今回は第二回、巨大組織”陸軍”暴走のメカニズムでした。
1920年代の日本の陸軍は、未だに山県有朋が作った組織のままで、日露戦争時となんら変わらない古い陸軍だったそうです。
この陸軍の刷新、改革のために結成されたのが陸軍士官学校14期から25期までのメンバーで結成された一夕会でした。
このメンバーが、陸軍省、参謀本部などを主力メンバーにおいて軍の改革に当たるのですが・・・。
やはりいつの時代も大きくなりすぎると、派閥抗争が始まって、過激な人びとを抑えきれなくなります。
その過激な人が、旅順にある関東軍司令部の板垣征四郎、石原莞爾なのです。
彼らは、中央の命令を聞くことなく、独断で武力による満州の占領を進めていきます。
ちなみに1935年に、一夕会の中心的存在、永田鉄山が惨殺されます。かれが惨殺されていなければ、大東亜戦争へと舵は切られていなかったというのです。本当?
で、リーダーの不在により、陸軍の迷走は始まります。
内閣は、国民が満州国の成立に沸いている中、それが関東軍の謀略であったとは表ざたには出来ず、そのことが、関東軍の暴走を助長することになります。
結果オーライなんて、ああ、なんだか今の官僚と同じ?
そうして、あいまいな政府のせいで、抗日運動が激化→盧溝橋事件→日中戦争へと進んでいきます。
陸軍の組織の肥大化、そうして、中国に出来た司令部なんかが大物軍人の天下り先になるなんて・・・。人員削減を訴えた官僚もいましたが、反発を食らいます。これはほんと、政府は今も同じですね。(T△T)
過激派によって、操作され、近衛内閣は政治をほっぽりだし、一夕会の東条英機内閣が成立し、太平洋戦争へと突入していきます。
時代の混乱の中、一部の過激な人達によって始められた戦争。
そんな時代の渦に巻き込まれないような国民はないでしょうが・・・。
日本の支払った命の代償は大きかったでしょうね。
そう思うと、与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」は、凄いなあ、と思います。正反対の意味の(戦争賛成の)詩も書いていますが、あの時代、反戦を唱えるような歌をよく作ったものだと思います。
本当に平和が一番ですね。
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