2011年07月12日

真相!龍馬暗殺

今回は「真相!龍馬暗殺」でした。
今回のBS歴史館です。

坂本龍馬さんは、とっても有名なので、いろんな話がありますよね。今回は、龍馬暗殺の真相です。

私は、ケネディの暗殺、モンローの暗殺なんかと同じくらいわからない、秘密のベールに包まれている一つだと思います。

暗殺されたのは、慶応3年、11月15日。犬猿の仲だった、薩長の間に同盟を結び、大政奉還を成し遂げた直後のことでした。

事件当日近江屋で、朋友・中岡慎太郎と共に、今後の日本について火鉢を抱えて話し合っていたその時に暗殺されました。

部屋の天井は低く、刺客は短い刀で、龍馬に刀を抜くひまを与えず、滅多切りにし、一瞬で去っていきました。

有名なのが

@新撰組暗殺説

未だ息のあった中岡が、「こなくそ」という伊予弁を聞いていたこと。
残された刀の鞘、下駄から、原田左之助だった。  というもの。

これは、近藤が「自分たちが疑われている。やっていないから気をつけろ」
と言っているところから、専門家の中に唱える人はいないそうです。

池田屋のイメージが強いのと、新撰組に罪をなすりつけようとしたものがいたということもあります。

A京都見廻組説

明治になって、見廻組隊士・今井信郎からの証言に、

京都見廻組・組頭・佐々木只三郎より差図にて討ち果たし・・・。
とあります。
なぜ、見廻組が狙ったかというと、寺田屋事件の時に龍馬が伏見奉行所役人を殺していたためお尋ね者だったからです。

また、見廻組隊士・渡辺篤が、なくなる直前に龍馬を殺したのは自分だと家族に告白しています。これは、新聞記者などではなく、家族に!!というところに信用性があるのではないかといわれています。
「坂本を討ち果たすにについては、諜吏増次郎という者を相使い、坂本の下宿近所にて同氏の様子を探り、菰をかぶり、乞食となって疵下に相臥し候」
とあり、手下を使って見張っていたと思われます。


B薩摩藩黒幕説

この時、討幕派にも二つの勢力があり、ひとつは
徳川家の政治参加を存続→大政奉還  と、もうひとつは
徳川家を排除→武力討幕       なのです。

この武力倒幕の急先鋒が薩摩藩でした。龍馬も薩長同盟など西郷と共にあった時もあったのに、大政奉還を実現させてしまったので、薩摩藩との間に軋轢が出来てしまいます。
この、西郷VS龍馬が、薩摩藩黒幕説を生むのです。


C紀州藩黒幕説

海援隊の船、いろは丸が瀬戸内海を航行中、紀州藩の船と衝突し、沈没した事件。いわゆるいろは丸事件で、龍馬は「いろは丸にはお金を積んでいた」といい、紀州藩は8万両をとられた上に、紀州藩を馬鹿にする歌まで作りプライドを傷つけられたから。

とにかく、諸説たくさんあります。なぜ、いくつもの黒幕が作られたのでしょうか。それは、龍馬が、討幕派、幕府側、どちらにも顔が利き、たくさんの人脈を持っていたからと考えられています。

時を経て2009年、資料が発見されます。それは、寺田屋事件の報告書で、伏見奉行所から京都所司代に宛てたものでした。その時、重大な書類を押収したとされています。この寺田屋事件は薩長同盟の翌日ということもあり、かなり色々な書類を、龍馬が持っていたようです。

当時、龍馬は才谷梅太郎という名で潜伏していました。でも、この報告書では、坂本龍馬となっています。この当時、龍馬はそこまでマークされる人物ではないと思われるので、名前を教えた人がいるのではないか、と思われます。そして、この報告書を持っていたのは、土佐藩でした。

土佐藩と京都所司代のつながりについては、土佐藩は脱藩者が朝敵になるのを恐れていたので、竜馬にも土佐藩の密偵がついていたのではないかと思われます。

そして、この寺田屋の時に押収された書類が、龍馬を「危ない奴だ!」「今に虎になる男だ」とか、得体の知れない宇宙人のように思われていたのかもしれません。

誰が暗殺したのか?という点については、佐々木只三郎(会津藩)と、兄の手代木直右衛門(会津藩公用人)が、指示したのが有力です。

手代木翁の言葉として・・・。

手代木翁
死に先立つこと数日
人に語りて曰く
坂本を殺したるは
実弟只三郎なり      

とあります。

また、佐々木只三郎伝記には、
それは某諸侯の命によるものであることをはじめて語っているといいます。

この、某諸侯とは京都守護職・松平容保、すなわち会津藩主であったとされます。いまわの際まで黙っていたのは松平容保に対する「君臣の義」であったと推察されます。

龍馬はやはり、器が大きすぎるというか、誰から見ても、自由奔放すぎて何をしでかすか解らない、危険な存在であったようです。

享年33歳

暗殺したのは佐々木只三郎が最有力のようですが、誰が、何のために、という真相究明は今も続いています。

龍馬には、ヒーローの条件がそろっているそうで、それは若くして志半ばでなくなるという人間の悲しさが、魅力なのでしょう。

私は、マリリン・モンローとジェームス・ディーンもそうかなあと思います。



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posted by ちゃーちゃん at 14:52| Comment(0) | BS歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月04日

武田信繁って誰?

