2011年10月04日

秀吉が最も恐れた男〜黒田官兵衛〜

〜秀吉が最も恐れた男〜
THEナンバー2です。

なかなか見るのが進みませんが、今回は豊臣秀吉を天下人に押し上げた軍師「黒田官兵衛」です。

彼は、抜群の頭脳と巧みな交渉戦術、そして奇想天外なアイデアで主君・秀吉に天下を取らせます。

有名な、中国大返しの大博打は、彼がいなかったら有り得ませんでした。そして、このナンバー2が、将来、天下を取った秀吉を脅かす存在になるのです。

そんな黒田官兵衛とは、どんな人物だったのでしょうか?

影の軍師として秀吉に仕えた官兵衛は、1546年、姫路城城主黒田職隆の長男として生まれます。が、当時は城主もいないようなちっぽけな城でした。御着城の出城のようなものでした。

当時の主従関係にある小寺政職に織田・毛利・三好のどちらの見方に突いたほうが良いか、聞かれます。家臣の殆どは毛利を支持しました。

そんな中、官兵衛は、三好は主君を殺した罪があるので問題外。毛利は吉川と小早川が両脇を固めているものの当主輝元は天下取りの器にあらず。信長の勢いはとどまるところを知らず、これからの日本を率いるのは彼しかいない!!。と、ひとり織田信長を推したのでした。

1575年官兵衛は信長に謁見します。
毛利攻めの際には、是非自分を最前線に!!と、願い出るのです。信長としても、中国攻めに向けて、地理に明るい官兵衛は都合が良かったのです。官兵衛を気に入った信長は、名刀「へし切」を与えます。
また、官兵衛は、長男長政を人質に出して、忠誠を誓うのです。

信長の毛利攻め、行く可能性が高かったのは荒木村重でした。1573年から信長に仕え、有岡城を本拠地に摂津の国を支配していましたが、1575年、信長に反旗を翻します。それは、家臣が裏切って、米を持って毛利方に寝返ったという噂が流れるのです。信長の性格を恐れて挙兵するに当たった、といわれています。これには中国方面の司令官を誰にするかで誰かが?画策した・・・。とも言われています。そうして、本来ならば村重が行くはずだった中国攻めに、秀吉が行くことになるのです。

官兵衛は、村重を説得するために有岡城へ向かいます。が、すぐに捕らえられ、城内の牢獄に幽閉されてしまいます。なかなか戻らない官兵衛に信長は激怒し、長男の殺害を命じます。
が、ここで竹中半兵衛が、「そんなことは絶対にない」と、長政をかくまうのです。

有岡城の牢獄で、最低限の食事、蚊や虱にまみれ、1年余り耐え続けました。そうして、落城と共に救出されるのです。が、この苦い経験から、決して主君を裏切らないという信頼こそが大切だと気がつきます。
この件で、もともと口の上手い、手八丁口八丁な男だと思われていた官兵衛は、彼が心底そう思い、命がけで説得する男であると一目置かれるようになるのです。

この官兵衛の忠誠心を疑ったことを悪いと思ったのか、信長は播磨1万石を与えました。官兵衛は小寺から独立し、秀吉直属の武将となったのです。

では、何故村重は官兵衛を殺さなかったのでしょうか?官兵衛は、ドン・シメオンという洗礼名を持っていました。官兵衛も、村重もキリシタンでした。つまり、殺し、殺されることは出来ないのです。

そうしていよいよ、毛利最前線へ配属されます。官兵衛の向かった先にはすでに播州入りをしていた秀吉がいました。これが、運命の出会いとなり、時代は大きく動き出すのです。

1582年3月高松城の水攻めが開始されます。これは官兵衛のアイデアで、川に堤防を作り、水攻めにするというものです。これには莫大なお金がかかりましたが、今こそ高松城落城に向けて投資するべきだ!!とはじめるのです。

この高松城の水攻めの秀吉本陣跡が、今も残っています。ここで、秀吉を中心に据え、官兵衛が左、蜂須賀小六が右に陣を取り、前のほうを堀尾茂助や仙石権兵衛らが山裾にじんを張っていました。

それと同時に、官兵衛は、安国寺恵けいと和睦を進めていました。それは、毛利の領地のうち半分に当たる5カ国(出雲・ほうき・美作・備中・備後)の受け渡しは成立しており、後は清水宗治の説得だけが未定でした。

日に日に水没していく備中高松城。そして、それを阻止できない毛利軍。さらに、この高松城は吉川・小早川の陣を張る山から一望できました。このような失態を目の当たりにした毛利についている備中・備後に不安が広がります。毛利を見捨てて、信長に着いたほうが良いのでは?もうあと一歩でした。

