2011年10月21日

池上彰の現代史講義 池上彰の現代史講義 

池上彰の現代史講義
〜歴史を知ればニュースがわかる〜

「キューバ危機と核開発競争」です。

なかなか前へ進みませんが・・・。

これは、キューバ危機と今に繋がる核開発競争についてでした。

これは、世界が核戦争の脅威に晒され、核戦争の寸前まで言った事件です。

現在、アメリカとキューバは仲が良くありません。なのに、アメリカ軍・キューバにグァンタナモ基地があります。不思議なことですが・・・。

このグァンタナモ基地、最近大きなニュースとなりました。アフガニスタンのタリバンや、アルカイダ、テロの容疑者、多くの捕虜をここで尋問していたのです。

何故ここか?アメリカ国内では、被告の人権が守られないといけないので、国内法が適用され、弁護士がつかなければなりません。が、これは、アメリカには都合が悪かったのです。

2001.9.11以降、アルカイダやテロの容疑者を次々に捕まえ、ここで尋問しました。拷問などは出来ないという建前でしたが、アメリカ人ではなく、エジプトなどに引き渡していたのです。

オサマ・ビンラディンのアジトも、ここで捕虜が自白し、証言に基づいて探し出したのです。想像の域を出ませんが、体に痕の残らない、24時間水攻め、24時間明るい、24時間大音響のロック、と、精神を拷問したのかも知れません。

オバマ大統領は立候補した時、このグァンタナモ基地を閉鎖しようとしましたが、国内では「このテロリスト達はどこに行けばいいのか・・・」釈放には出来ない。。。結論の出ないまま、捕虜は今でも拘留されています。

1962年10月、キューバ危機が起こります。
アメリカはキューバを領空侵犯し、高高度を偵察機が飛んでいました。そこで撮った写真には、ミサイル基地の建設が行われていました。

調べると、それはソ連の核ミサイルでした。ソ連がキューバに核ミサイルを持ち込んで、アメリカを狙って、基地を作っていたのです。

当時はフルシチョフが大統領でした。60発のミサイルを持ち込もうとしていたのです。では、それは何故でしょう?

当時はソ連もアメリカも、核ミサイルを遠くまで飛ばすことは出来ませんでした。キューバに配置すると、アメリカの西半分は破壊できます。

アメリカはトルコにソ連を狙った核ミサイル基地を作っていました。お互い様のことでしたが、アメリカは凄く危機感を持っていたのです。

まだ基地は出来ておらず、ソ連が輸送船で物資を運んでいる最中でした。
ケネディはこれをアメリカ軍による海上封鎖をします。実力で物資の搬入を阻止しようとしたのです。

1962年10月22日ケネディが発表します。「ソ連軍の動向を監視していたところ、この数日間、核ミサイルの発射準備を進めていることがわかった。」と。輸送船がアメリカ軍を突破して進んだら、アメリカがこれを撃沈するだろう。

そうなるとソ連から核ミサイルが富んでくる!!全面戦争に発展するかもしれない!!東ドイツ軍やソ連軍が西ベルリンにあるアメリカ軍基地に進入するかもしれない!!

核戦争が始まるかもしれない!!と、臨戦態勢に入るのです。

アメリカでは作戦が練られます。キューバの基地を上空から爆破?それとも、上陸して占領?。キューバでも総動員令が出され、市民25万人が民兵として参加しました。みんなが戦争の準備を始めたのです。

10月27日には、アメリカの偵察機がキューバ上空でソ連のミサイルに撃墜されます。緊張はますます高まります。

いよいよ核戦争?

アメリカでは核シェルターが飛ぶように売れます。いつ核戦争が始まるかわからない。日本も、米軍基地があるので、標的になる可能性もありました。
地球が滅亡するかも・・・。

ちなみに、ソ連崩壊後、ロシアはエリツィン大統領の時、橋本総理に「日本をロシアの標的からはずす」ことを約束します。それまでは、ミサイルがこちらを向いていたということでした。

