2012年01月27日

やっと読みましたよ。「世界を変えた10冊の本」

【送料無料】 世界を変えた10冊の本 / 池上彰 イケガミアキラ 【単行本】
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この本です。どこを探してもなく、密林で買おうかなあでも、1,400円だから、送料無料じゃないのよね・・・。なんて、しみったれた主婦根性で迷っていましたが、先日本屋で発見!!

もう出会えないかもしれないので、買ってしまいました。

昔、古本屋でよく買っていたので、ほら、古本って今買わないとなくなっちゃうでしょ。失恋そんな気持ちで買ってしまいました。

司馬遼太郎さんなんかは、学生でお金がなかったので、古本屋で集めました。古本には古ぼけた良さがあるのに、今のブックオフなんかは、新品みたいでびっくりします。exclamation×2あんなだと、新品なんて買う気失せるなあ・・・。新品の意味は、「第1刷発行」になってしまう・・・。

横道にそれましたが、てれびのように、なるほど!!って感じの本でした。経済なんかは難しいかなあとも思いましたが、池上さんの番組を見ているとよく解りますね。黒ハート

でも、びっくりしたのは、10冊の中に「アンネの日記」があるのですが、私が中学生の時に読んだものは、アンネ自身のお父さんによって「削除や加筆修正」のあったものだったということ。

感受性豊かな乙女の純粋な日記ではなく、本当の日記は、もっと等身大の女の子の日記だというのです。母親に反抗したり、女性としての成長が書かれていたり・・・。

よく考えると、ふつうの女の子なんだから、当たり前と言えますが・・・。びっくりです。読んだ気になっていました。失恋


他も、目からうろこなお話がたくさんあります。ぜひ、読んでみてください。黒ハートお勧めです。

【送料無料】 はてな?なぜかしら?社会・教育問題 はてな?なぜかしら?日本の問題 / 池上彰 イケガミアキラ 【全集・双書】
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戦争指揮官リンカーン〜その知られざる素顔〜

BS歴史館です。

久しぶりに、外国の歴史です。先日も、今の「大阪城」が、「大坂城」であると、信じて疑っていませんでした。大阪府でも、「大坂城でしょ!!」と言って、パパにバカにされました。バッド(下向き矢印)良いんですよ、別に揺れるハートそれが私だから。グッド(上向き矢印)るんるん

で、今日は、現代アメリカはここから生まれた〜戦争指揮官リンカーン・知られざる素顔〜です。

2009年1月、第44代アメリカ大統領就任式で、オバマ大統領が宣誓をした時左手を置いた聖書は、150年前にリンカーンが手を置いたその聖書でした。

アメリカ史上、最も人気のある大統領、第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンです。
そう、「人民の 人民による 人民のための政治」という、民主主義の本質を語り、奴隷解放の父といわれた人です。

彼の在任中は、ほとんど戦争でした。1861年〜65年の南北戦争です。この戦争でリンカーンは、様々な近代兵器を駆使して、自らが指揮をとりました。

そして、戦争のさなかに発表された「奴隷解放宣言」その意外な事実とはなんなのでしょうか?

アメリカ建国以来、最大の危機といわれる南北戦争。未曽有の事態に際して、どのようなリーダーシップを以て国をまとめ上げていったのでしょうか?

現代のアメリカの基礎を築いたリンカーンの国家ビジョンとは?

まず、南北戦争はなぜ起こったのでしょうか?
それは、綿花という植物が原因でした。

綿花は、熱帯植物なので、南部で育ちます。その上、価値は高かったのです。
おまけに、綿繰り機ができたので、綿の生産量が増えます。

アメリカの綿の産出量   1830年  50%
             1850年  75%     を占めるようになります。

綿の年間生産量      1790年      4,000t    奴隷人口 70万人
             1860年    3,900,000t    奴隷人口400万人

綿は、白い金とまで言われたのです。
この綿花は、南部に裕福をもたらし、繁栄を極めます。
この繁栄を支えたのは奴隷たちでした。
奴隷市場では、男=1000$・女=800$・子供=500$で、取引されていました。

南部から綿花と奴隷をとると生活が成り立たない・・・。
つまり、奴隷制度は人権問題というより、当時は経済問題だったのです。
北部にも奴隷はいましたが、工業化が進み、労働力は、ヨーロッパからの移民でした。

