第14回は、9.11そしてイラクとアフガニスタンでした。
ここら辺の事情は、わかっていても、なかなか解り難いものがありますよね。
2001年以降の世界のお話です。
10年を迎えた9.11アメリカ同時多発テロ事件、ニューヨーク・世界貿易センタービルに、飛行機が突っ込んだ、あの事件です。私は、その時、あーこを産むため里帰りをしていました。ちなみにあーこは生後10日で、あーこのお友達の誕生日でした。
この光景に、世界の人々が衝撃を受けました。3000人以上の人が亡くなり、その中には20人を超える日本人が犠牲となりました。世界を震撼させた事件です。
この事件を画策したのが、国際テロ組織、アルカイダで、そのトップが、ウサマ・ビンラディンです。犯行声明が、アルジャジーラによって放送されました。
当時ビンラディンは、アフガニスタンにいました。が、アフガニスタン政府は、受け渡しを拒否し、かくまっていました。これを知ったアメリカは、テロをかくまう者はテロリストと同じとし戦争に突き進むのです。
2001年10月、タリバン政府に対して・・・アフガニスタン・カブールを攻撃し、多くの市民が犠牲となりました。
記憶に新しい、2011年5月2日、パキスタンでビンラディン本人を発見、アメリカの特殊部隊によって殺害されました。
いま、アメリカ軍は撤退しようとしていますが。。。泥沼化。
2011年8月6日、タリバンによりNATO軍ヘリが撃墜、そのヘリには、ビンラディン殺害を実行した特殊部隊が乗っており、隊員は死亡しました。
つまり、今も戦いは続いています。
では、ビンラディンを生み出したのはどこなのでしょうか?
ウサマ・ビンラディン、サウジアラビア出身です。
父は、イエメン出身で、サウジアラビアで建設業を営んでいました。王室に気に入られ、このビンラディン建設を巨大な企業に一代で築き上げた人です。
兄弟は45人〜55人いるといわれています。
この、とてつもないお金持ちが、どうしてアメリカに対してテロを行ったのでしょうか?
それは、東西冷戦時代・・・。
1979年12月24日、ソ連がアフガニスタンに侵攻します。これは、210年にも及ぶ駐留となるのですが・・・。
ソ連は、第二次世界大戦でドイツに侵攻されて以来、周辺に同盟国がないと安心できませんでした。アフガニスタンを自国よりの政権にしようとしたのです。
冷戦当時、西側諸国では、1980年のモスクワオリンピック・ボイコット運動が盛んに行われ、日本の選手も、涙を飲んでボイコットをしました。
政治的にも、カーター大統領の国家安全保障担当補佐官のズビグニュー・ブレンジスキーが、「アフガニスタンをソ連にとってのベトナムにしてやる」と言ったとか・・・。
そうして、アメリカは、アフガニスタンのゲリラを支援するようになるのです。それは、ベトナムの時の、泥沼の戦いの復讐でした。
アフガニスタンは、イスラム教の国です。イスラム教には「ジハード」という考え方があります。これは、教えを守るための努力のことで、聖戦ではありません。が、異教徒の侵入を防ぐこと=聖戦となってしまいました。
「ムジャヒディン」=イスラム聖戦士となり、ソ連軍に抵抗します。アメリカの大援助が始まりました。このアフガニスタン、北はソ連、西はイラク、アフガニスタンのゲリラに援助しようとしても敵だらけ。アメリカは、パキスタン経由で援助をしました。
物資を届けていたのは、パキスタン軍「統合情報部(ISI)]が、陸路で運んでいました。
武器が全くなかったムジャヒディンたちでしたが、簡単に操作のできる、地対空ミサイルが力を発揮し、ソ連は大打撃を受けます。まさに泥沼化でした。
ソ連のゴルバチョフ大統領が、戦争をやめるために。。。
1989年2月アフガニスタンからソ連軍を撤退させます。理由は、ソ連の役割は終わったでした。
と同時に、アメリカもアフガニスタンに興味がなくなり、撤退します。
この戦争での負の遺産としては、戦争の恐怖、誰が敵で誰が見方かわからない泥沼の世界から逃れるため、ソ連兵は麻薬中毒に・・・。ソ連に帰った後も麻薬を。国内に麻薬が広がりました。これは、まさに、アメリカのベトナムと同じでした。