ケネディの強行策が功を奏してソ連の貨物船がUターン、引き上げます。映画「13デイズ」には苦悩の有様が描かれています。

実はこれには裏取引があり、もし帰ってくれるなら「トルコのミサイルは撤去する」という密約がなされていました。

では、キューバはどうしてアメリカと関係が悪かったのでしょうか?
19世紀のこと、キューバはもともとスペインの植民地でした。独立運動が盛んになり、アメリカはこれを支援、米西戦争の始まりでした。これにアメリカが勝ち、フィリピンとグアム島がアメリカの植民地となります。

キューバは独立しました。
その時に出来たのが、グァンタナモ基地です。

出来たのはバチスタ政権、独裁政権でした。
アメリカの企業がたくさん入り、石油会社も入り、アメリカとキューバは密接な関係になりました。

このバチスタ政権を倒そうと立ち上がったのが”フィデル・カストロ”なのです。

1953年7月、新しい国を作ろうと、1000人いるモンガタ兵営を、百数十人で襲撃、人数的にも上手くいくわけがありません。これに失敗し、多くの仲間が殺されます。カストロは捕まり、刑務所へ・・・。ドンキホーテのようでした。

カストロは後に恩赦によってメキシコに逃れます。
亡命先のメキシコで、仲間を募り、再びキューバへ・・・。
195612月、8人乗りのヨットに82人が乗って、再びキューバにあるラス・コロラーダスを目指します。

馬鹿なことに、メキシコで、宣言してから出発したので、待ち構えていたバチスタ政権に攻撃され70人が死亡します。この発表は、発表すれば国内にいる反対勢力が立ち上がってくれるのではないか?と、期待していたからでした。

キューバ革命は、逃げ込んだ山の中から、たった12人で始まります。戦ったバチスタ政権の捕虜は、殺さずに武装解除するのみ、釈放しました。カストロのカリスマ性に、ミイラ取りがミイラになり、また、国民も立ち上がり・・・。見る見るうちにカストロの信者ができていきました。

1959年1月1日、バチスタが国外に亡命。32歳という若さで革命を成功させます。カストロは首都ハバマへ・・・。

カストロの人気は今でも高いですが、「団結した人民に対しては、いかなる人間も勝つことは出来ない」と演説し、首相に就任します。

そしてカストロは、アメリカが経営していた石油会社を国有化します。これに怒ったアメリカは、砂糖の輸入を禁止。そうするとサトウキビ工場も国有化しました。

それに怒ったアメリカは、経済制裁を始めます。これが、関係が悪化していくはじめでした。

キューバの産業は砂糖です。砂糖のみが輸出資源でした。
そんな中、ソ連が手を差し伸べてくれます。砂糖を高い値段で買ってくれることになったのです。カストロは共産主義ではなかったが、ここからソ連よりになっていくのです。国が社会主義化し始めると、困るのはアメリカでした。

そしてCIAが登場します。キューバから亡命した人1500人を軍事訓練し、キューバ人自らキューバを解放するためピックス湾から上陸させますが、キューバ軍が待ち伏せしていて壊滅させられます。これがピッグス湾事件です。

作戦はあえなく失敗。このことはケネディは知らなかったとされています。
NYタイムズはこれを1週間前にキャッチしていました。しかし、これを記事にすることは、国益を損なうことになる、と新聞に書くのを見合わせていました。

ケネディは言ったと言います。「NYタイムズが書いていてくれれば・・・。」と。
この時から、NYタイムズはアメリカ政府に都合が悪くても報道するようになりました。目先の利益ではなく、長期的な国民の利益に繋がるように。

キューバでは、カストロの地盤が固まり始めます。
CIAは、カストロを恨んでいて、今後、カストロ暗殺計画が何度も繰り返されることになるのです。葉巻に毒を・・・。とか、ラジオの生放送中に神経ガスで錯乱させるとか。

これは、カーター政権で明らかになります。カーターはCIAに、海外で暗殺してはいけないと命令を出します。この後、クリントンになって、オサマ・ビンラディンを見つけ、暗殺してもいいのか?大統領に伺いをたてているうちに姿を見失い・・・。9.11に繋がってしまいます。

ブッシュ政権が大統領が命令すれば暗殺してもいい、と新しい命令を出しました。
ちなみに、ロシアでも、大統領命令があれば暗殺できます。
イスラエルにも、モサドという暗殺グループがあり、暗殺計画は首相命令で実行されます。