おまけに、「奴隷は私有財産だ!」という考えがあり、自由はありえないし、私有財産の不可侵ということになると、「奴隷解放」は、憲法違反になってしまうのです。

1776年に出された「独立宣言」には、すべての人は平等と謳っているものの、1787年の「アメリカ合衆国憲法」では、奴隷制度を認めています。

exclamation&questionつまり、この独立宣言の平等とは、アメリカ人とイギリス人は平等ということなのです。

1860年11月6日、大統領選挙の一般投票があります。緊張感のなか、リンカーンが大統領となりました。一触即発の南と北。

1860年12月20日サウス・カロライナ州が連邦を脱退・10州がそれに続きます。
戦争の影が忍び寄ってきていました。
1861年2月アメリカ連合国(奴隷州)誕生。北には自由州たちが、その間には奴隷もいる境界州もありました。

リンカーンは、大統領就任と同時に、アメリカを守ることと、奴隷問題にぶち当たります。
戦争回避のため、現状維持を認めるも、もはや手遅れ・・・。

南軍80万人VS北軍250万人、1861年4月12日南北戦争開戦。

大統領就任1か月で始まってしまった南北戦争。リンカーンは、政治的判断だけではなく、軍事的行動にも参加します。

1862年開戦から1年後、ミニエー弾(どんぐり型の奴です)が開発。多くの犠牲者を出します。軍需産業が発達し、それは、産業革命後、アメリカで行われた初めての戦争・・・。近代戦争の先駆けとなりました。

1862年バージニア州・・・。南軍は、リー将軍、第2次ブルランの戦いで。
圧倒的不利にもかかわらず、南軍が勝利し、力の差を見せつけます。
わずか10分で、敵兵1,000人以上を殺しました。

南部連合軍過去最大の勝利、しかし、南軍は北軍を甘く見ていました。
両軍の明暗を分けたのは・・・電信機

1844年モールス信号が発明され、大量情報伝達ツールとして利用されたのです。
大統領は、陸軍省まで電線を繋げることを要求。北軍側にあるすべての電信を軍の管理下に置きました。そのおかげで、リンカーンは戦術について意見が述べられ、その数1,000件。

南軍は、指揮命令の集中化に気づいていなく、おまけに、リー将軍たちは戦況のわからないまま作戦を立てていました。

リンカーンの秘密兵器は、鉄道路線。鉄道を使って物資や兵隊を運びました。

産業、通信設備、物資、人員、武器、史上初めて産業が戦争をバックアップしました。近代アメリカにおける産業と戦争の仕組みはこうして始まりました。そうして、これ以後、第2次世界大戦にも使われました。

南軍は正義のもとに決して降伏しません。その結果、戦死者62万人。人口の2%が死にました。
武器が進歩して、爆弾が爆発するようになりました。

ちなみに戦死者数は、
   第一次世界大戦      11.6万人
   第二次世界大戦      40.5万人
   ベトナム戦争        5.8万人
   イラク戦争         0.4万人 

つまり、今までで一番戦死者を出しているのです。

しかし、なぜ北軍は苦戦したのか?それは、大義名分がなかったのです。
おまけに、学歴も実績もない最高司令官のリンカーン、大統領として軽んじられていました。

それに対して、南軍は、独立のため、合衆国を守るためでした。


リンカーンは、最も有名な大統領であったにも関わらず、大統領になるまでのことは、あまり知られていません。

記者に尋ねられた時、
「私の若いころのことをあれこれ書くのはばかばかしい。”貧しき者の取るに足らぬ記録”これこそ私の半生だ」と、言っています。

リンカーンは、過酷な貧しい開拓者の子。
1809年2月12日貧しい開拓農家の子供としてケンタッキーに生まれます。学校に行かせてもらえず、力仕事をしていました。独学で勉強し・・・。22歳で親元を離れ、測量技師に。正直で信頼できる男・・・。

1834年イリノイ州議会議員に当選。その後、弁護士の資格も取ります。
1854年共和党発足。49歳で政界に復帰。

では、なぜ大統領に?

