〜歴史を知ればニュースがわかる〜です。
この前書いた内容と似ていますが<(; ̄ ・ ̄)=3 フゥ...ま、中東情勢は世界にとって大切なお話です。
第六弾〜中東戦争とその後〜です。
今年の1〜2月にアラブの春がありました。
これにより、エジプトでは、タハリール広場でムバラク長期独裁政権に対する反政府デモが起き、これに100万人もの人が参加しました。結果、ムバラク大統領が辞任し、失脚しました。
このきっかけとなったのは、去年の12月チュニジアでした。野菜を路傍で売っていた少年が無許可であったことを理由に警官に殴られ、野菜や果物を没収されます。この時、少年は賄賂を渡せばよかったのです。が、そうはしませんでした。
暴力を受けたと市当局に訴えますが、聞いてもらえません。そして絶望した少年は、焼身自殺を図るのです。これが、ネットで配信されました。
で、この焼身自殺、イスラム世界では衝撃的な出来事でした。まず、
@自殺は絶対にいけないこと。生殺与奪はアラーが決める事なのです。
Aイスラム世界では、死んだ後は世界が終わるまで眠るのです。そうして、世界が終わったら、蘇り「審判」にかけられます。審判で良いと判断されると天国へ、悪いと判断されると地獄へ落ちるのです。が、まず、体が無くなったら天国への道は絶たれます。つまり、復活は出来ないのです。おまけに、地獄では紅蓮の炎に焼かれるのですが、焼かれるそばから肉体は復活し、永遠に焼かれることになるのです。これは、焼身自殺を連想させます。
つまり、この少年の行いは、イスラム世界ではすごい抗議だったのです。
これを機に、反政府運動が盛り上がり、デモVS治安部隊という形になり、ベン・アリー大統領は国外追放されました。
これが、エジプトに広まったのです。
このデモには、ツイッターやフェイスブックが大活躍したと言われていますが、みんな読み書きが出来るわけではありません。勿論、パソコンを使えるのは一部の裕福な人たちです。
ここで登場するのが、アルジャジーラです。このアルジャジーラはカタールの放送局で、どの機関に対しても中立です。中東の国営放送は政府批判は出来ないのが実情です。しかし、アルジャジーラは相手が誰であれ、ビンラディンであっても、中立に自由に放送しています。
これは、衛星放送ですし、アラブ語なので、みんな見ることが出来、ネットの内容が広がり、活動しやすくなったのです。
秋には大統領選挙を控えていますが、ここで、アラブのややこしい問題が出てきます。ムバラクが大統領だった頃、イスラム原理主義者・過激派は、徹底的に弾圧されていました。しかし、今は、反米・アルカイダなど、自由に活動が出来てしまうのです。
今では、穏健派とはいえイスラム原理主義者のムスリム同胞団が、力を持っています。また、その傾向はアラブ世界に広まっているのです。
そう、自由化、民主化は簡単には出来ません。アルジェリアでも、原理主義者が圧勝し、それに慌てた軍が弾圧、つまり、自由な選挙をした結果それを否定する団体が勝つこともあるのです。
その代表的なのが、ナチス・ドイツです。ワイマール体制により、第一次世界大戦後できた共和制で、世界最先端の民主主義を採用したものの、ナチス・ドイツの独裁を産む温床となったのは周知の事実です。
チュニジア。・エジプトと来て、リビア・・・。
リビアは内乱にまで発展し、NATO軍が軍事介入し、多数の死者が出ました。そうして、カダフィ政権が崩壊したのですが、このカダフィ大佐、一番たちが悪く、大統領でもなく何の役職にも就いていないのです。
”大佐”と呼ばれるのは、エジプトで軍事クーデターを起こしたナセルを尊敬しているので、そのとき大佐だったナセルからとったのです。
リビア軍と反政府勢力の戦いにNATO軍は地上部隊は派遣しませんでした。投入しない理由の一つは、イスラムの国にキリスト教の国が入る・・・。十字軍を彷彿させるからだったようです。
で、本題の中東問題とは・・・。勿論、イスラエルとパレスチナの問題です。
パレスチナには2000年前にユダヤの国がありました。ローマ帝国によって滅ぼされ、世界各国に離散します。ヨーロッパではイエス・キリストを十字架にかけた民族として差別を受けます。仕事も、キリスト教では禁止され、さげすまれている金貸しなどになったのです。
が、金貸しは金持ちですよね。また、蔑まれ差別されることになるのです。
第二次世界大戦では、「アーリア人こそすばらしい!!」ということで、ヒトラーに迫害され、アウシュビッツなど収容所に送られたり・・・。毒殺されたり・・・。ヨーロッパでは600万人が殺害されました。
多くの罪の無いユダヤ人が殺されたのです。
どうして自分達がこんな目に遭うんだ!それは、自分達の国が無いからだ!!自分達の国が欲しい!!と、なって・・・。
戦勝国は同情し応援し、どこにする?→2000年前にあったユダヤの王国の場所がいい!!ということで、パレスチナになるのです。
でも、そこにはアラブ人が住んでいます。。。当時パレスチナを統治していたのはイギリスでしたが、イギリスはやっとこ戦争に勝ったところでした。パレスチナでは、イギリスに対するユダヤ人達のテロが起こり、イギリスは余力も無かったので撤退、国連に丸投げしました。
