先ずは卑弥呼の墓、といわれる箸墓古墳へ・・・。
周りには大きな標識もなく、「これがそうかなあ・・・」と、思いながら周りを車で一周すると、カメラを持ったおじさんが何人かいて・・・。宮内庁の看板が出てきました。
近くにある園芸店の駐車場が入り口?になっていて、そこから入ると、その園芸店の人が?親切にも立て札を立ててくれていました。

あーこは、今クラスで、卑弥呼の本を読んでいるお友達がたくさんいるので興味深深でしたが・・・。
そうして中へ・・・。

当たり前ですが、ただのこんもりした丘に、感激も半減していました。
パパは、一人で飛鳥に浸っていましたが、勉強していなかったら、やっぱりただの丘だものね・・・。ε=( ̄。 ̄;A フゥ…
その後、石舞台へ。
石舞台古墳は、築造は7世紀のはじめ頃、被葬者は不明ですが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかといわれています。
これは、見ごたえがありました。

外から見ると、本当に大きな石です。
古代の人は、どうしてこんな事が出来たのでしょうか?やはり、信仰のなせる業なのでしょうか?

入り口です。大きな石に、圧倒されます。

中からです。光が差し込んでいます。今までどうして崩れなかったのか・・・。本当に、古代の神秘です。
石舞台では、説明をしてくれる石舞台の人か?ボランティア?のおじさんに、色々お話を伺いました。
和歌山の紀の川筋から、吉野川に入ってきた文化なのだそうです。
私達は、その和歌山から来たのですが、和歌山で止まっていたら、文化の中心は和歌山だったのかも知れません。
と、楽しいお話をしてくれました。おじさんありがとう。
で、

ここが、聖徳太子生誕の地です。いまや、いるかどうかも怪しい・・・といわれている聖徳太子のお墓です。パパによると、息子の山背大兄王はいたんじゃないかな・・・とのこと。
そして、カメを飼っている私達にははずせない、亀型石造物をてくてく歩いて見物に。。。

大きなカメが、道端で眠っていました。
そこから少し走って、いよいよ高松塚古墳へ・・・。
私達が、教科書で習った、あの、高松塚です。

駐車場から、遊歩道を歩いていくと・・・こんもりとした山でした。
この中に、あの絵があったんだなあ・・・。と、感慨もひとしお。o(*^▽^*)o~♪
高松塚に描かれていた、鳳凰、白虎、青龍、玄武は、日本ではここと、キトラ古墳にしかないそうです。
インドアな私。足が痛くなるほど歩きましたが、古代の世界を満喫してきました。楽しかったです。
蘇我氏も、聖徳太子も、いろんな人が歩いた道を、車でたった一日で周った私達は、当時の人にとっては、異邦人なのでしょうね。
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