それは、共和党員たちの奴隷解放のための駆け引きに使われたのです。
リンカーンの考えは・・・
「私は、奴隷制度を憎んでいるが、連邦の崩壊を見るくらいなら、奴隷制度に同意するほうがましだ。その制度は現存しているのであって、満足のいくように、それを廃止することは極めて困難であるというなら、私はその言葉を了解し認めることができる」

これは、既存の奴隷州は容認し、新しい奴隷州は反対、という妥協案で南部を繋ぎとめたいと思っていたのです。
もともと共和党は、奴隷制反対の勢力が結成したものです。このままでは戦争になってしまうので、穏健派のリンカーンを、アメリカの分裂を防ぐ調停者として共和党の候補として担ぎ出したのです。
それを支えたのは、裕福な家庭に育った妻でした。政治活動をバックアップします。

1860年に第16代大統領に選出されます。

この消去法の選出方法は、オバマ大統領の時と似ています。

1861年南北戦争開戦。早期決着をして、奴隷制度を維持したまま南部を復帰させようと目論見ます。が、南部が激しく抵抗します。

南部は持久戦に持ち込みます。イギリスが、独立国家として認めてくれるかもしれない!!

北部は、奴隷制度の即時撤廃に傾きます。

アメリカ建国以来、最大の危機が訪れます。

そんな、1862年9月22日に「奴隷解放予備宣言」が発表されます。
「1863年1月1日に合衆国に対して反乱の状態にある州に、奴隷として所有されている全ての人々は、その日ただちに、またそれより以後永久に、自由を与えられる。」

これにより、イギリスが北軍を支持、南部の独立の承認の可能性はなくなります。

この、「奴隷解放予備宣言」には、リンカーンの妥協がくみ取れる内容となっています。もともとこの戦争は、奴隷解放のための戦争ではなく、この「予備宣言」を受け入れていたら・・・反乱を止めていれば奴隷制は維持されていたのです。これが、現実主義者リンカーンの真骨頂、政治的判断なのです。


しかし、南部はこれを無視。

1863年1月1日「奴隷解放宣言」が発表。これは、南部白人にとっては自分たちの生活を脅かすものであり、北部にとっては「奴隷制の撤廃」と、「奴隷解放」という意義を与えました。

1863年ゲティスバーグ演説。これが、史上もっとも有名な演説です。
「87年前、父祖たちは新たな国家を築き、自由の理念に育まれてこう掲げた。人はみな平等に作られたと。犠牲者の死を決して無駄にすることなく、この国に新たな自由をもたらすこと、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から絶やさないことを、我々は固く決意する。」

彼の演説は、戦争の犠牲車に捧げられた讃美歌でした。

しかし、リンカーンはこの演説、民衆の反応が今一つだったので、失敗だと思っていました。が、翌日の新聞で火が付きます。「people」この意味は、「独立宣言」と「合衆国憲法」の下に集まる人々のこと。演説は、過去→現在→未来の国民に語っている素晴らしい内容でした。

このゲティスバーグは、南北戦争最大の激戦地5万人が死傷したといわれています。この地で演説したことに意味がありました。

1864年戦争はいまだに膠着状態。そこで、北軍シャーマン将軍が焦土作戦に出ます。何もかも焼き払うのでした。このことが、リンカーンの指示であったかどうかははっきりしません。

が、1865年3月4日第二次大統領就任した際の演説で、これを受けて・・・。

「何人に対しても、悪意を抱かず、すべての人に自愛を以て、われらの着手した事業を完成するために、努力をした、そうではありませんか。」と、南部の人に寛大な態度を表します。

この1か月後・・・リー将軍が降伏を申し入れます。

1865年4月9日南北戦争終結。

1865年フィード劇場に大好きな演劇を見に行ったリンカーン、暗殺者の凶弾に倒れます。56年の生涯でした。

戦わなければ2つに分かれていたであろう国。しかいし、すべてが解決したわけではなく、1864年の公民権法の成立まで続きます。びっくりです。パパの誕生が、そんな昔exclamation&questionというか、最近のことなのね。あせあせ(飛び散る汗)

それは、バラク・オバマが大統領に選ばれたとしても、残っています。

この南北戦争で、アメリカの戦争のスタイルができました。アメリカの正しさ・強さ・恐ろしさの原点です。

二つに分裂しようとする力・・・。その後も分裂しそうになることたびたびで、今は、Occupy Wall Street、NYウォール街から始まった経済格差への抗議運動です。戦争にならないまでも、対立と分裂を繰り返しているのです。

しかし、アメリカ最大の危機の中、掲げた自由と平等、一つの連邦という理念、リンカーンのアメリカは今も続いているのです。

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2012年01月26日

池上彰の現代史講義〜東西冷戦とベルリンの壁崩壊〜

昔、BSでやっていたのを撮り忘れて見れなかった分です。お正月にしてくれました。黒ハートベトナム戦争は、またもやバッティングして撮れませんでしたが・・・。あせあせ(飛び散る汗)

