〜ビンラディンの宣戦布告〜です。
今更ながら、こんなこともあったような・・・。みたいな感じで、人間の脳は忘れやすく出来ているのね・・・。・゚・(ノД`;)・゚・
1998年8月7日、二人の男がケニア・ナイロビを出発。トラックの荷台には700kgを超える爆薬を積んでいました。
45分後にはアメリカ大使館の裏へ・・・。
大きな爆音と共に、一瞬にしてアメリカの権力の象徴が吹っ飛びました。死者は200人を、負傷者は1000人を超えました。
9.11から遡ること3年、ビンラディン、最初のジハードの始まりでした。
ビンラディンは5月に宣戦布告していました。すでに、世界に対して警告はしていましたが、世界は無視をしていました。無視されたことへの警告、解決のチャンスを逃した物語です。
このテロによって、血塗られた新たなページがめくられたのです。
人口200万の都市、ナイロビが舞台に選ばれたのです。
このケニアの大使館の構造が、車を使ったテロにはもろかったのです。密告がありました。「この大使館は、トラック爆弾の恐怖に晒されている」と。
しかし、CIAは、「でたらめに決まっている!!取り合うことはない」と、跳ね返しました。
ケニア大使も「警備が不十分だ」と政府に要請しましたが、取り合ってくれません。。。直接、当時のオルブライト国務長官に、「テロ攻撃に弱い」事を手紙で知らせるのですが、返事はありませんでした。このことに関しての対策はとられなかったのです。
しかし、ビンラディンは4年も前からこのビルの脆さを確認していました。
1994年から、モンバサでアルカイダの工作員が地元にとけ込んで、生活し、結婚し、自由に活動していました。
CIA、FBIは、アルカイダが地理的に拡大してきていたので、脅威とし、極秘にビンラディンを監視していましたが、その資金も、武器も何もかもわかっていませんでした。
2ヶ月前から爆弾を作り始め、アル・オアリと、ジハード・アリが、作戦に選ばれます。
1998年8月7日、2人はトラックで出発。アル・オアリは、銃と手榴弾を持っていました。
大使館の裏門で、警備に引っかかり・・・。脅すために、手榴弾を爆発させ・・・ジハード・アリが、トラックごと突っ込みました。
大使館と向かいにあった共同組合ビルを破壊、その間にあるビルも吹っ飛んだのです。
10分後、640キロ離れたタンザニア・ダルエスサラームにあるアメリカ大使館が、トラック爆弾に襲われます。12人が死亡、100人以上が怪我をしました。
これはとても巧妙な手口で、今までのテロとは全く違う、大量の負傷者を見込んだものでした。
紛れもなくビンラディンがアメリカに対して仕掛けた戦争でした。
2日後、FBIがナイロビに入ります。
焼け焦げた匂いの中、とてつもない事件に出くわしたということを知らされます・・・。
聞き込みをしていると、怪しい人物がホテルにチェックインしていることがわかります。怪我をしていて、身分証明書もないのに米ドル札をたくさん持っていました。
この男が逮捕され、連行されます。
その頃、ナイロビの病院には、数千人の人々が運び込まれていました。
この男、サリと名乗っていました。筋の通った供述をしていましたが、どこかつじつまが合いませんでした。事故当時と同じ服を着ていると主張していましたが、ドロも血もついておらず、真新しく見えました。
この男は犯人ではないかもしれないけれど、何かを知っている・・・。と、FBIは考えます。
この頃、ホワイトハウスでは、クリントン大統領のスキャンダルで騒いでいました。大統領は、大きなストレスを抱えていたのです。しかし、事は国家の安全保障に関わる問題でした。
正しい判断が取れるのか?問題はそこにありました。
8月20日、アメリカは報復に出ます。アフガニスタンにあるビンラディンのキャンプに、巡航ミサイル42発を砲撃します。ビンラディンは、戦争にはならないと確信していました。が、じじつ、アメリカはそれ以上、何もしませんでした。
サリという男は、10日間も取り調べられていました。ずっと意見を変えないその姿は、訓練を受けた兵士のものでした。
しかし、”ずっと着ていた服”から値札が発見されました。おまけに、ナイロビ郊外の空き家から爆弾を作ったであろう痕跡が発見されます。
ついにサリは、自分がアル・オアリであるということを「私の敵はアメリカでありケニアではない。アメリカで裁判してくれるのであれば、自分達とビンラディンの話をする」と、話し始めます。
2人は志願して作戦に参加し、相棒のジハード・アリは、トラックを爆発させて爆死、アル・オアリは、逃げ出した臆病者と言われ、2001年5月終身刑に服することになります。
今は、大使館は記念公園となり、犠牲者に捧げられています。
これが第一章の幕開けでした。三年間の時を経て、9.11へと繋がっていくのです。
アメリカのアフガニスタンとイラクに対する報復は、若者を過激派へと進めてしまいました。今、アメリカが最も恐れているのはこの集団が大量破壊兵器を持つことです。
マドリード、バリ島、ロンドン、無慈悲で無差別なテロ。。。
これが、ビンラディンの残した刻印なのです。
あー、信じるものは救われるといいますが、信じるものがあるということは、「芯がしっかりしている」というか、「曲げることのない強固な意思」を感じますね。
これが一神教の強くもあり恐ろしいところなのでしょう。
私達、八百万の神を信じている日本人には解りにくい、強烈な信仰心ですね。
自由もあり、貧困もなく、そして、私達はそれだけ幸せなのでしょう。
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ラベル:ジハード