国連は、パレスチナは誰のもの?分けることにしよう!!で、ユダヤ人は国がもらえるので協力的でしたが、アラブ人は協力的ではありませんでした。
なので、1947年パレスチナ分割では、ユダヤ人に有利に仕上がりました。
ここで、大問題がエルサレムです。このエルサレム、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地です。だから、国際管理にしました。
1948年5月14日、テルアビブを首都として、イスラエル建国。ユダヤ人たちは南の砂漠を欲しがりました。そこにはウランがたくさんありました。これが、核開発へと進んでいくのです。
翌日5月15日アラブが攻め込んで、第一次中東戦争勃発です。
これは、イスラエルが勝利します。
ガザ地区はエジプトが、ヨルダン川西岸はヨルダンが支配しました。パレスチナにいたアラブ人は、同じ逃げるならアラブ人の国に!ということで、ガザ地区やヨルダン川西岸に非難します。この人たちをパレスチナ難民というのです。
パレスチナをアラブの国にしたい!!ということで、パレスチナ解放機構(PLO)が出来ます。はじめは穏健でしたが、アラファトが議長になってから戦闘的な機構になっていくのです。
そうしてPLO VS イスラエルの構図が出来ますが、イスラエルの圧倒的な戦力にPLOはテロやゲリラで応戦するしかありませんでした。
エルサレムは東西に分裂し、そこにはグリーンラインが」敷かれたのでした。
1967年6月5日第3次中東戦争勃発。
これは、イスラエル軍の先制攻撃にアラブが壊滅し、6日間で終わります。アラブでは2万1000人の死者が、捕虜は6000人に上りました。
これによってイスラエルは土地を拡張し、パレスチナとシナイ半島、ヨルダン川の水源となるゴラン高原を占領、ガザ地区もヨルダン川西岸も占領しました。
エジプトとしては、スエズ運河のギリギリまでイスラエルが来てしまいました。何とかしなければ・・・。
エジプトは今まで大統領はナセル・サダト・ムバラクの三人です。当時の大統領、サダトは、イスラエルを国家として認めればシナイ半島を返すという「平和と土地の交換」の交渉にサインしようとしますが・・・。サダトのやり方に反発したイスラム過激派に属するエジプト軍中尉によって暗殺されます。1979年3月エジプト・イスラエル平和条約締結されましたが、サダトは、自らが暗殺されることを予期していました。
現在では、ガザ地区・ヨルダン川西岸がパレスチナとなっています。
1993年オスロ合意がありました。このノルウェーは、ノーベル平和賞を決める平和国家として貢献したい、仲介に入りたいと申し出たのです。イスラエルとパレスチナに声をかけ、和平交渉をしました。
でも、調印式の証人はアメリカのホワイトハウスをバックにしたクリントン大統領でした。その後、ラビン首相がユダヤ人に暗殺され、平和交渉は進みません。敵に近寄ろうとすると見方のに背中から撃たれるのです・・・。
パレスチナでは、アラファトにはカリスマ性がありましたが、アッバス議長は実務家であまりカリスマ性がありません。なので、選挙ではハマスが勝ってしまいました。パレスチナではファタハVSハマス(イスラム原理主義者)の対立が起こってしまいました。
2011年5月パレスチナ統一政府の発足に向け、和解案に最終合意。
パレスチナ国家を国連に承認してもらいたいと思っていましたが・・・。先日ニュースになっていましたね。
ここで誤解してはならないのは、イスラム原理主義=過激派ではないということです。
キリスト教原理主義とは、聖書に書かれているのは正しい!!というもので、天地創造は本当で、神が6日間ですべてを作られた。進化論は嘘だ!という考え方で、それを原理主義とするならば、イスラム教が出来たころに帰れという考え方なので、イスラム原理主義といわずにイスラム復興運動と呼んだほうがいいのではないか?と、言われています。
ところでイスラエルの首都はどこでしょう?イスラエルはエルサレムだと主張していますが、各国は認めておらず、テルアビブに大使館を置いています。
このエルサレム、どうなっているかというと、「岩のドーム」と、「嘆きの壁」「聖墳墓教会」となっています。
まず、「嘆きの壁」もともとあったユダヤ人の神殿で、ローマ帝国によって破壊されたものの、残っていた西側の壁のことです。何故嘆きかというと、@朝、壁を見ると、空中にあった水滴が壁についていて泣いているように見える。ユダヤ人の数奇な運命を嘆いて・・・。と、Aユダヤの人々が嘆きにくるからと説があります。
次に「聖墳墓教会」これは、キリストの墓のあった場所とされ、ゴルゴダの丘、その上に建った教会のことです。もともとキリストはユダヤ教で、救世主だと思った人々が信じたのがキリスト教ということになります。
そうして、最後に「岩のドーム」ムハンマドが昇天する旅に出た際に手を着いた岩とされています。その岩をドームが大切に守っているのです。
3つに分けられている聖地エルサレム。世界の殆どの人が信じている、本当は一つだった宗教。皮肉なものですね。。。
今後はパレスチナが国家として認められるかどうか?首都はどこになるのか?エルサレムは誰のものか?誰もが妥協できないでいるのです。
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