第二回 東西冷戦とベルリンの壁崩壊です。
ベルリンの壁崩壊は1989年のこと。私は、大学生でしたが、歴史的大事件に立ち会っているという気になった事件でした。こんな風に、日々のニュースが、歴史となっていきます。

東西冷戦とは、本当に戦争をしたわけではありません。
イギリスを世界の中心に見た地図で、世界が、東側(ソ連・中国)と西側(米・英)に分かれ、対立したという、冷たい戦争のことです。

1946年、イギリスの元首相チャーチルが、アメリカの大学で講演をしました。
「連合国軍の勝利は、影に覆われた。バルト海のシュテッテンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を分断する「鉄のカーテン」が降ろされたと。

当時は、何があったのでしょうか?
第二次世界大戦は、連合国が枢軸国と戦って、連合国が勝ちました。その、連合国のソ連が、東ヨーロッパを占領してしまいます。西側に、ニュースが全く来なくなってしまいました。そのことを比喩して「鉄のカーテン」と言ったのです。
そして、ソ連と東ヨーロッパ・共産圏と、英米が、対立していったのです。

その後、中華人民共和国も、情報が出て来なくなってしまいました。この時は、中國ということもあって、「竹のカーテン」と、言われました。

第二次世界大戦時、ドイツ帝国が連戦連勝し、ヨーロッパの全てを占領していましたが・・・。西では亡命していたフランス・イギリス政権が、ノルマンディー上陸作戦を決行。東ではドイツVSソ連。一時はモスクワ近郊まで行きましたが、スターリングラードで敗戦、その後連敗が続きます。ドイツは、戦場を広げすぎたために負たのです。

東からはソ連が、西からは仏英米が・・・。この戦争は、ヒトラーの自殺で幕を閉じました。

1945年ヤルタ会談。このヤルタは、ウクライナ・国会近辺にあります。ここで、英米ソで、戦後のヨーロッパの分割を行います。ソ連でやったのは、スターリンが飛行機嫌いであったためで、チャーチルとフランクリン・ルーズベルトが呼び寄せられたのです。

その結果・・・。
それぞれの国で、住民たちが自由に選挙をして代表を決めることになります。
しかし、ソ連は、ドイツ軍のせいで大打撃を受けたトラウマから、国境に敏感になっていました。自分の周りには、自分の言うことを聞く国を置いておきたい!!・・・と。

東ヨーロッパの国々は、ソ連が選んだ人たちが、政府要人となっていきます。自由な選挙をしたのは、チェコスロバキアだけでした。が、それも、共産党のクーデターでソ連寄りとなります。報道の自由、言論の自由がなくなってしまいました。

ベルリンの壁は、東ドイツと西ドイツの間にあったわけではありません。東ドイツと西ドイツは、もともとアメリカ軍とソ連軍が、分け目となるエルベ川で合流して称えあった(1945年4月25日エルベの誓い)結果、その川で分けられたものです。

そうして、連合国の中のソ連が一人だけ違う方向へと向かっていったのです。

ちなみに、日本も分割されていたかもしれません。ソ連は、北海道の北半分が欲しいといっていたからです。これをはねのけた連合国軍は、結局、中国・四国はイギリス・オーストラリア・ニュージーランドが、それ以外はアメリカが占領したのです。
日本は、統一を保ったまま独立することができましたが、もしかしたら壁ができていたかもしれません。

首都ベルリンも二つに分割されました。東ベルリンはソ連、西ベルリンはフランス・イギリス・アメリカが三分割して統治しました。つまり、もともとは、4つに分割されていたのです。

ドイツ人の自由な国を作ろう!!」このことが、東西の対立の始まりでした。

市民による市議会議員選挙が行われ、市長が選ばれます。が、ソ連は認めませんでした。なので、この人は、西ベルリン市長となります。

ソ連は、ドイツ軍によって、2634万人も犠牲になっていました。だから、東ドイツの財産・施設を取り上げます。印刷機も押さえて、マルク紙幣を大量に作りました。そのお金で、ソ連の必要とするものを購入しました。資産のないまま・・・。当然、インフレが起きます。このことに、西側が反発します。

1948年西ドイツ独自のマルク通貨を発行。そのことにソ連が怒ります。ベルリンは東ドイツの中にあります。ベルリン封鎖が行われました。

鉄道・道路・河川・アウトバーン、空路を除いてすべての交通手段をシャットダウン、西ベルリンに行けないようにしてしまいました。そこには市民225万人が住んでいました。食料がなくなってきます。

