋で無頼な放蕩生活を送ります。しかし、この経験が後に生かされるのです。

ここまでの生い立ちは、水戸黄門さまと、長谷川平蔵を足したような感じです。。。黒ハート

江戸時代の旗本は、無職の人も多かったといわれている中、北町奉行というのは、エリート中のエリートです。この、天保の改革のころのNo,2の役目は、町人との交渉や、治安維持が重要視されていました。

しかし、金さんは、まじめな水野忠邦とは真逆の人・・・そこには、水野の苦手とする「下世話なこと」の処理を任せるといった思惑がありました。ここは本当に、平蔵そっくり揺れるハート

金さんは、とんとん拍子の出世をします。

33歳で父が隠居、跡継ぎに、37歳で正式に家督を継ぎます。

江戸時代は、武士の身分は固定されていたので、父のものをそのまま受け継ぎました。

45歳で勘定奉行となりました。この勘定奉行、当時は勝手方勘定奉行と公事方勘定奉行とに分かれていて、当時の仕事は、ほとんどが月番・1か月交代でした。勘定奉行の仕事は、江戸以外の直轄地の管理も入り、当時は三権分立ではなく、勝手方は行政・立法を、公事方は裁判を行っていました。お金の勘定をしていたわけではないのです。

この公事方で、力を振るうことになるのです。本人の能力と、父のおかげで老中・水野忠邦の目に止まります。これからの政治には、何としても遠山が必要だ!!

水野忠邦のやりたかったこと・・・。

当時は物価が高騰し、倹約令を出していました。天保の改革です。これは、倹約一辺倒の改革で、町人にはきついものがありました。そこで、下世話なことに通じている、民衆に人気のある金四郎が適任ではないか・・・。そこで遠山景元が超重要ポストに就いたのです。

それが、北町奉行でした。
歴代の将軍は、町奉行・勘定奉行・寺社奉行を実際に上覧する公事上聴という儀式がありました。
そこで12代将軍家慶は、「前々から、そなたの裁きが巧みであるとは聞いていたが、今回の裁きぶりは、格別なものであった。奉行はみな遠山のようにあるべきだ。」とお褒めになった。そうして、将軍お墨付きの名奉行となったのです。

では、改革はどうなったのでしょう?2か月後には、あらゆる経済が落ち込み、江戸は火を消したように活気がなくなってしまいました。

景元が疑問を持ち始めていたころ、南町奉行矢部定謙が御政道批判をして在任8か月にして冤罪を着せられ罷免されます。それは、鳥居耀蔵のたくらみによるものでしたが・・・。

庶民は、この南町奉行となった鳥居耀蔵によって、いじめのように追い詰められていきます。北町奉行の時に捕まるほうがいい!!と、月番が代わるまで逃げる犯人もいました。
この時代には、大塩平八郎の乱もありました。これは、飢饉が続き、救済策を上申するも、拒否された与力・大塩平八郎が役人と特権豪商を誅伐するために挙兵したものです。このように、武士であっても、上司批判は絶対に出来ないのです。

そんな中、忠邦の改革に物申す金四郎・・・。

株仲間の解散令が出されました。株仲間とは、幕府の許可を得て結成した同業の問屋の組で、この人たちに、商品価格を釣り上げたとして、責任を押し付けたのです。しかし、解散ということは、価格はさがっても、流通経路が無茶苦茶になってしまいます。
金四郎は、勇気あるサボタージュを行います。
水野の法令が出ても、すぐにはおふれに出さずに握りつぶします。

芝居小屋も、閉鎖、江戸郊外へ転居になります。これに対して、人々の楽しみを奪うということは、甚大な影響を与えると、伺い書を幕府に提出しました。これには将軍が賛成し、水野に再検討するようにさせます。そうして、浅草に移転となって、今に残ることになったのです。

また、人返し令というのが出されます。「江戸は政治をするところで、住みやすい町でなくていい」という判断からでした。100万人に膨れ上がっていた人口を、農村へ帰そうとしました。人が増えると犯罪が増える・・・その混乱を恐れて人口を減らそうとしたのです。

というのも水野は朱子学の塊のような人で、経済観念がありませんでした。当時、税金は農民しか払っていませんでした。物を生まない商人は士農工商と、位も低く、商人から税金を取るという考え、商品経済に対する知識がなかったのです。

しかし、金四郎は、「江戸を人のいない町にしていいはずはない」と、非常用備蓄米を増強し、一揆や打ちこわしを抑えようとしました。

おかげで、この人返し令は実行されませんでした。庶民の側に立ち、改革に抵抗する金四郎。そのせいで、北町奉行から、地位は高いが閑職の大目付に転じることになりました。

でも、悪評高い水野の改革に終止符が打たれることになります。

1837年モリソン号事件。これは、マカオに漂着した漁民を返そうと、英米にたいして発砲した事件です。
1840年アヘン戦争で、清が敗北・・・。時代は大きく変わろうとしていました。

水野忠邦は、上知令を出そうとしましたが、それを大名に伝えに行くのは、金四郎の仕事でした。しかし、大名も将軍もこの案には賛成しかねると・・・。

水野は、財政を再建させ、幕府の権威を回復し、幕府の存在意義を強調し、国防の体制を作りたかったのですが・・・。
家慶は、上知令を撤回し、水野は罷免されました。

1845年〜52年、遠山金四郎は南町奉行として復活。

しかし、ペリーが来航し、江戸時代は終わりを告げるのでした。

庶民の味方だった金四郎は、その後、芝居小屋を救ってくれた人・・・芝居になり、映画になり、テレビ番組となって、復活したのでした。


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posted by ちゃーちゃん at 13:42| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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