2011年12月15日

謎の都 飛鳥京発掘〜蘇る水の都〜

BSアーカイブスで、飛鳥京発掘のドキュメンタリーをやっていました。

ゲストは黒鉄ヒロシさんでした。

場所は、奈良の明日香村、1300年前の古代の都です。
先日私も行ってきましたが、のどかな田園風景でした。

昭和30年代、飛鳥板葺宮伝承地(宮殿跡)が発見されました。ここは、古代史の舞台となった場所です。
時代は、6世紀末、聖徳太子の活躍した時代、伝教文化が花開き、政治的には大化の改新があった時代でした。

天皇を中心とした政治体制が確立した、国づくりの出発点です。

長い間、飛鳥京は謎の都とされてきました。
そこには、古代の儀式跡・・・石神遺跡では幅2メートルの水路の跡が発見されました。そんな首都の実態をコンピューターグラフィックで再現してくれました。

奈良盆地の南の端の農村・・・そこには、水路がめぐらされた水の都の姿がありました。

平成11年6月に、池の遺跡が見つかりました。この池の中から、水を噴水のように噴出す石造物も発見されました。宮殿近くで発見された苑池は、当時の中国・朝鮮にあった外国の賓客をもてなす庭であったとされています。

この飛鳥京の発掘は、昭和8年から10年にわたって行われた石舞台古墳の発掘に始まります。
昭和31から32年には、飛鳥寺発掘調査が行われ、昭和34年からは飛鳥京跡の発掘が行われました。
この発掘で、ここには言い伝えどおりの宮殿があったことがわかりました。

平成に入ってからも、どんどん新しい発掘が行われました。工房跡からガラス玉が・・・作りかけの貨幣・富本銭が・・・。それまでは、和同開珎が最古の貨幣とされていましたが、歴史を大きく覆す結果となりました。

大規模な土木工事と、人夫7万人が石垣や石の丘を作りました。これも、日本書紀の記述どおりでした。

古代中国の影響が色濃く残る高松塚古墳、キトラ古墳、それらを通して、倭国としての外交、当時の唐・高句麗・新羅・百済そのほかの東アジアと倭国の貴重な関係がわかります。

この土木工事を行ったのは、大土木工事を好んだとされる斉明天皇で、倭国の威信を海外に知らしめるため、当時の最新の技術をもって行われたと言えます。

この番組では、苑池の発掘が中心になっていました。

中国や朝鮮にもあった苑池。しかし、発掘と同時に日本的思想の中で作られていたことがわかります。
都市の水利用に使われていたのではないか?ということが解ってきます。

この苑池の底から水が湧き出ています。地下水の動きを利用する施設だったのではないかというのです。この地下水脈を利用して、綺麗な水を都市に循環させていたのです。

都全体に張り巡らされた水路。その隅々を潤す水は、都市に住む人々が利用するだけではなく、夏には都市を冷やすクーラーの役割をしていたのです。
そして、都市から流れる水は、苑池を通して排水を行っていたようなのです。

深い苑池の謎は、自然の力をたくみに利用したシステムであり、景色を楽しむためだけではなく、当時の最高の都市計画だったのです。

そうして、その苑池には、豊富な水とともに、薬とされる草花が植えられ植物園のようでもあり、薬に関わる施設があり、処方箋のような木簡も見つかっています。そこで見つかったのは、桃の種、梨の実、棗、栗、などで、当時は薬として重用されていました。

私達の想像をはるかに超えた生活をし、巧みな外交をしていたことがわかります。

今よりも、貪欲に、発展的だったのでしょうか?古代のロマンですね。。。
posted by ちゃーちゃん at 12:16| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。