2011年10月27日

中国大躍進政策と文化大革命

中国大躍進政策と文化大革命。
「池上彰の現代史講義」〜歴史を見ればニュースがわかる〜です。

今回は、文化大革命です。

では、中国とはどんな国?
今年、2011年7月23日、衝撃的だったのが、高速鉄道事故でした。35人の死者(後に40人と訂正)を出し、その後の処理をめぐって大きな批判を世界中から浴びることとなりました。その処理とは、大きな穴を掘り列車を埋め、2日後に運転再開しました。

今まで、炭鉱の事故など色々な事故がありましたが、死者35人というのが多いそうです。世界では、偶然の一致にしては多すぎるので、正確な死者の数を発表していないのでは?と言っています。

おまけに事故処理している最中に乳児が見つかりました。どうしてそんなことが起こるのでしょうか?
それは、行政をチェックする機関、報道をし刑事事件などにしたり、検証していくシステムが整っていないからなのです。

だんだんと記事の扱いも小さくなり・・・事故調査委員会の発表は報道されるのでしょうか?国政や行政に対する国民の監視の目、批判が存在しないということが、忘れ去られていく原因なのです。

1949年、10月1日中華人民共和国成立を宣言。宣言したのは人民解放軍の毛沢東でした。憲法は出来たものの、中華人民共和国は共産党の指導の下にありました。つまり、憲法の上に共産党があるのです。

ちなみに、日本は憲法の下に三権分立(司法・立法・行政)です。

中国共産党の下に憲法があり、その下に行政機関があるのです。
党の組織としては、全国代表大会が5年に1回開かれ、そこから選ばれた中央委員会が1年に1回、その中から選ばれたのが政治局・常務委員9人です。この9人の中から総書記が選ばれます。今は胡錦濤さんです。が、基本はこの9人は平等で、胡錦濤さんの意見が全て通るわけではなく、9人が決めます。13億人を動かしているのです。

来年、9人のかなりの人が新しくなる予定です。

1950年、国を宣言した翌年、革命を・・・と、労働者が資本家を公開処刑します。それぞれの土地で、共産党に逆らうと殺されるのです。その数70万人。
殺されなかった人も、強制収容所に入れられ、労改(思想を改造する)させられます。このシステムは慣習として今も残っています。

法律の形ではないので、共産党ににらまれると、裁判にかけられることなく強制収容所行きなのです。例えば、民主化運動をした2010年にノーベル賞を受賞した劉暁波は、国家政権転覆扇動罪で今も服役中です。
この劉暁波は、法制度に基づいて判決が下りましたが、強制収容所で労改するのは、表向きには存在していないので、無いものはなくせず、今に至っているのです。

毛沢東は色々な仕組みを作ります。
農業生産の拡大を図るため・・・
@戸籍制度を設けます。
農村と、都市、二つの戸籍を設け、都市の人間は都市の戸籍を変えることは出来ません。が、最近ではゆるくなってきています。

農村出身者が、一生懸命勉強をして大学に進み、優秀な成績を修め都市の企業で就職したら都市の戸籍がもらえるようになりました。だから、みんな死に物狂いで勉強するのです。

A檔案・・・身上調書が作られます。これは、自分は見ることが出来ません。が、自分の祖先、階級、自分の経歴、どういう思想なのか、全て書かれていて、国民がコントロールされています。

そんな中、
1957年毛沢東は「百花斉放・百家争鳴」という政策を打ち出します。
これは、色々な人が自由に意見を出して、国家を良くしていこうという政策です。

国民は、公開処刑で70万人も殺されたのに・・・。と、黙っていましたが、「批判してもいい」と、圧力をかけます。そんな時に言えるのは知識人です。知識人たちが恐る恐る言い出しましたが、それがエスカレート。共産党そのものの批判まで飛び出します。

その4ヵ月後、この批判は行き過ぎているとし、「反右派闘争」11万人が投獄、55万人が都市から地方へ追いやられたと言われています。この件に対しては、歴史的評価が分かれています。
エスカレートしたから大混乱したのか、
批判的な人をあぶりだそうとしたのか・・・。どちらかはわかりません。

その後も、「右派(資本主義)は、5%程度だろう」と、毛沢東が言うと、反政府勢力を5%追い出さなくてはならない!!と、役人にはノルマになってしまいました。全国で5%の人間を摘発し、追放するということが起きました。うっかり批判すると、右派と言われかねません・・・。

1958年、大躍進政策をとります。これは、一刻も早く社会主義化しようというものでした。

農業では、ソ連の農業の集団化を模しました。
「人民公社」を作り、ここで集団で農業をする。全員で一緒に共同生活をするのです。農民達は、今まで自分たちのだった「牛・ブタ・鶏・土地・農機具」が人民公社のものになってしまう!!と、牛・ブタ・鶏を食べてしまいました。これで家畜は姿を消しました。