ランボーも、怒りのアフガンではカッコいいヒーローですが、1では、ベトナム帰りの精神的にもきつそうな男ですよね。
結局、アメリカが見捨て、ソ連も見捨て、アフガニスタン国内が崩壊してしまいました。ムジャヒディン同士での内ゲバが横行します。
今までは、対ソ連で仲良くしていましたが・・・パシュトゥン人、タジク人、ウズベク人、ハザラ人、言語も全く違う人たちが大混乱に陥ります。
このムジャヒディンに対して、サウジアラビアから多くのボランティアが送り込まれました。その中の一人が、ウサマ・ビンラディンなのです。
もともとアルカイダというのは、そんな「若者の名簿を作る基地」のことで、ゲリラを助けようとしてアフガニスタンに行った若者の名簿を作る基地アル(The)カイダ(Basa)のことです。
ソ連の撤退と共に、サウジアラビアに帰ったビンラディン。内乱状態の中、新勢力が現れます。
1994年、精鋭部隊タリバンが現れます。
このタリバンとは、神学生のことです。
アフガニスタンのパキスタン側の難民キャンプにデオ・バンド派が作った学校で、軍事教育の施された学生達です。
タリバンは、偶像崇拝を禁止し、テレビ・映画・音楽も禁止、女性は保護すべきものとして就職も禁止し、厳しいイスラム教の元で生活をしているのです。
男子学生は、「コーラン」のみを学ぶのです。
どうして精鋭部隊が現れたのでしょう。それは、パキスタンが自国よりの国を作るため最新の武器をタリバンに与えたからでした。
そうして、タリバン政権の下に、ビンラディンが帰ってきます。
そのきっかけは・・・。
1990年8月湾岸危機・イラクのクウェート侵攻でした。冷戦が終わり、クウェートは石油のたくさん出るお金持ちの国となりました。このクウェートとイラク、もともとは同じ国でした。
イラクのフセイン大統領は、「クウェートはイラクの石油を盗んでいる」として、侵攻したのです。
これは、冷戦時代にはなかったことでした。というのも、戦争がひとたび起これば・・・地球が壊滅・・・。というので、「戦争はしない」というのが、暗黙の了解だったのです。
イラクは社会主義国なので、ソ連が止めたはずでした。
1991年1月湾岸戦争勃発。多国籍軍がイラクを攻撃し、イラクはクウェートから撤退します。
が、このときサウジアラビアが、イラクが攻めてくるかも!?と、アメリカに助けを求めていたのです。
サウジアラビアに多くのアメリカ兵が来て・・・。「砂漠の盾作戦」が、行われました。この、サウジアラビアには大切な聖地メッカとメディナがあったのです。
怒ったのはビンラディンでした。もともと反米ではなかったにも関わらず、反米となり、サウジアラビアの国王を非難、追放されアフガニスタンへと逃れます。
タリバンは、客人は篤くもてなします。命を賭けても客人を守るのです。
9.11後も引渡しを拒否します。アメリカ軍の攻撃により、タリバン軍は崩壊、タリバン政権は崩壊したのでアメリカ軍はイラクへ・・・。そうすると、タリバンが勢力を持ち直すのです。
9.11のきっかけのひとつに、ソ連の崩壊があるのは間違いありません。
ビンラディンを育てたのはソ連でありアメリカでした。
9.11には現代史が凝縮されています。同時多発テロは新世紀の始まりでした。。。
ようやく現代史、終わることができました。
本当に、人間とは愚かなもので、戦争しかしていないような気がします。
でも、その中でも、ボーっとしているかもしれないけれど、日本人は生真面目で、人の良さが出ているかなあと、思います。
外国は本当に生き馬の目を抜くような、自分勝手な行動ばかりが目立つのは私だけでしょうか?
和をもって尊しとなす・・・
TPPでも、もう、入らずにはいられないような状況に入ってきています。
日本は、明治維新然り、第二次世界大戦然り、外圧がかかると、本領の発揮できる国だと思うので、頑張って欲しいです。。。
いろいろ勉強になりました。
↓ランキングに参加しています。

↓応援してくれると嬉しいです。


にほんブログ村