キューバの社会主義は、楽園と言われています。捕まっても処刑はしません。逃げてもいいのです。社会主義に中ではかわっています。
1960年代、世界の若者、日本の若者が憧れます。

1970年に起こった、日本航空よど号ハイジャック事件で、赤軍派は平壌に亡命しましたが、本当はキューバに行きたかったのでした。

現在のキューバでは、医療制度が徹底的に完備されており、医者や看護婦はたくさんいます。経済的には発途上なのに、乳児死亡率はかなり低く、アメリカのほうがはるかに高いのです。

医療は世界トップレベルで、最近ではベネズエラの大統領が、キューバでがんの治療をしています。

経済状況は良くありませんでしたが、ソ連の全面的なサポートの下、理想の社会主義国家となったのです。が、ソ連は崩壊・・・。

キューバも崩壊の危機に陥ります。アメリカからまだ経済制裁されていました。物資も乏しく、農業も有機農法で涙ぐましい努力をし、食糧不足を解消するため、農業を建て直しを図っています。

カストロは、体の不調から2008年引退、今は弟のラウル・カストロが議長を勤めていますが、ラウルは実務派・・・。指導力は未知数です。

カストロは本当にカリスマ性があり、絶頂期には1月1日の革命記念日には5時間〜7時間も演説し続けたと言われています。

最近のキューバは、資本主義化、自由化が進み、中国やベトナムのようになってきています。

話は核開発へ・・・。
アメリカ、ソ連は核開発競争を始めます。相手の国まで届くようなミサイルを!!と、開発されたのが、ICBM=大陸間弾道ミサイルでした。ユーラシア大陸⇔アメリカ大陸が、ミサイルで結ばれたのです。また、この発射基地をたたくためのミサイル基地が作られ、基地だと狙われるので、トラックの荷台に乗せて撃つミサイルが出来ます。

地下トンネルを作り、発射口からミサイルが撃てるようになったり、爆撃機に積んで24時間常に上空から狙っている時代でした。

1946年ビキニ環礁ではアメリカの核実験が行われました。アメリカとソ連は、冷戦時代に入り、核兵器の威力を競うことになります。

地上からだと見つかるので、原子力潜水艦を開発、この原子力潜水艦は、水も空気も潜水艦の中で電気分解して作ることが出来るので、食料さえあれば、永遠に潜っていられるものでした。
海の中で、追跡し続けます。

今は、中国とアメリカが、東シナ海、日本の近海で、追いかけっこをしています。

しかし、この追いかけっこ、事故もしばしばありました。このことをブロークン・アローと呼びます。世界中でありましたが、日本では1965年、ベトナムから横須賀に向かっていた空母タイコンデロガに搭載されていた戦闘機の水爆が、沖縄の深海に眠っています。

後に民主党政権になって持ち込まれていたことが暴露されましたが、当時日本は非核三原則を謳っていました。

この冷戦以外にも、イギリス、フランス、中国が、実に2000回以上の実権を行っていました。世界中で放射性物質が撒き散らされ、中国の土地も汚染、きっと日本にも降り注いだことでしょう。池上さんも言っていました。私も覚えています。「雨に降られるとはげるよ」と、言われました。どれだけ日本に降り注いだのかは良くは解っていません。

2009年プラハでオバマ大統領が「核兵器の無い世界」を目指すことを表明。
2010年4月、日露核軍縮条約調印。これによって、戦略核兵器配備数を1550発に制限することになりました。最高時は、1万発以上は持っていたといいます。

現在では、インド・パキスタン・北朝鮮・中国・イスラエル・英・仏が持っているとされています。

核を話す時、「核抑止力」という言葉が出てきます。
一旦使ってしまうと勝者はいない、全滅する→戦争にはならないと言うもので、別名、相互確証破壊=MADと言われます。

キューバ危機は過去の歴史ですが、今も核の脅威は変わっていません。

前に、エコプロジェクトという番組で、キューバを紹介していました。本当に、物資が無いから、本当に物を大切にし、使えなくなったものは分解して部品にして使うとか・・・。見習わなければいけないところがたくさんありました。

ああ、怖いです・・・。
北朝鮮や中国のミサイルは、勿論日本に向いているのでしょうね・・・。(TmT)

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posted by ちゃーちゃん at 12:00| Comment(0) | 池上彰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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