武田信繁って誰?
最近忙しいのか、テレビを座ってみることが出来なかったので、ビデオ、いっぱいたまっています。

今回は、やっと見ることが出来ました。THE ナンバー2.

自ら二番手を選んだ男〜武田信繁です。

ほんと、誰?ですが、武田信玄の弟です。

信玄のNO,2は、「山本勘助」といわれていますが、それは、ほとんどが作り話です。山本勘助は、軍学書「甲陽軍艦」に登場する軍師で、武田には山本菅助という人間は存在するのだけれど、軍師としての山本勘助は存在しないのです。

武田家の本当のNO,2は、信玄の四才下の弟「信繁」らしいのです。

信玄の父・信虎は、ひょうきんで臆病者の信玄よりも、文武両道の信繁に家督を譲ろうとしていたらしいのです。えっつ!!、私の戦国時代最強の信玄が、臆病者だったなんて!!!。です。

「かっこいいよな、風林火山」って、思っていたのですが・・・。

そして、それを知った信玄は、家臣に担ぎ上げられ父・信虎を追放、この時、弟は父につかずに兄・信玄についたのです。


信繁が信玄についた理由
@父が戦争ばかりをして、民に嫌われていたから
A武田家は、家臣も含めた合議制で、別に武田家としての勢力が強いわけではなかったから


そして、家臣が起こしたクーデターにより政権をとったものの、家臣をどうやってまとめるか。その為に、信繁が分国法(甲州法度之次第)を作成しました。


この法律では、第55条に自分自身もこの法律の捌きを受けるとしています。これは、当時、自分が法律!!みたいな君主が多かったので、珍しいのです。

農民には、信玄堤などダムや堤防を作って人気を取り、この法律で家臣共々まとまり、やっと武田の当主としての地位を確立したのです。

信繁は、左馬助の位置にあり、軍馬の調達、兵器の購入、後方支援を行っていました。ちなみに、武田軍は甲州騎馬隊として有名ですが、もうこの時代合戦では足軽が出現していて斬馬刀で馬の足を狙われるので、騎馬隊が活躍することはなく、騎馬隊は機動力の活用にあったとされ、そのスピード勝負が武田軍の真骨頂だったようです。

この信繁の家訓は、信玄の偉大な足跡に多大な影響を与えたといわれており、父の反面教師なのか家臣を大切に慈悲の心を持って接することが謳われ信玄はその家訓の最大の理解者であり、実践者であったそうです。


信玄はこの頃海に出たかったが、南は北条、今川の三国同盟があるので北に上がるしかなくここで上杉謙信との有名な戦い・川中島の戦いが勃発します。

信玄はいかにして戦わずして勝つか、ということを考えており、今でいうイメージ戦略として・・・

@風林火山の旗を必勝の旗とした
A真っ赤な赤備(甲冑)は信玄最強のしるしで、これは後に織田信長が取り入れています。

第四回目の川中島の戦いで謙信に奇襲をかけられ絶体絶命のピンチの時、信繁が最前線で戦い、壮絶な死を遂げています。この、信玄と謙信が刀を交えた銅像がありますが、一説によると謙信と刀を交えたのは信繁かも?って、いわれています。つまり、信玄の身代わりになって戦ったといわれているのです。

その土地は信玄のものとなりましたが、大損をしたのは信繁を失った信玄だったのです。その後、信繁がいなくなったことにより武田家は、内部分裂をおこしていきます。

この信繁の家訓は、江戸時代になっても武士の心得として読みつがれていました。

何事にも退屈すべきでないこと。
「孟子」にいう一心に努力する者こそ偉大な人物である

その後、信繁という人物が現れます。その信繁とは、真田幸村のことです。幸村の父が、信繁を偲んでつけた名前で、真田幸村は大阪城に入った時、真っ赤な鎧を着ていたそうです。


ホント、THEなんばー2は面白いです。歴史も知っているようでなかなか知りません。私が、戦国最強と思っていた信玄が、ダメダメだったなんて・・・。でも、やっぱり私の中ではカッコいいですよ。

でも、いつの時代にもドラマがあって、ロマンがあるんだなってことでしょうか。まだまだ埋もれている賢人を知りたいなと思う今日この頃でした。




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posted by ちゃーちゃん at 14:23| Comment(0) | THE ナンバー2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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