2011年10月25日

こんな男に守られたい〜関羽〜

こんな男に守られたい〜関羽・神になった絆の英雄〜
BS歴史館です。

今回は、”三国志”時代を超えた男の魅力Aです。

三国志、古代中国、壮大なスケールで戦う男達・・・。その中でも、関羽の人気は高いです。武器は巨大な青龍偃月刀、大豪傑で1万人を相手に出来る、中国の英雄です。

中国でも日本でも、人気の高い万能の神。世界168カ国で祭られています。三国志の武将が、何故万能の神に?

全ては、三国志の「桃園の誓い」に隠されていました。

三国志は、古代中国に実際にあった出来事を、脚色したもので、当時は群雄割拠の中、魏・呉・蜀の三つ巴の戦いをしていました。

関羽は、蜀の国、劉備玄徳の下で戦った男です。
劉備は、わらじ売りの男でした。同じような境遇の者を集めて天下を狙います。

そして集まったなかには、義兄弟の契りを交わす・・・。矛を使わせたら天下無敵の豪傑、張飛。は、馬商人の用心棒。そうして、関羽。旅商人の護衛。がいました。

三人は、国家の外にいる、役人でも、軍人でも、農民でもない、何物にも縛られない人たちでした。流民で、家庭を持っていない・・・。そんな三人が義兄弟の誓いを立てたのです。

三国志演義には、この三人の出会いが書かれています。
それが、「桃園の誓い」です。
漢王朝を立て直すことで意気投合した三人は、誓いを立てます。
それは・・・。「義」の誓いでした。人や世の正しい道理に従う、義によって絆を結び、義兄弟となりました。

三国志演義の中では、関羽は、武力、学問に優れ、忍耐強く、力強い。
どんな時も劉備に付き従い、身を呈して尽くす・・・忠義の男
たとえ敵でも、筋道が通っていれば信用する・・・信の男
強大な敵の武将を、ただ一人で迎え討つ・・・勇の男
基本は忠義の男ですが、何にも屈しない男で、身長は2m以上といわれ、強く正しく、勇ましく、人を信じる、頼りにしたいNO,1に書かれています。

正史「三国志」では・・・
関羽の行いは義である。。。953文字しかありません。この中では、武将の扱いが低いのです。

では、何故そこまで崇められるようになったのでしょうか?

中国の神様とは?中国は、基本的に道教を信仰しています。「福(子宝)・禄(財産)・寿(長寿)」を求めます。ちなみに関羽は、福・財神になっています。もともとは軍神であったのが、商業の神様にもなってしまったのです。
では何故関羽は、万能の神となったのでしょうか?
関羽の生まれ故郷、山西省運城市。ここは、鉄・石炭の採掘で有名な場所です。ここに、最近80mもある巨大な関羽像が出来ました。

その中で、常平村が故郷で、人口1500人の農業の村です。
この村にある関帝祖廟には、関羽や祖先を祭る場所があり、関羽直系の子孫(70代目)たちが、今も守っています。
関帝祖廟は、関一族の祖先を祭るもの・・・関羽信仰ではありません。

神となったのは、7〜10世紀唐の時代、場所は湖北省荊州市。玉泉寺にて伽藍神として祀られたのが第一号です。
関羽の最期の時、219年12月この荊州市で息子共々敵に包囲され、天下の豪将ついに万策がつき・・・。首を刎ねられます。そして、時を経て、関羽が幽霊となり、首を返せと幽霊になって出てきたからだそうで、それを鎮めるために作られたといいます。なんか、日本の怨霊信仰みたいですね。

その後は10世紀宗の時代。北方民族の進入に対して戦うべく、かつての英雄23人を軍神として国が祀りました。そこには、劉備・諸葛亮・関羽・張飛も入っていました。
中国人の信仰、道教は多神教なので、次々と色々な神を作ることが出来たのです。

では何故、関羽信仰が広がったのでしょうか?
山西省にある池神廟には、褐色の結晶があります。これは、塩で、味がよく香りもいいのです。ここには塩湖があり、中国の塩の7割を作っていました。

三西商人は宗の国から塩の独占販売権を入手、各地に輸送して膨大な富を得ていました。そうして、商売には信用が大切だと思っていたので、「信」や「義」を関羽を使って広めました。それが関帝廟なのです。生まれや考え方が違っても、義を重んじれば成功する・・・。公演などもして広めました。

行く先々で関帝廟を作ったのです。この関帝廟は、中国の人的ネットワークの原点といえます。
その関帝廟の役割は、廟を共有財産にし、それを土地を離れて生きる人々の資金援助・共同墓地の管理・奨学金に当てたのです。
この考えは、華僑に通じるものがあります。

14世紀明の時代。関羽の人気が決定的に!!山西省の羅貫中が書いた「三国志演義」でした。関羽は、120章のうち90章に登場、義・忠・信・勇を大切にするヒーローとなりました。
が、当時は小説家は小説のみで食べていけるはずも無く、パトロンが必要でした。そのパトロンこそ山西商人だったのです。山西商人がお金を出し、経済とメディアをミックスした戦略でした。

というのも、三国志演義では有名な関羽、正史の中で大きく取り上げられていないことは、中国人はあまり知らないのです。

しかし、当時の皇帝が求めていたものと重なり、関羽の人気は高まります。

では、何故世界へ広がったのでしょうか?
山西商人は、金融ビジネスにも手を出します。世界遺産「平遥古城」には、銀行が立ち並び、資金を運用、為替業務まで行っていました。
国家財政の半分の富を作っていました。清政府の財務部といわれるほどでした。関羽は商売繁盛の神となりました。

しかし、絶頂は突如終わりを告げます。
1840年〜42年のアヘン戦争・・・。欧米の商人が入ってきました。独占していた塩・・・。海外から安い塩が入ってきます。大きな価格破壊でした。おまけに清国の賠償金の肩代わり、貸付金の不渡り・・・。

1912年清朝滅亡と共に衰退。しかし、「義」と「信」は貫き、自分が破産しかけているのに払い戻しをしたといいます。

この後、華僑が外国に進出しました。その時関羽も海外へ・・・。

この関帝廟、横浜中華街にもあります。1986年3代目関帝廟が焼失。当時(今でも?)中国と台湾の確執が中華街にもありました。が、4代目を作るに当たって中国系・台湾系の人たちが、再建に協力したそうです。
関羽は、ビジネスを行うところには必ず祀られています。
1990年4代目関帝廟落成
以来、中華街の人々の絆は深まったといいます。生まれや立場の違う人たちが助け合う誓いを立てたのです。

つまり、華僑達の”人的ネットワーク”の中心に関羽信仰があったのです。

今の中国は、曹操のように急速に近代化をし、関羽の様に海外へ向けて人的繋がりを求めていく・・・そんな社会になってきているのでしょうか?


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ラベル:関羽 三国志
posted by ちゃーちゃん at 15:30| Comment(0) | BS歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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