集団生活なので、一緒に寝泊りし、共同食堂で食べます。いくら食べてもいいのですから、食べたほうが勝ち!食べ過ぎて、食料の消費量が莫大な量になります。給料は同じにもらえるので働かなくなり、農業生産が激減します。

米を食べるすずめの退治を全国で一斉にしましたが、このことですずめが激減し、害虫が大量発生、農業の深刻化に拍車がかかります。

おまけに、農地深耕といって、土地を数mにわたって掘り起こし、その斉で表土が失われ、農地は栄養を失い枯れていきます。また、稲の密植を行い、水はけも、風通しも悪くなり、次々に農業生産高は激減します。

そこで、農家の応援団も展開します。ちなみにこれは、北朝鮮では今も行われています。

工業では、イギリスに追いつけ追い越せ!!をスローガンにします。当時はイギリスが鉄鋼業の第一位でした。
1957年鉄鋼生産高  535万トン  倍以上にしよう!
  58年      1070万トン  倍以上にしよう!
  59年      2140万トンにしよう!

イギリスでは巨大な鉄工所がありましたが、中国には無く、みんなが手作りしたらいい!!と、全国60万ヶ所に鉄を作る施設を作り、農民が、農村地帯で、土法高炉で、製鉄を始めました。農業はおろそかになってしまいます。

みんなが毛沢東のいうノルマの達成に必死になります。高炉は1日中火を入れています。農業は出来ません。しかも、近代的な工場だからこそ質のいい鉄が出来るのですが、農民の作る鉄は、品質が悪くてものにはなりません。

が、「いい鉄が出来た」と報告します。毛沢東の絶大な権力の下、全国一斉にゴマをすり、お伺いをたてるのです。毛沢東が鉄道に乗る、となると、農業ほったらかしなのがばれないように、鉄道の脇に稲を植え替えたりしました。そうして、虚偽の報告が上がってくるようになり・・・。毛沢東は裸の王様になってしまいました。

鉄はまだまだ作らなければなりません。鉄鉱石は手に入りません・・・。とりあえずの鉄、農機具を高炉に入れて溶かしてしまいます。ノルマは達成しますが、農村地帯から農機具がなくなってしまいます。火を焚いているので山の木もなくなりはげ山になってしまいます。そうして、保水力がなくなり、洪水が多発、農村地帯は壊滅してしまいました。

全国で飢饉が蔓延し、飢え死に、餓死者の数はわかりません。が、1979年毛沢東の死後、大躍進政策の結果を共産党が調べたデータによると、4300万人から4600万人が餓死したことになっています。

しかし、毛沢東は当時、大成功と発表しました。これを真に受けたカンボジアのポル・ポト、アフリカではアンゴラ、モザンビーク、エチオピア、ソマリアが同じことをしました。

ソマリアでは今、無政府状態になっていますが、元をただせばこの大躍進政策を真似し、干ばつ状態、慢性的な飢餓が続き、内戦状態です。1月〜7月のあいだに、乳幼児29000人が餓死したと言われています。毛沢東が原因だったのです。

余談ですが、このソマリアのスエズ運河では、海賊が横行し、その海賊から輸送船を守るため、各国の軍隊が派遣されており、そんな状態が長く続いた結果、海上自衛隊がジブジに拠点となる基地を作りました。Σ(T□T)

この頃から、毛沢東に対する個人崇拝が始まります。1956年ソ連ではスターリン批判が始まって、「個人崇拝がいけなかった」と結論付けます。
このソ連にカチンときた毛沢東は、1960年〜ソ連を批判するようになります。「ソ連は、社会主義という仮面を被った帝国主義だ!!」

ソ連との戦争を覚悟するようになります。地下に巨大な地下都市(核シェルター)を建設します。天安門広場の下もそうです。
中ソ対立が激しくなります。

おまけに大躍進政策は失敗でしたが、毛沢東の批判は出来ません・・・。そんな中、幹部の一人が毛沢東に進言します。そうして毛沢東は、国家元首を退くのでした。

1959年国家主席は劉少奇、共産党主席は毛沢東となったのです。

毛沢東は表舞台から姿を消すも、権力を取り戻そうと画策していました。そうして毛沢東の復讐劇、1964年文化大革命が起こるのです。


ああ、最期まで書けませんでした・・・。ΣΣ( ̄◇ ̄;)!
題に文化大革命が入っているのに!!もう、晩御飯を作らなければ・・・。


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posted by ちゃーちゃん at 15:34| Comment(0) | 池上彰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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