アメリカが西ベルリンを救おうと、「空の架け橋作戦」を実行します。輸送機に食料・水・ありとあらゆる生活物資を送りました。その数は、1分間に1機ずつ着陸し、犠牲者もたくさん出ました。

そのせいで、ソ連の封鎖はうまくいきません。おまけに人道的にも批判され、11か月後には封鎖は解かれました。

1949年9月ドイツ連邦共和国(西ドイツ)
     ドイツ民主共和国(東ドイツ)ができます。ドイツが、二つに分割された瞬間でした。

社会主義の国は、農業の集団化を行います。
なぜなら、資本家を追放し、労働者(プロレタリアート)の国にすることが目的です。
生産手段を持っているものから、すべてを取り上げ、国家のものにします。
ソ連も中国も企業はすべて国有化、共産党が統治します。何も持たない労働者が、すべてを握るのです。

東側の農業は・・・農家は農地・農機具を持っている、そのことが生産手段を持っていると判断され、プロレタリアートではないとスターリンは考えたのです。

農業も国営化、農民は、土地を奪われます。自分のものではなく、全人民のものになってしまいました。農民は、サラリーマンとなってしまいました。しかし、農業は、自然が相手、サラリーマン(9時5時)ではできません。これが、慢性的な食糧危機を招きました。

西ドイツも、国営農業化、中小企業の経営者も国営の会社となります。そのことに不満を持ち、多くの東ドイツの人々は絶望します。

西側に逃げ出したいが、国境があって無理だ・・・。「ベルリンに逃げ込もう!!」と、東ベルリンから西ベルリンに、人が逃げ始めました。そこで、ベルリンの壁を作ったのです。

1961年ベルリンの壁の建設が始まります。はじめは鉄条網でした。東ベルリン市民は、命がけで脱出するようになります。そこで、コンクリートの壁が45キロにわたって作られたのです。国境の壁は、他国が攻めてこないようにするために作るものですが、この壁は、自国民が逃げ出さないようにするための壁。西ベルリンをぐるっと囲んでしまうほどの壁でした。

悲しい歴史の1ページの始まりでした。358万人が脱出をはかり、239人が犠牲となりました。

しかし、行き来するポイントはありました。(サイボーグ009で、ハインリヒが脱出したゲートかしら?)
チェックポイント・チャーリーといわれる東西ベルリンを陸路で行き来できた検問所です。外交官や外国人専用の東西の通路です。ここも、逃げようとする人が、車の中に潜んで脱出を図ったりしていました。

他にも、飛行機・気球、アリとあらゆる工夫をして逃げようとしました。

1963年の西ベルリン、東西対立の象徴となっていたベルリンの壁の前で、ケネディ大統領が市民に演説をしました。

「これほど強い意志を持ち続けている街は西ベルリンをおいて他に知りません。自由世界において、誇りを持って言えることがある。「私もベルリン市民だ!」」

東西が分断されている、このような非人道的なことはいけない、私たちも同じ思いを共有している仲間である。と、演説したのです。

これに対し、2001年9月11日、同時多発テロの追悼集会がベルリンで行われたとき、「私たちもアメリカ市民だ」という看板が上がりました。

1987年レーガン大統領が、またもや西ベルリンで演説をします。
「ゴルバチョフ書記長、もし、あなたが平和を望んでいるなら、
 ソ連邦と東ヨーロッパの繁栄を求めているなら、
 もしあなたが、自由化の道を歩むなら、
 この門まで来てください。
 ゴルバチョフ書記長、この門を開けてください。
 この壁を壊してください。」

東ドイツであっても、ソ連の忠実な僕でした。だから、親玉ゴルバチョフに語りかけたのです。

こんな非常事態は、いつまでも続きませんでした。

農業生産は落ち、工業生産も落ち、次第に経済力に差が出てきます。
東と西でどれだけ差があったのでしょうか?
西ドイツが生産した自動車は、世界に誇るベンツ・アウディ・BMWと、トップクラス。
東ドイツは、昔と同じ「トラバント」を作っていました。小っちゃくっておんぼろで、部品が段ボールで作られていたものもありました。

同じ国民が作ったとは到底思えませんでした。


その昔、1956年のハンガリー動乱の時は、ソ連軍が戦車で無差別攻撃、1968年チェコのプラハの春の介入では、ワルシャワ条約機構軍20万で押さえつけたソ連軍、ソ連から離れようとすると弾圧されていました。ハンガリー動乱では、20万人が亡命しました。

ゴルバチョフは、ソ連の立て直しをしようと思っていました。しかし、昔のように、東ヨーロッパまでは手が回りませんでした。

そこで、「それぞれの国の意思で、民主主義になるのは構わない」と、発表。

アメリカではこれを、「シナトラ・ドクトリー」(マイウェイだから)と呼びます。

自分たちで独立しても、ソ連軍の介入はないかも?