秀吉は信長の参戦を待っていたのです。そうして、この中国攻めに向かう途中の1582年6月2日本能寺の変で信長は明智光秀によってその生涯を終わりにさせられるのです。

絶対的な信長、その信長の背中を追ってきた秀吉・・・。言いようのない喪失感と信長の無念を思い泣き崩れる秀吉・・・。

毛利攻めは、あと一息で終わらせることが出来たのに。。。

信長亡き後、毛利に攻め込まれる可能性は大いにありました。ここを乗り越えるには・・・。

官兵衛は言います。「殿、開運の時が参りましたなあ。今こそ、天下を取るときにございます。」と。

思いもよらなかった?秀吉。この一言が秀吉を変えます。
官兵衛は、すぐに東に向かうため、夜中にもかかわらず安国寺恵けいとの一大交渉に臨みます。官兵衛は、清水の説得を明日にする代わりに5カ国を3カ国で良いと申し入れます。

敵ながら信頼をしていた安国寺恵けいは、この交渉が毛利にとっても有利であるとして交渉が成立しました。敵に見抜かれないように、顔色ひとつ買えずに・・・。

翌日、清水宗治自決を見届けると、秀吉は光秀を討つため東へ反転します。これが、世に言う「中国大返し」この時、官兵衛は、毛利の2人の人質を返しています。明智を倒したならもちろん秀吉の天下なので人質など必要ないし、帰れないなら死ぬまでだから・・・。と。

3万の軍の大移動。姫路城にある金品を与え、10日〜2週間はかかるところを6日間で走破しました。距離、実に200キロ。その後、賤ヶ岳では柴田を打ち破り、天下へと突き進むのです。

この中国大返し、出世できるかもしれない!!という人間の欲が6日間で走破させたのだといいます。つまり、秀吉が光秀を討つ、そうなれば仕官→大名、足軽→仕官になれるかもしれない!!という噂が戦場を駆け巡ったのです。そして、それにかけてみようと思った人たちが、人間の欲がそうさせたのです。

官兵衛の天下取りの進言・・・。しかし、秀吉は、自分と同じ事を考えている人間が隣にいる・・・。ということに不安を感じるようになります。

官兵衛の生涯最大の失敗は、秀吉に天下を取れと進言した瞬間かもしれません。そのせいで、トントン拍子に天下をとりに行く秀吉に対し、1585年、関白に叙任されると同時に、九州中津12万石に飛ばされてしまうのです。中国大返しの最大の功労者であるにもかかわらず・・・。

秀吉に警戒される官兵衛。44歳で家督を長男長政に譲ります。

1597年50歳の官兵衛は隠居し、黒田如水となります。「如水軒円清」(水の如く)のことで、この如水とは号で、号とは学者、文人画家などが、大名のほかに用いる呼び名のことです。天下を取るつもりはない。おとなしくしているという意味が込められており、自由に生きたいと表明しています。

が、天下に対する野心はあり、能力の高い武将であることには間違いないのです。ナンバー2の人生は終わったかに見えた1598年秀吉が死にます。

これは、官兵衛にとって衝撃的で、軍師の血が騒ぎ出します。53歳、人生最大のかけに出ることになります。

浪人や農民を訓練し、はじめは2〜3万だった軍隊も、中津城を出る頃には10万人の大軍になっていました。関ヶ原に向かい進軍しようとしていたそのとき・・・。予想ははずれ、半年はかかると思われた徳川VS石田の関ヶ原。それが、一日で終わってしまったのです。官兵衛は、関ヶ原が長引くと思い、お互いが体力を消耗するのを虎視眈々と狙い、天下を取ろうと画策していたのです。

その原因を作ったのは皮肉にも、息子長政でした。この長政、凄く良くできる人で、竹中半兵衛と、黒田官兵衛という二人の軍師に学んだ人なのです。小早川との交渉に当たったのが長政だったのです。家康は長政が第一の手柄と喜び握手を交わすほどでした。

それを父官兵衛に話すと・・・。「右手で握手をしていたとき、左手は何をしていたのか?何故左手で刺さなかったのか?」といったと言われています。そんなことをすれば長政は斬られてしまいます。息子の命と引き換えにしてまでも天下が欲しかったのかも知れません。別の説によると、この言葉で家康をけん制したとも言われています。

その裏には、自分と秀吉の関係を、息子長政と家康に見たのかも知れません。

1604年3月20日、京都伏見亡くなります。享年58歳

おもひおく
 言の葉なくて
  つひに行く
道はまよはじ
 なるにまかせて

戦国時代は、皆さんぎらぎらしていて、エネルギッシュ。生きているなあ・・・。って感じがしますね。どの人にも色々なドラマがあって、それを少しでも知ることが出来たらうれしいですね。


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posted by ちゃーちゃん at 14:39| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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