まず、1989年8月、もともと民主化が進んでいたハンガリーが自由化を進めます。
オーストリアとの間に鉄条網があるのはおかしい!!恥ずかしい!!なくすべきだと、撤去しました。やっと、自由への扉が開かれました。これが、ベルリンの壁崩壊へとつながるのです。

当時、東ヨーロッパは、ソ連圏なので出国ビザがあれば東ヨーロッパ内はどこでも行けました。ハンガリーに行けば、オーストリアに行ける!!と、東ドイツ→チェコ→ハンガリー→オーストリアにある西ドイツ大使館に駆け込みました。

東ドイツの人たちが、西ドイツに逃げていくようになります。
東ドイツは、焦ってチェコに行くことを禁止、出国ビザを出さなくなりました。共産党に対し、東ドイツ各地で反政府デモが続出、国内が、騒乱状態になってしまいました。

東ドイツは、国として、出国を認めざるを得なくなりました。
テレビ放送でこれを告げましたが、市民は誰も動きません。だって、本当のことを言わないから。それを傍受した西ドイツ側が、西ベルリンで放送。それをこそっと聞いていた東ベルリン市民が、壁に殺到、壁を壊し始めたのです。

1989年11月9日深夜、自由を求める市民によって、ベルリンの壁は壊されました。

ここに至るまでは、東西冷戦が続いていました。
「鉄のカーテン」を引いたソ連とどう付き合うのか・・・。
1946年モスクワ代理大使ジョージ・ケナンが分析しています。
「ソ連とは同盟国になりえないが、妥協をすればするほどつけ入る。こちらが強硬に捨て場、妥協するだろう。長期にわたって封じ込め、圧力をかけていけば、内部崩壊するだろう。」と。
ケナンは、その後この分析が評価され、国務省・政策企画室長となって、世界戦略に携わります。

広大なソ連を、アメリカの同盟国によって、封じ込めなければ・・・。封じ込め政策です。
東西冷戦の始まりを受けて、トルーマンが、「トルーマンドクトリン」アメリカの国際戦略を発表。世界は、悪の巣窟・共産・社会主義を選ぶのか、正義・自由主義を選ぶのか?2つに分けて戦う!

このことを、ウォルター・リップマンが、「冷たい戦争」と本を書きます。
核を持ってしまった今、今更戦争をすることはできない。
しかし、周辺の国では、戦争が起きました。
朝鮮戦争
ベトナム戦争
イエメン戦争
さまざまな国で、大国はしない代理戦争が行われました。

アメリカの封じ込めに対する対抗策として、
1947年ソ連は、「コミュンホルム(共産党・労働者党・情報局)」を作ります。
これは、我々も組んで対抗しよう!!と、西側にある共産党に対して、支持が出されました。
アメリカはこれを、資本主義の内部から、「赤化」しようとしているのではないか?と、神経をとがらせます。


軍事的な対立では・・・。

1949年 NATO北大西洋条約機構・西ヨーロッパの国々が、ソ連に攻撃されるとやられてしまう!!仲間の国が攻撃されたとき、自国が攻撃されたのと同じように戦おうという、集団的自衛権を持つ、安全保障体制が出来上がります。一緒にソ連に備えよう!!

これに対し1955年 ワルシャワ条約機構でソ連が対抗します。実態はソ連軍でしたが。

世界が激しく対立します。しかし、両方の国が衝突して戦うことはなくなります。このワルシャワ条約機構、ソ連の崩壊と同時になくなります。

他の国は、NATOに入ることになります。

冷戦のために作ったNATO軍。冷戦では1発の弾を撃つことなく・・・。その後、ユーゴスラビアに介入し、軍事攻撃をすることになります。また、リビアに介入し、カダフィに対して攻撃をしました。

これが、東西の冷戦と、ベルリンの壁崩壊の歴史です。
そうだったのか! 現代史 (そうだったのか! シリーズ) [単行本] / 池上 彰 (著); ホーム社 (刊)
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